子どもが帯広で仕事だったので、運転手として同行した時、「愛国駅」~「幸福駅」を何十年ぶりかで訪れました。 
愛国駅横にはきれいなモニュメント 
静態保存されている美しいSL 
1987年当時の運賃表 
そうそう、切符は駅員さんが一枚ず つ親指と人差し指でここから出してましたよね 
愛国駅前は古いお土産屋さんが一軒と、かなり寂しい感じでした。ちょっと寄ってみました。 

包装紙のデザインは1973年頃とかわっていないような。白樺の看板風に枠をとるのは、1950年代から北海道で流行っていました。 
大ヒットした「愛国から幸福ゆき」切符。「愛の国から幸福へ」というキャッチフレーズを考えた方、素晴らしいです。当時帯広方面に旅行に行く人は、必ずお土産にこの切符をねだられたという話もあります。 
「ゆっくり走ろう北海道」この標語は1970年代にずっと使われてました。特に帯広や道東は一般道路が高速道路のようなスピードで利用されていましたから、死亡事故も多かったです。これも70年代そのままのデザインでしょう。 
こちらは幸福駅のプラットホーム。撮り方によっては現役の駅みたいですね。 

奥の幸福駅はきれいなものに建て替えられていました。お店も何軒かありますが、一軒を除いて開けていませんでした。新型コロナの影響でほとんど人が来ないので仕方がないですね。
当日の帯広方面は猛暑で、ニュースでは最高気温35度と言ってましたが、幸福駅に向かう際、車の外気温計は37度と出てました。

愛国駅横にはきれいなモニュメント

静態保存されている美しいSL

1987年当時の運賃表

そうそう、切符は駅員さんが一枚ず つ親指と人差し指でここから出してましたよね

愛国駅前は古いお土産屋さんが一軒と、かなり寂しい感じでした。ちょっと寄ってみました。


包装紙のデザインは1973年頃とかわっていないような。白樺の看板風に枠をとるのは、1950年代から北海道で流行っていました。

大ヒットした「愛国から幸福ゆき」切符。「愛の国から幸福へ」というキャッチフレーズを考えた方、素晴らしいです。当時帯広方面に旅行に行く人は、必ずお土産にこの切符をねだられたという話もあります。

「ゆっくり走ろう北海道」この標語は1970年代にずっと使われてました。特に帯広や道東は一般道路が高速道路のようなスピードで利用されていましたから、死亡事故も多かったです。これも70年代そのままのデザインでしょう。
店内にはブームの最盛期にイラストレーターの水森亜土さんが愛国駅にいらして、作品制作のパフォーマンスをしている色褪せた写真と本人の色紙がありました。なつかしかったー。

こちらは幸福駅のプラットホーム。撮り方によっては現役の駅みたいですね。


奥の幸福駅はきれいなものに建て替えられていました。お店も何軒かありますが、一軒を除いて開けていませんでした。新型コロナの影響でほとんど人が来ないので仕方がないですね。
来年は元のように、色々な所から、お客さんに来ていただきたいものです。