当山30世正興泰信(先代住職)の弟子、
諦観元熙が長年皆様に育んで下さった大龍寺から、
福井県にある大本山永平寺での安居修行のため行脚にでました。
2月23日、朝7時。
本人は行脚の身支度を調えた中、集まれる家族が揃いました。
本堂にてご本尊様、ご開山様、歴代住職、先代住職に向けて行脚出立の挨拶。
そして家族とのしばしお別れの挨拶をして見送りました。
東京駅からは東海道新幹線です。
ホームまで見送りについていくと、大学の友人、そして僧侶としての先輩(親子)が見送りに来てくれていました。
当日23日は永平寺の門前にある東喜家さんに投宿し、
24日には永平寺の塔頭寺院にあたる地蔵院にて上山直前の指導を受け、
25日早朝、永平寺の門を叩くことになっています。
・・・・・・そして、第2幕。
出立した本人には全く知らせず永平寺の門前へ!
上山の前晩には門前に着きました。
向かって左手奥に見えるお堂が地蔵院です。
上山に備えて、威儀や心構えの指導を受けていることでしょう。
翌朝は地蔵院を拝辞して右手前の永平寺龍門を通り、山門へ向かうはずです。
そして翌日。
本人に気付かれないよう、遠くの植え込みの陰(まさに草葉の陰)から見守っていると、
朝の坐禅・法要などが終わる頃、朝7時に地蔵院から出てくる上山者の姿が見えました。
多少の色の違いはあっても、みな同じ雲水姿をしいます。
網代笠を目深にかぶり、マスクもしています。
見守る私たちは本人らに見つからないように遠いところからなので、
どの雲水さんが本人かは判別が付けられません。
でも、それでよいのでしょう。
日を同じくして上がる雲水さんは「同日上山」の縁です。
年を同じくして永平寺の門を叩く仲間は「同安居」の縁です。
上山した年は前後しても、共に本山での修行を勤める方たちは全員、
「後には共に仏祖となる」大変尊いご縁です。
そんな全ての雲水さんたちのことを思いながら、
ご本山での弁道精進が円満であることを祈りました。
唐門前か、一葉観音前でしばらく佇立していたようですが、
しばらくして、何の音も聞こえないまま、全員が永平寺の山門に向けて歩いて行きました。
永平寺で修行をさせていただくことに、正式な許可が下りるまで、
それからおよそ1週間は、ただただ坐禅をし、その志が問われます。
いま、3週間ほど経っています。
本人は逃げ帰ってきてはいませんので、
きっと精進努力の毎日を送っていることでしょう。
諦観元熙が長年皆様に育んで下さった大龍寺から、
福井県にある大本山永平寺での安居修行のため行脚にでました。
2月23日、朝7時。
本人は行脚の身支度を調えた中、集まれる家族が揃いました。
本堂にてご本尊様、ご開山様、歴代住職、先代住職に向けて行脚出立の挨拶。
そして家族とのしばしお別れの挨拶をして見送りました。
東京駅からは東海道新幹線です。
ホームまで見送りについていくと、大学の友人、そして僧侶としての先輩(親子)が見送りに来てくれていました。
当日23日は永平寺の門前にある東喜家さんに投宿し、
24日には永平寺の塔頭寺院にあたる地蔵院にて上山直前の指導を受け、
25日早朝、永平寺の門を叩くことになっています。
・・・・・・そして、第2幕。
出立した本人には全く知らせず永平寺の門前へ!
上山の前晩には門前に着きました。
向かって左手奥に見えるお堂が地蔵院です。
上山に備えて、威儀や心構えの指導を受けていることでしょう。
翌朝は地蔵院を拝辞して右手前の永平寺龍門を通り、山門へ向かうはずです。
そして翌日。
本人に気付かれないよう、遠くの植え込みの陰(まさに草葉の陰)から見守っていると、
朝の坐禅・法要などが終わる頃、朝7時に地蔵院から出てくる上山者の姿が見えました。
多少の色の違いはあっても、みな同じ雲水姿をしいます。
網代笠を目深にかぶり、マスクもしています。
見守る私たちは本人らに見つからないように遠いところからなので、
どの雲水さんが本人かは判別が付けられません。
でも、それでよいのでしょう。
日を同じくして上がる雲水さんは「同日上山」の縁です。
年を同じくして永平寺の門を叩く仲間は「同安居」の縁です。
上山した年は前後しても、共に本山での修行を勤める方たちは全員、
「後には共に仏祖となる」大変尊いご縁です。
そんな全ての雲水さんたちのことを思いながら、
ご本山での弁道精進が円満であることを祈りました。
唐門前か、一葉観音前でしばらく佇立していたようですが、
しばらくして、何の音も聞こえないまま、全員が永平寺の山門に向けて歩いて行きました。
永平寺で修行をさせていただくことに、正式な許可が下りるまで、
それからおよそ1週間は、ただただ坐禅をし、その志が問われます。
いま、3週間ほど経っています。
本人は逃げ帰ってきてはいませんので、
きっと精進努力の毎日を送っていることでしょう。