以前、果報は寝て待て - ちょっとできてよかった。
のページにて、とある動画の文字起こしを掲載いたしました。
その動画を見た時、選挙とウイルスの謎が暴かれて、世の中がよくなるようなイメージを持っていました。
けれど、最近の流れでは、そんな単純な話でもなさそうに感じています。
だから、いつか書こうと思いつつ延び延びになっていたことを、
いま書いておこうと思います。
2月当時、
インターネットの情報や、新聞・テレビの情報とそれとのギャップを見ていると、
「大変なことが起きている。何か私にできることをしなきゃ」という気分になって焦っていました。
動画を見て、いままで知らなかったことを知って、楽しくもありました。
「あ、これは削除されそうだな」と感じて、メモをしました。
「焦らなくていいんだな」と力が抜けたので、
「果報は寝て待て」というタイトルをつけました。
私の遅いタイピングでは、とても時間がかかりました。
夜に作業を始めて、夢中になっていたら、お風呂に入る時を逸してしまいました。
すっかり冷めたお風呂を温めなおして入ってもよかったのですが、
「疲れた。面倒くさい」と感じたので、入らないで寝ました。
翌朝。
「昨日、お風呂に入らなかったの?」
いつもと違うことをすると、家族からいつも突っ込まれます。
「うん。すごくいい動画を見つけて、いつ消されるかわからないから、文字に書きだしてたの」
と昨晩の興奮を思い出しながら私は言いました。
「なんだ。動画を見てたのか。風邪ひいたのかと思った」
と家族は言いました。
「いつもと違うことをして責められた」と感じた私は、そこからいかに動画が楽しかったかを語りだしたけれど、本当は、
「心配してくれてありがとう」
と言えたらよかったな、そしたらラブラブな会話になっていたなと、後日気づきました。
その時は、お風呂に入らないで動画を見ていたことに、罪悪感を抱かず、堂々と言えてよかったな、と思いました。
寝たのは深夜だったので、翌朝遅く起きて、ごはんも朝昼兼用で、
自由でいいなあと感じました。
さらに後日、家族の方から、
「今日は面倒くさいから、お風呂休みでいい?」
と聞いてきました。
「いいよ。いいよ」
と私は快諾しました。
私の自由が伝わって、家族も自由になれたように感じて、うれしかったのです。
「しなければならない」縛りから解放されて、自由を手に入れたこと。
その自由を、自分の気持ちを基準にして決めて、叶えたこと。
その解放感、満足感、自分への愛こそが、「果報」つまり幸せでした。
それは、「寝て待」たなくても、
いま自分ができること、怖い気持ちよりちょっとやってみたい気持ちのほうが大きいことを、マイペースでやってみた、
その過程と足元にありました。
今日、ようやく青空と太陽が見れました。
うれしくて、日光浴をしました。
心と体の中がきれいになったように感じました。
ブログを書けてよかった。