自分が死んだら、あの世での責任は誰がとりますか?
自分です。
神仏ではありません。
自分の錯覚・妄想・幻想のそのままの世界に移行しますが、
余りにも命の現実の世界と掛け離れていた事に愕然(がくぜん)とします。
驚愕(きょうがく)、唖然(あぜん)とします。
残念ながら間に合わなかったということです。
菩薩行を為しえたモノが神界に入ります。
攻撃が最大の防御といわれるように、弘伝(ひろく伝えること)が最大の命を守る防御になります。
地球の全人類に、どうしたら伝えられますか?
本当の神意かどうかを解釈することをサニワという。
神聖幾何学に神の御託宣(ごたくせん)をサニワするのは、実は読者自身である。
読者の霊性でサニワしている。
読者のいる世界が、錯覚・妄想・幻想だと気づかない限り、
神聖幾何学の正しい理解をさせてもらえない。
私たちが、簡単にサニワをする方法は、意識の方向性である。
法図の真解に向かうか、向かわないかである。
この世に於いて、仏陀の定義の法図の教師(サッダルマ.ラキサナ.ウ゛ァーディン)にナル、
それをスル方向性であるかどうかである。
現世即身成仏者を目指し、法図を教えるならば「是」である。
法図を教えない他の事柄ならば「非」である。
相対価値の世界の日常の出来事は、
法図の教えの拝見・拝聴・拝受持と普伝の成仏の手段(修行)を支える手段である。
手段(修行)の手段の生活は明るく楽しく健やかなほうが良い。
相対価値を絶対価値化し目的化しても意味がない。
そのことに、気づく気づかないは、その人の意識次第である。
錯覚・妄想・幻想を気づくのは、その人次第である。
人間は道を求めながら、道を外す。
人は、道を知りたれば、道を外すことはない。
この人生が、「真実の自分たましい」の本質を知るラストチャンスである。
神の愛のアヤナワンと人の愛のアリンガトワの真実を追い求めよ!
残された時間は少ない!
仕事はこの世の生活基盤であるから、仕事第一であり、目的が成仏だから修行第一である。
この世の備えとあの世の備えの正しい認識をし、実行せねばならない。
真実を認識し現実のバランス(調和)が大事である!