LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

アスワン行夜行列車に乗りこむ

1993年02月22日 | アフリカ日記
2月22日 (月) カイロ 快晴 (列車)

9時半起床。ホテルの勉強をしているターレックが書くホテルにメニューを取りに行くついでに昼MAADI駅でおろしてもらいサダト駅に。昨日まわった旅行会社の中から一番安かったNAJD MARINE TOURSでアテネまでのチケット(551P)を買う。そこの叔母ちゃんはやたら手際が悪く発券してもらうのに1時間以上かかった。俺の誕生日をごまかしていたりしていた。

MAADIに戻りケンタッキーで昼食。今日からラマダンが始まっていたので店内はがらがらであったが知ったことか、と食べまくり。外ではタバコも吸いまくった。道を迷いながらもどうにか帰宅。荷造りをしているとギゴが遊びに来て3人でMAADI CLUBで卓球。

5時40分駅へ送ってもらいムバラク駅へ。昨日アムールが教えてくれた11番ホームではなく隣のホームから午後7時丁度アスワンに向けて出発。ほぼ満席で隣には物静かなおじさんが座った。コーランを読んでいる人、ゲロを吐いている人、歌っている人などで社内はかなり騒がしかった。ヨーロッパのガイドブックなどを読みながらうとうとした。ちなみにトイレは最悪であった。

ムハンマド・アリ・モスク

1993年02月21日 | アフリカ日記
2月21日 (日) カイロ 快晴 (ターレックの家)

9時50分起床。ターレックが大学に行く途中にダウンタウン近くの駅にアムールと一緒に下ろしてもらいラムセス中央駅に。アスワン行きのチケット(26.6P)をとった。

タクシーに乗りムハンマド・アリ・モスクへ。アムールはここで2回もお祈りをしていた。ここから眺める市街は素晴らしかった。見るものもないポリスミュージアムなどを見て回りタクシーでタハリールへ。ギリシャまでのチケット探しとサングラスを買った。

6時過ぎ帰宅。何十箇所となく猫のダニにやられ顔はめちゃくちゃで痒い。買ったのみ薬はなんか怖くて飲めない。

ホームパーティにお呼ばれ

1993年02月20日 | アフリカ日記
2月20日 (土) カイロ 快晴 (ターレックの家)

8時起床。ターレックは大学なので今日は堀内さんにコプト博物館に連れて行ってもらった。

エンジンのかからなくなったターレックと車をMAADIに残して地下鉄に乗り4つめのマリキルギス駅に。このあたりはオールドカイロと呼ばれているところでコプト教に関する建物などがたくさん残っているカイロ発祥の地である。大学教授と一緒だと一つ一つの遺跡をただ通り過ぎるということはできず小さな博物館を2時間かけてみて回った。

昼食に高い卵焼き(4P)やチーズをはさんだパンなどを食べ、今度は聖ジョージ教会、バーバラ教会などをくまなく見て歩いた。3時半MAADIまで戻ってきてケンタッキーでチキンなどを買って帰宅した。

5時20分、ターレックも戻って着て山内さんという人の家庭に夕食に呼ばれた。私たち4人のほかにももう人家族呼ばれての食事であった。牛カツ、餃子、おにぎりなどがあり遠慮なく食べた。マーゲッドという男の子をからかって遊びとても楽しいひと時を過ごした。9時過ぎ皆で記念撮影をして帰宅。アムールが来て泊まった。

ドライクリーニングは1000円!

1993年02月19日 | アフリカ日記
2月19日 (金) カイロ 快晴 (ターレックの家)

11時起床。お兄さんの部屋にペインターがくるというのでとりあえず5時まで部屋空けられずボーっと過ごす。

夕方買出しに行く途中でおばさんに会い一緒に街へ。汚れたジャケットをクリーニング屋に出し食料品屋、肉屋、あとダニにやられた傷用に薬を買って戻ってきた。

フライドポテトとチキンの夕食。ギゴが遊びにやってきてパソコンゲームで遊んだ。あっという間に一日が過ぎ去った。

サッカラの階段ピラミッド

1993年02月18日 | アフリカ日記
2月18日 (木) カイロ 晴れ (ターレックの家)

