「仏像」は、仏陀釈尊が亡くなられて五百年後に造られた。
「仏壇」の始まりは、天武天皇の仏教興隆の勅による。
また「戒名」の始まりは、中国の「あざな」の習慣である。
また「位牌」の始まりは中国儒教であり、その影響で鎌倉時代の禅宗に輸入された。
インドに基本的に墓はない。遺骨は聖なるインダス河に流す。
仏陀釈尊の遺骨を仏舎利(しゃり)とし塔が建てられた。
墓は墓誌(ぼし)に始まる。
すると、日本で仏教とされて来た「伝統なるもの」は、仏陀釈尊が直接関知しておられていない。
つまり、仏陀釈尊の知らないものが、日本仏教の正体である。
死人に口なしではないか?
故に、仏陀の教えの正しい法(サット・ダルマ)は、日本仏教や「仏壇」の中に答えに無い。
寺院を小さくしたものが仏壇といわれ、仏壇は仏の須弥山(しゅみせん)を現す?とは、
趣味(しゅみ)が悪い事にならないか?
仏壇や寺院の中に、どうしても霊界があると思えない。
先祖が仏壇や仏壇を大きくした寺院のドコにおられるのか?
よく見ると、仏壇や寺院の中にあるのは、本尊なる彫刻品の仏像と戒名が記された位牌と空間だけである!
寺の建物である伽藍(がらん)が、「がらんどう」と言われる理由である。
正しい事実が正しい現実となる。
幻と戯れている時間がないぞ!
大宇宙を癒す秘密の言霊
アヤナワン・アリンガトワ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA
あやなわん・ありんがとわ