「鬼滅の刃」関連の鬼が出現
日本社会の底流に流れる価値観とは?
2020.10.28 ザ・リバティ・ウェブより編集
https://the-liberty.com/article/17713/
大ヒット中の映画「鬼滅の刃」。このほど、この映画に関係する霊人が大川総裁のもとに現れた。何かを伝えたい様子を見せた霊人は「黒鬼」と名乗り、「ご用件は何ですか」という質問に対し、「鬼滅の刃」がヒットしている理由を語り出した。
大切な精神は「社会的不満を晴らす」こと
鬼の頸(くび)を斬るシーンが繰り返し登場するこの作品。黒鬼はインスピレーションを与えているとして、自らが大切にしている精神について「要らん人間は殺してしまえ」というものであると語った。
映画の狙いについて黒鬼は、「いじめられたやつらなんかさあ、学校に刀持ってね、殴り込みかけて、首斬って斬って斬りまくりたいの。それが本能よ。それをこの映画でな、追体験させてやってるの」として、観た人の社会的不満を晴らしてやっていると語った。
黒鬼の正体は
その後も黒鬼が大川総裁のもとを去らないため、地獄に堕ちた反省ができない人間に鉄槌を下す、悟りの高い正義の鬼「草津赤鬼」が呼び出された。
現れた草津赤鬼は、居座る黒鬼を撃退。
草津赤鬼は黒鬼の正体について、「歴史で平定されて滅ぼされた者、地下に潜った者の連合」「集合想念みたいなものを集めているものがいるんだろうとは思う」と分析。「おそらくは葛城山系」としつつ、日本に強い地盤を持ち、身内や同族を守り、新興勢力や外来のものが現れたら戦うという「純粋な国粋主義者」であると評した。
草津赤鬼によると、「鬼滅の刃」上映の背景について、かつて朝廷に歯向かったものの、敗れて鬼化した一族が復活を目指しているという。しかし国際化が全くできず、普遍的な教えも説いていないので、同時期に上映されている映画「夜明けを信じて。」との間に「宗教戦争」があるというのだ。
本霊言では、日本人が今もなお、無意識に影響を受けている価値観が浮き彫りにされた。日本の古代史から民族史、そして近代思想史の「裏側」を垣間見ることができる、興味深い霊言だ。
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「鬼滅の刃」が描く魑魅魍魎の世界
魔の攻撃から身を守るには?
2020.10.29ザ・リバティ・ウェブより編集
https://the-liberty.com/article/17715/
映画「鬼滅の刃」がヒットを記録し、魑魅魍魎(ちみもうりょう)を描く世界が注目されている。漫画界では、「犬夜叉」や「夏目友人帳」「幽☆遊☆白書」、そして近年では「妖怪ウォッチ」などがヒットを飛ばしたのは記憶に新しく、鬼や妖怪などのマーケットは意外にも大きい。
歴史書にも、鬼や天狗、仙人、妖怪、妖魔、龍神などの記述は多数残っている。だが、そうした存在がどのような特徴を持ち、人生にどのような影響を与えるかなどについては、いま一つピンと来ない人が多いだろう。
そうした存在に出会った歴史的な人物を紹介した上で、そこから学び取るべき教訓を、霊界構造を明らかにしている大川総裁の著書から考えてみたい。
文字通り、天狗の高転びをした源義経
天狗のエピソードで最も知られている人物の一人は、平安時代末期を生きた源義経だ。
何と言っても義経は、平家を打倒すべく、京都の「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」に兵法を授かり、10年間にわたる厳しい修行に打ち込んだ修行の成果により、例えば1184年の一ノ谷の戦いでは、平家が陣を敷いた背後の山から夜襲をかけ、大勝を収めた。
しかし義経は、社会を生きる上での脇がかなり甘かった。平家を倒した手柄をほとんど独り占めにした挙句、朝廷から独断で官位をもらうなどしたため、兄の源頼朝などの怒りを買い、自害を迫られたのだ。
大川総裁は、絶頂から一気に転落した義経に触れ、著書『心眼を開く』の中でこう指摘している。
「天狗は高い鼻を持っていて、山登りをするのですが、特徴の一つとして、『歯が一枚しかない下駄を履いて登っている』とよく言われています。この下駄だと、坂道の上りは上がれるのですが、下りが下りられないのです。下るときには転げ落ちてしまって、歩けません。上へ上がっているときには気分よく上がれるのですが、下りのときには非常に不利な下駄なのです。(中略)これが『天狗の高転び』といわれる現象ですが、ほとんどの天狗には、それは現象として出てくることがあります」
義経のように一世を風靡(ふうび)し、ちょっとした人生のつまずきによって、瞬く間に社会から忘れ去られた有名人は数知れず。天狗の高転びは、今も昔も厳然としてあると言える。
その才におぼれ、自己顕示欲を増していけば、他人から嫌われ、組織にいられなくなる恐れがあると大川総裁は指摘する。大川総裁は、著書『信仰告白の時代』で次のようにアドバイスしている。
「評価されればされるほど謙虚になって、努力を積まなければいけません。また、自分のありあまるところ(長所)よりは、足らざるところ(短所)に目を向けて、努力するようでなければいけないと思います。すぐ慢心するような人は、やはりだめです。そういう人は、しょせん、仙人・天狗の系統にしかすぎないのかもしれません」
「謙虚にして驕(おご)らず」。この言葉は、心を惑わす魔の攻撃から身を守り、人生行路を安全に歩む秘訣と言える。 (山本慧)