小倉智昭氏が亡くなったというニュースが流れた。
小倉さんは、秋田から東京に引っ越してきたときに入学した中学校が、私の卒業した中学校で、いってみれば大先輩に当たる。もちろん面識はない。
数年前だかに小倉さんの生い立ちを読んだかなにかで中学の先輩だと知った。
もう10年も前になろうかと思うが、所沢の国立職業リハビリテーションセンターで行なわれた何かの学会での講演で、氏の吃音についての話しが聴けた。実はワタシも吃音持ちで、喋りだすときに苦労しているのだが、吃音持ちでアナウンサーになった小倉さんはどうやって克服したのか、という話しを期待していたのだが実は全然克服されていなくって、テレビに出ていないところでは未だに頻繁にどもりが出るのだそうだ。
それで安心したとかいうわけではないけれど、その講演では苦労話も聴けて、ココロ晴れやかに帰宅したような覚えが
私の卒業した中学校は、ほかに浅野ゆう子、藤田朋子、滝沢カレンが卒業しているらしい。同級生たちとはいまやもう全然接点はなく、会うこともきっとないと思う。
小倉さんは、当時の仕事のためのほか、仕事をリタイアしたあとの楽しみとしてもCDやDVDを大量に保有し、自宅にリスニングルームやスクリーンを備えつけ、楽しみにしていたようだが、膀胱がんをわずらい、予定が狂ってしまった。
どこかの新聞だかに、「年取ったら映画や音楽や海外旅行を楽しみにしていたが、眼は衰えて観るものは楽しめず、海外旅行する体力もなくなった、こういうものは後のお楽しみにとっておかず、できるときにやらなければダメだ」という話しを語っていて、沢山の人がうなずいたと聞く。
ほんとう、その通りだよ、俺だって60になったとたんに体中がガタガタガタッとがたが来て、足腰急に弱りだしてスクワットもできなくなる、物忘れが激しくなってきて特に固有名詞、有名人友人問わず人の名前がぱたっと出てこなくなる。有村架純もえーとなんだっけ、あ、牧瀬里穂も出てこなくなる。テレビに映るタレントの殆どの名前が出てこないし、契約延長で勤めている会社の女性社員の名前もどんどん忘れる。あぁこうやってぼけていくんだなぁと思う。
折角なのでついでに言うと、まさか60歳と8カ月で使い物にならなくなるとは思わなかった。週刊現代だか週刊ポストだかが「死ぬまで○○○!」なんて特集を頻繁に組んでいたから、65過ぎても70過ぎてもそういうことは当然できるものだと思っていたよ・・・・・・
まぁ、余計な感情に左右されなくなったことはよいことだ、と肯定的に考えることにしているが・・・・・・
だ・か・ら、楽しみは後にとっておかずにできることはやっておかないとだめなんだよ・・・・・・ということを小倉先輩の闘病から教わりました。
あらためて小倉先輩のご冥福をお祈りします。
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