シルバーピアニスト、で

検索すれば、60歳から始めたピアノで「ラ・クンパルシーター」など20曲がきけます。

そうだ 京都、 行こう。 (富士山)

2009年02月27日 02時34分42秒 | 老いのくりごと
 よくみると、富士山の頂上からこころなしか、噴煙があがっているようにも見えますが。いかがでしょうか?

まさか、富士山が噴火しているのでは、新幹線ののぞみ86号の中から撮ったものでよく確認しようとしてもすぐに通り過ぎてしまいました。

そうだ 京都、行こう。 (浜名湖)

2009年02月27日 01時51分31秒 | 老いのくりごと
 
京都へ行く途中の新幹線の中から撮影しました。
時速300キロ近い速さの中でこれだけ鮮明な画像が撮れるとは思いもよらないことでした。昔、シャッターが250だとか絞りがF4.5だとか距離は何メートルだとかやっていたら浜名湖を写すどころか、京都に着いちゃうよ。ほんとに。

 浜名湖は ウナギ、ノリ、牡蠣、スッポンなどの養殖が盛ん。特に養殖ウナギは有名で、鰻丼(鰻飯)、ウナギボーン、うなぎパイなどの特産品がある。輸入ウナギに押される形で養殖業者、漁獲量ともに1980年代から減少を続けており、現在の漁獲は最盛期の1/3以下となっている。
 浜名湖独特の伝統的な漁法であるたきや漁(獲物を光で誘引し、モリで突いて採取する漁法)も有名で、これによってスズキやキス、カレイなどが採取されている。その他、潮干狩りのポイントとしても一般に広く利用され、主としてアサリが採取される。
また、浜名湖周辺はリゾート地として開発されている個所も多く、ボートやヨットなどのマリンスポーツも盛んに行われている。

浜名湖県立自然公園にも指定されている。

http://kkoyano.com/ただいま工事中でございますが、新しいドメインで「シルバーピアニスト」をアップしましたので、こちらのほうもなにぶんよろしゅうおたのもうします。

そうだ 京都、 写そう。 ( 花見小路)

2009年02月26日 11時42分16秒 | 老いのくりごと
 宵闇せまる、花見小路通

 京都市の南北の通りの一つ。北は三条通から南は安井北門通まで約1km、祇園の中心を通るメインストリートである。

四条通以南は明治以降発展し、茶屋や料理屋が立ち並ぶ。

http://kkoyano.com/newpage3.htmlクリックすると、そうだ 京都、写そう。 のスライドショーにジャンプします。

そうだ 京都、 写そう。 (南禅寺)

2009年02月26日 03時21分23秒 | 老いのくりごと

 三門歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)の二幕返しで石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」という名台詞を吐く「南禅寺山門」がこれである。ただしそれは創作上の話で、実際の三門は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の建築で重要文化財、だそうな。


そうだ 京都、 行こう。

2009年02月25日 02時52分22秒 | 老いのくりごと

 じつは、この写真、「そうだ 京都、行こう。」ではなくて、京都の帰りに撮った写真なのであります。のぼりのこだまか、ひかりかどっちかな。

 700系の、のぞみではないような感じあり。もしかして300系電車かも?

自分の乗る列車を撮ろうと思いきや、先頭までいってシャッターを切っていては乗り遅れるよ、もう歳なんだから。

http://hp.wouau.com/koya/クリックしてね。

そうだ 京都、 写そう。  (冷泉家)

2009年02月24日 04時30分20秒 | 老いのくりごと
 上冷泉家の住宅は、重要文化財に指定されている1790年(寛政2年)の建築で、現存する最古の公家住宅である。明治時代になると、ほとんどの旧公家は明治天皇に従って東京に移住したため、現在の京都御苑内にあったほとんどの公家住宅が空家となり治安維持のため取り壊された。しかし、上冷泉家には御文庫といわれる、かつては勅封だった蔵もあり、また京都御苑外に立地していたため取り壊しも免れた。御文庫を擁する上冷泉家が関西の京都に残ったことで、結果として膨大な至宝が関東大震災と東京大空襲から守り抜かれたことは、日本文化史上この上ない僥倖である。

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htm60歳から始めたピアノですが今年で14年になります。是非URLをクリックして聞いてください。

そうだ 京都、 写そう。 (牛若丸と弁慶)

2009年02月23日 10時43分45秒 | 老いのくりごと
 五条の橋のたもとにある牛若丸と弁慶の像

 豊臣秀吉が五条の橋を現在の地に架けたことから二筋南に五条通の名前が移った。
つまり、牛若丸と弁慶が出会ったと言われる「五条の橋」は、松原通に架かる橋が正当であり、現在五条大橋西詰におかれている2人の像は二筋南におかれていることになるそうな。

そうだ 京都、 写そう。  (八坂神社境内)

2009年02月23日 02時04分13秒 | 老いのくりごと
 朝、9時ごろ四条通の奥にある八坂神社に参拝しました。
あたりは、人影も無く、神官が朝のおつとめをしているのに出会いました。