8時前起床。シャワーを浴びて9時、5人で車に乗って出発。ギザのピラミッドをすぎて砂漠に近いところに小さな村があり、堀内さんが取材のために立ち寄りたいというのでターレックが通訳をかねて訪れたのだ。

鷹についての取材らしい。この村は本当にエジプトらしい雰囲気がした。汚い身なりで皆それぞれの事をしていた。村のすぐそこまで砂漠がきていた。村を離れると祭りをしているところがあり人形劇を見たがさっぱりわからなかった。悪い村長をやっつける話らしい。

堀内さんを下ろして3人でサッカラへ。1Pのみかんを食べながらのスリリングなドライブであった。サッカラには階段状のピラミッドがあり砂漠を隔ててたくさんのピラミッドが見えた。

3時半帰宅。ケンタッキーのホームデリバリーを待つ。

5時。アビールと友達のギゴを拾ってヘリオポリスのメリディアンホテルにこれまた友達のディナのバースデーパーティー(22歳)にいく。地下一階のディスコではアラビックミュージックなどに合わせて踊っていた。イスラム社会にこうやってミニスカートで踊れる場所があるとは思わなかった。下にイチゴのシロップがのたまったオレンジジュースはとてもおいしく最後に出てきたエクレアのようなケーキもうまかった。

9時半帰宅。帰宅したらターレックのお兄さんのベッドのマットが届いていて苦労して部屋まで上げた。

友達の家で

1993年02月17日 | アフリカ日記
2月17日 (水) カイロ 晴れ (ターレックの家)

10時半起床。
ハミーダさんと言うメイドがすでに洗濯などをして働いていた。彼女が作ってくれたパン生地の中に卵が入ったものですごくおいしくおかわりした。メイドさんは週3回9時から5,6時頃までで15Pだそうだ。安い。夕食も作るそうだ。

今友達(名前忘れた)が来てやたらケンスイをやっている。その友達の車で修理工場へ出かける。壊れた車を直しているらしくそこの少年が古いバッテリーをもってターレックのアパートに戻ってきた。手を真っ黒にしてバッテリーを付け直したもののエンジンはかからず、近所の人も手伝って押しがけでかけた。もう一度工場に戻り新しいバッテリーに付け替えた。145Pかかったらしい。

近くの総合施設にも行きビデオを借りた。テニス、卓球、プール、スカッシュ場などがありそこでは有名女優(らしい)がなんかの撮影をしていた。

夕食はチキンと豆のハヤシライスのようなものであった。アビール、メイドさんと一緒に写真をとった。メイドさんの働きには本当頭の下がる思いでもってきた新しい靴下をプレゼントした。ただ写真を撮るとき頭の布をとって姿をあらわしたのでびっくりした。そこには巨大なカリフラワーが。

夕方ターレックのおばさん(アメリカ大使館勤務)が来ていた。あと堀内さんの知り合いの女性も来ていてリビングルームで談笑していた。借りてきたビデオ「ユニバーサルソルジャー」を見て寝た。明日一緒にサッカラにいくアムルも下で寝ている。

おおピラミッド

1993年02月16日 | アフリカ日記
2月16日 (火) カイロ 晴れ (ターレックの家)

冷え込んだ夜であった。何度も目がさめダウンジャケットをも着込んだ。

6時半起床。荷物をフロントに預けてモガンマアのバス停に行く。8時過ぎ83番のバスに3,4番手で乗り込み前から2番目の席に陣取った。このバスの席はすべて座ることになっていて、席がすべて埋まった時点で客は乗れなくなる。つまり早いもの勝ち。そのためバスが入ってくる前に番号を識別し、そのバスが止まるところを推理し走らなければならないという弱肉強食バスなのである。

40分ほどして先生をしているという隣のおばさんに教えられてピラミッド近くでバスを下りた。少し遠くから見るピラミッドは威圧的でこんなものが4500年も前に作られたと言うのは驚きでしかない。

