父が喫煙関連疾患で亡くなってから、今年で11年が経ちました。
その間母との同居を考えたこともありますが、母は、父との思い出がある住まいで、顔見知りのご近所さんに囲まれ、庭のある環境を選び、今日までなんとか暮らしてきました。
89歳で要支援2、ヘルパーさんやデイサービスを利用しながら、私が週末に宿泊し平日にもう1日生活介助をしてきましたが、昨年末くらいから衰えが目に見えるようになりました。
足元もおぼつかなくなり、いつまで自力歩行が可能か、短期記憶も衰えて、母自身もとても不安だったと思います。
今朝、デイサービスからの電話に母が出ないとケアマネージャーさんに連絡があり、ケアマネージャーさんも電話をしたもののつながらない、と、私に電話がありました。
私からも母に電話をしましたが母は出ず、通常であれば気がついたら折り返し電話をくれるのですが、その気配もないため、生家に向かいました。
玄関に入ると、母がリビングで倒れているのが見えました。
今朝、デイサービスからの電話に母が出ないとケアマネージャーさんに連絡があり、ケアマネージャーさんも電話をしたもののつながらない、と、私に電話がありました。
私からも母に電話をしましたが母は出ず、通常であれば気がついたら折り返し電話をくれるのですが、その気配もないため、生家に向かいました。
玄関に入ると、母がリビングで倒れているのが見えました。
「お母さん、寿美子だよ」
と、玄関から声をかけると、脚が動きました。
しかし、リビングに入ると母の呼吸はなく、体も冷たい状態でした。
すぐに胸骨圧迫を始めました。
母を心配してケアマネージャーさんが駆けつけてくれたのが、私が生家に到着したのとほぼ同時で、ケアマネージャーさんが救急車を呼んでくれました。
ケアマネージャーさんがいなかったら、私は一人で胸骨圧迫をしながら救急車を呼び、気道を確保できなかったと思います。
ケアマネージャーさんに母の一命を救っていただきました。
と、玄関から声をかけると、脚が動きました。
しかし、リビングに入ると母の呼吸はなく、体も冷たい状態でした。
すぐに胸骨圧迫を始めました。
母を心配してケアマネージャーさんが駆けつけてくれたのが、私が生家に到着したのとほぼ同時で、ケアマネージャーさんが救急車を呼んでくれました。
ケアマネージャーさんがいなかったら、私は一人で胸骨圧迫をしながら救急車を呼び、気道を確保できなかったと思います。
ケアマネージャーさんに母の一命を救っていただきました。
胸骨圧迫を続けていると母の呼吸が戻り、体も温かくなるのがわかりました。
救急隊が到着しAEDを装着。
しかし、AEDは必要なしとアナウンスされ、その時点で心臓ではなく脳かな、と思いました。
くも膜下出血でした。
現在、母の通院歴がある近くの大きな病院は、新型コロナ感染症の入院患者受け入れのため新規の入院受け入れがどこも不可能で、3自治体離れた病院で受け入れてもらえることになり、入院しました。
家族でも、次に母と会えるのは、家に帰れるようになったときか容体が急変したときのどちらかしかありません。
個室だったため、病院のはからいで帰り際に母に会うことができました。
「お母さん、信頼できるお医者さんにお任せしたから、安心してね。
私はお母さんが帰れるように、家で待っているよ」
と、声をかけると、母の脚が動きました。
目も開かず、話はできませんが、母に聞こえているのだと思います。
家族でも、次に母と会えるのは、家に帰れるようになったときか容体が急変したときのどちらかしかありません。
個室だったため、病院のはからいで帰り際に母に会うことができました。
「お母さん、信頼できるお医者さんにお任せしたから、安心してね。
私はお母さんが帰れるように、家で待っているよ」
と、声をかけると、母の脚が動きました。
目も開かず、話はできませんが、母に聞こえているのだと思います。
この先、どのようになるかまったくわかりませんが、状況が落ち着くまで、ブログの更新やSNSへの投稿などの情報発信はいったん休止し、このような状況でも自分のできる範囲での活動のみを続けて参ります。
また情報発信ができるようになりましたら、ブログにもSNSにも必ず帰って参ります。