 思わず、シャッターを切り、まさに、

そうだ 京都、 写そう。 とあいなりました。

そうだ 京都、 写そう。 

2009年02月22日 18時31分43秒 | 老いのくりごと
 この庭園は、公家屋敷の庭園として江戸時代に造られた池泉回遊式の代表的な名園てです。
その後大正年間に日本庭園の作庭で名高い小川治兵衛の手により改造されたものです。

七代小川 治兵衛(おがわ じへえ、万延元年4月5日(1860年5月25日) - 昭和8年(1933年)12月2日)は、近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、庭師。通称植治(屋号)。

山城国乙訓郡神足村(現在の京都府長岡京市)生まれ。1877年(明治10年)に宝暦年間より続く植木屋治兵衛である小川植治の養子になり、1879年(明治12年)に七代目小川治兵衛を襲名。

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htm
ここからシルバーピアニストのホームページへジャンプします。

そうだ 京都、 撮ろう。

2009年02月21日 10時34分54秒 | 老いのくりごと
 琵琶湖疏水は、小川治兵衛の手になる南禅寺界隈別荘庭園群の「流れのある庭」を造る基となった。
 
南禅寺界隈の風情

このあたりには400年もの歴史のある「瓢亭」や湯豆腐の店などもあり、別荘地でいずれも、個人の住まいなので中を撮る事はできないが、

後日、もと公家屋敷の庭園として江戸時代に造られたのを、大正年間に小川治兵衛の手によって改造された庭園をアップします。 

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htmシルバーピアニストの手慰みはこちらからです。

そうだ 京都、 撮ろう。  (先斗町)

2009年02月21日 06時10分13秒 | 老いのくりごと
 京都先斗町に降る雪も、解けてながれりゃ、皆同じ。
夕暮れまじか、そろそろお店も始まるころか?

先斗町の歴史
先斗町は三条通の一筋南から四条通まで通じる鴨川にそった南北500メートルあまりにわたる細長い通りのことを指し、京都における著名な花街の一つです。
この地に水茶屋が初めてもうけられたのは正徳二年(1712)の頃といわれ、初めは高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が茶立女を置いていました。
安政6年(1859年)になって芸者嫁業の公許が下り、祇園と並ぶ花街として有名になりました。べにがら格子の家が両側に建ちならんでおり、東西に五十番まで数える大小の路地があります。幕末に勤皇と佐幕に分かれて抗争した志士たちが、追われてこの露地に身を潜めたり待ち伏せしたりしたそうです。
先斗町の語源については、東が鴨川(皮)、西が高瀬川(皮)、皮と皮にはさまれた鼓を叩くとポンと音がするのをモジって、ポント町の名が生まれたとも、ポルトガル語のPONTからきているとも言われています。

解説は 「先斗町のれんかい」のサイトから拝借しています。







そうだ 京都、 写そう。

2009年02月21日 04時50分14秒 | 老いのくりごと
 祇園情緒のある花見小路の角に一力がありますが、京都でも最も由緒のある「お茶屋」のひとつで、大石内蔵助や近藤勇が遊んだそうな。

小生も先日いってきました。ただし入り口の前までのこと。いつの日かここで一杯やっかと思っただけ。

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htmシルバーピアニストの手慰みへどうぞ、おこしやす。


マロニエの木陰

2009年02月15日 09時42分23秒 | 老いのくりごと
作詞 坂口 淳 
作曲 細川潤一

 昭和12年3月、松島詩子の唄でキングレコードから発売された曲で、美しいピアノのカデンッアで始まるタンゴ調で、戦雲急な不安な時代には珍しい、心が洗われるような歌であった。戦争中はひっそりとしてそれほどヒットしなかったが、戦後平和が戻ってくると、NHKののど自慢でも盛んに歌われ、甘くロマンチックなムードは、いまでもファンがかなり多いようである。

解説は長田暁二編「日本抒情歌全集」から引用させていただきました。

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/E16.htm 名曲 「マロニエの木陰」を ピアノとシンセサイザーで一人で演奏し多重録音しています。

なお、マロニエの花の貴重な写真は青木繁伸様のこちらのサイトからおかりしました。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

ウクレレの出前

2009年02月08日 10時34分12秒 | 老いのくりごと
 昨年、或る老人ホームでウクレレのコンサートをやらせて頂く機会がありました。

ウクレレはどちらかと言うと、コードを弾いて曲の伴奏をする楽器なので、ピアノをCDに録音して、それに合わせてウクレレの伴奏で、赤とんぼや夕焼け小焼けなどを皆でうたいました。

 ご覧のとおりおおぜいの方が一緒に歌ってくれて、拍手をしていただきました。これは、やはり皆が知っている曲だからで、知らない曲や、むずかしい曲ではかえって、小さな親切、大きなお世話になってしまいかねないですよ。ネ

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htmこのホームページの「月の沙漠」や「南国の夜」などハワイアンバンドの演奏は小生がウクレレを弾いてます。お暇な折には是非お出かけいただければ嬉しいです。