⚫ココロの風邪(過去)
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障がい者施設の臨時職員となった爺...
今日は臨時職員のお金事情を中心に話します。
務めた施設は、重度の障がいを持つ利用者さん達の入所施設だった。
分かりやすく例えると...
老人ホームの障がい者版でしょうか。
利用者さんは24時間そこで生活をしています。
爺の肩書きは生活支援員となりました。
勤務は変則勤務。
早番、日勤、遅番、夜勤がありました。
入所者は50名。
夜勤職員は男女1名ずつ。
男性職員は月に5〜6回の夜勤をしていました。
まずはストレートに当時の収入からお話しましょう。
フルタイムの変則勤務で夜勤(5〜6日)早番、遅番ありで...15万弱くらいだったかな。
切り詰めれば何とかなりそうですが、アパートを借りて、光熱費等を払って、車を維持するには無理がある金額でした。
こちらは車がなければ生活出来ません。
施設も車以外に通勤手段がありません。
だいたい、当時の爺の年間走行距離が15000km〜20000kmくらいでしたから、ガソリン代を考えてもアパート暮しは厳しかったでしょう。
ということで、爺は実家暮らしのまま、多少のお金を実家に入れて、生活をすることになりました。
そうそう、爺は休職期間はアパート暮らしでしたが、退職後に実家に帰り、失業手当も受け、震災の後のボランティアの間も実家にわずかですが、お金を毎月入れていました。
何故かと言うと...
爺の傷病手当金や失業手当がそれなりに大きな金額だったからです。
臨時職員の残業込みの給料より、はるかに大きな金額をもらっていました。
前の仕事はシビアで且つ大きなノルマもこなしていたので、こんなにおバカなのに給与の評価査定がいつも高かったのです。
昇給もボーナスも残業代も沢山だったので、標準報酬月額も異常だったのでしょう...
しかし、傷病手当金の頃は特にそうでしたが、世の中全てが怖くなったので、アパートの維持費、1軒のコンビニでの食費、医療費以外、お金を使わなかったので、傷病手当金で貯金が増えるという変わった生活をしていました。
だから、実家に毎月お金を入れていました。
なんだか脱線だらけのお話になりましたね。
この話の続きは、入所施設の生活支援員と軽いうつの経験について書こうと思います。
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