シルバーピアニスト、で

検索すれば、60歳から始めたピアノで「ラ・クンパルシーター」など20曲がきけます。

そうだ 京都、 撮ろう。

2009年02月21日 10時34分54秒 | 老いのくりごと
 琵琶湖疏水は、小川治兵衛の手になる南禅寺界隈別荘庭園群の「流れのある庭」を造る基となった。
 
南禅寺界隈の風情

このあたりには400年もの歴史のある「瓢亭」や湯豆腐の店などもあり、別荘地でいずれも、個人の住まいなので中を撮る事はできないが、

後日、もと公家屋敷の庭園として江戸時代に造られたのを、大正年間に小川治兵衛の手によって改造された庭園をアップします。 

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htmシルバーピアニストの手慰みはこちらからです。

そうだ 京都、 撮ろう。  (先斗町)

2009年02月21日 06時10分13秒 | 老いのくりごと
 京都先斗町に降る雪も、解けてながれりゃ、皆同じ。
夕暮れまじか、そろそろお店も始まるころか?

先斗町の歴史
先斗町は三条通の一筋南から四条通まで通じる鴨川にそった南北500メートルあまりにわたる細長い通りのことを指し、京都における著名な花街の一つです。
この地に水茶屋が初めてもうけられたのは正徳二年(1712)の頃といわれ、初めは高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が茶立女を置いていました。
安政6年(1859年)になって芸者嫁業の公許が下り、祇園と並ぶ花街として有名になりました。べにがら格子の家が両側に建ちならんでおり、東西に五十番まで数える大小の路地があります。幕末に勤皇と佐幕に分かれて抗争した志士たちが、追われてこの露地に身を潜めたり待ち伏せしたりしたそうです。
先斗町の語源については、東が鴨川(皮)、西が高瀬川(皮)、皮と皮にはさまれた鼓を叩くとポンと音がするのをモジって、ポント町の名が生まれたとも、ポルトガル語のPONTからきているとも言われています。

解説は 「先斗町のれんかい」のサイトから拝借しています。







そうだ 京都、 写そう。

2009年02月21日 04時50分14秒 | 老いのくりごと
 祇園情緒のある花見小路の角に一力がありますが、京都でも最も由緒のある「お茶屋」のひとつで、大石内蔵助や近藤勇が遊んだそうな。

小生も先日いってきました。ただし入り口の前までのこと。いつの日かここで一杯やっかと思っただけ。

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htmシルバーピアニストの手慰みへどうぞ、おこしやす。