「らくだに乗れ」「馬はどうだ」「はがき、バッグ...」というしつこいアラブ人をふりきりながら一番大きなクフのピラミッドの中へ。かがみながら急な傾斜のトンネルを登ると大きな部屋に出た。こんなものを始めて発見した人の驚きが少なからず分かるような気がした。

バスで移動する日本人や欧米人を横目に見ながら歩いてカフラー王のピラミッドに。クフよりも回廊は長かった。次はスフィンクス。ここから3つのピラミッドがすべて見渡せ素晴らしい眺めであった。

いざカイロへ帰ろうと追ってもスフィンクスあたりからのバス停など分かるはずもなく警察官に聞いたところすごく遠いところにあるという。どうしようか、またきたところまで戻ろうにも遠すぎる。またらくだ親父の攻撃をかわさなければならない。ポリスとしゃべっているとタクシーの親父が出てきて、乗れと言う。とにかくすでに疲れていたので値段交渉に敗れ15Pで落ちた。車に乗った人々が書いたノートなどを見せられながらタハリールで下りた。このとき車に置き忘れたカメラをクラクション鳴らして返してくれてアラブに正直者がいるのだなと少し嬉しくなった。

何度も通っている道なのにまたまた迷いながらもケンタッキーを見つけ昼食。客がテーブルをあけるたびにマスタード、ケチャップの容器を拭くやつに感心した。

荷物を取りに宿に戻る。電話してもターレックが不在なのでコーヒーをすすりながらこれを書いている。ここは10階だというのにひっきりなしに鳴っているクラクションがとてもうるさい(どいつもこいつもすぐ鳴らす)。

午後2時45分、ターレックに電話がつながる。
3時20分、タハリールのサダト駅から地下鉄に乗り8つめのマーディ(MAADI)駅へ。4時待ち合わせで3時50分頃着いた。Maadiと付く駅が3つあり迷ったが4時過ぎ友達のアムルという人が迎えに来てくれてほっとした。

タクシーで5分くらい行ったところに家があった。久々にターレックと再開。職場の大阪ヒルトンで別れて以来だ。アムルがお茶を入れてくれてる間にターレックはステップマザーと買い物のため外出。夕方ターレックの彼女のアビールも来て夕食ハヤシライスによく似た味のバミアを食べた(まあまあ)。ケーキを食べた後カードでケントというゲームをした。

ここには堀内さんという夫妻が勉強のため訪れていて夜中台所で何かやっていた。11時頃アムルもアビールも帰ってソファーベッドのふとんにはいり寝ようとしたがターレックのいびきが以上にうるさいのでリビングルームにふとんを持って行き寝心地の悪い寒い夜を過ごした。

エジプト考古学博物館

1993年02月15日 | アフリカ日記
2月15日 (月) カイロ 晴れ (ORIENT PALACE)

7時起床。8時過ぎモガンモアで外国人登録。予想外にすぐ終わった。

この後ナイル川を見てエジプト考古学博物館へ。学生証で5P。中はまだきれいに整理されておらず大雑把でガイドもいないのでただ中をぶらぶら見て歩いた。2階にはあのツタンカーメンの黄金のマスク、棺などがあり素晴らしかった。ただここのポリス(?)には閉口した。写真を取らせてはチップをせがんでいた。

ケンタッキーフライドチキンに入り日本と変わらぬ味に安心した。アメックスのオフィスで100ドルを331Pに両替。普通の銀行ではトラベラーチェックは取り扱ってもらえなかった。

昼1時過ぎ、ピラミッドに行こうとバス停と83番のバスが近くまで行くということを聞き込み調査で突き止めたものの地元民との座席取りの戦いに敗れ、明日再戦することにした。

3時ごろ部屋に戻ってきて昼寝。夕方おきて晩飯を食べに行った。小汚いところでライスとマカロニのごった煮(コシャリと言うらしい1P)。見た目は最悪であったが味はまあまあ。値段も1Pの安さであった。

夜10時ターレックに電話がつながる。14日は友達を迎えによこしたらしいがモスクワからくることを知らなかったので日本からの便を調べて帰ったそうだ。