馬とモンゴル

乗馬によるモンゴル大自然の四季と牧民生活の折々を日記風に

ヘイトクライム考

2017-07-27 12:00:38 | 学校教育・義務教育

日本は後進国

昨夜、NHKでヘイトクライムについて
クローズアップ現代で二日連続放映されていた

近年は日本も健常者以外の姿を街中で普通に
接する機会が多くなってきた

それでも少ないというか本人も家族も世間態という壁に
遠慮しているのではないかと考察する

  

思えば私が子供の頃、非健常者の姿が皆無に
近い社会だったように思える

義務教育時代クラスに非健常者が
いなかったように記憶している

小学生時代一時期、軽い知的障害の女の子が学校に居た
学年は下だったが上級生たちが寄って集って

その子を苛めていたのを思い出す
女の子は学年でも背も小さく

泣き叫びながら抵抗していた(毎日のように)
半年ぐらいすると学校から居なくなっていた

これが私が見た虐めと健常者じゃない人の惨めさ(実態)

表に曝け出したくないものは陰に隠したがる
其処に集められた同じ境遇の人達への見る目

この歴史が日本には有る
個々の事例は此処では省く

やっと近年、日本は目覚めた

この事がこの問題を大きくしている

米国は

先進国の西欧や米国では昔から非健常者への
対応が進んでいる

米国ではワイルダーの大きな森の小さな家でも
姉が病気で目が見えなくなり家族も地域社会も

一緒になり健常者と変わらない社会を作り上げている
1840年代の話である

日本は如何だろう、メクラ・ツンボ・オシ等と蔑んだ時代
家族もそんな子ができると奥座敷に閉じ込め隠した

もっと子供時代から家族も地域も非健常者の
社会進出教育を行うべきだったのである

そういう意味では日本国という国は後進国である

  

米国に一年間滞在して感じたことは日本とは
真逆の社会という印象

ダウンタウンでもNYでも非健常者が沢山街中にいて
当たり前に生活し健常者がそれを普通に接している社会

こんな国と戦争をしたんだという思いがした

ショッピングセンター(モール)内を非健常者が
自己主張することなく当たり前に

健常者も分け隔てなく空気のように対応していた

モンゴルは

モンゴルにもメクラ・オシ・ツンボが沢山います
街中を集団で歩き回っています

車いすの人に子供たちが我先と集まり
階段を車いすを持ち上げ助けている

信号待ちしているメクラの人の腕を持ち
一緒に渡る姿は当たり前

爺さんも弱者には人一倍気を使います
助ける気持ちでです

  

元共産主義国家では珍しい現象じゃないかと思われます
きっと子供の頃から非健常者を見続け教育されているからだろう

そこはモンゴルの素晴らし一面である

ツンボの子供も大人も健常者の前で堂々と生きています
健常者の人達も非健常者に違和感を持っていない

マッチョの怖そうな青年が非健常者に優しいのを見ると
日本を思いだして違和感を覚える

モンゴルでは非健常者は邪魔な存在ではない
市民として立派な一員として過ごしている

必要とされている人間とさえ感じてしまう

近隣国は如何だろう
モンゴルに行き来する度、中国の北京空港を利用した
完璧なほど非健常者の姿がない

中国国民は全て健常者だけの社会と見えた
其処に日本社会の一面を見ていた

韓国も然り!
ソウル市内で非健常者を見た記憶がない

乗り換えで半日だけ滞在するためだから
見ることができなかったのか

結論

非健常者を国や町から必要ないもの
いらないものと考えさせるような国は異常である

やっとそのことに日本は気がつき出したのか

世界中で科学は人の遺伝子レベルまで研究が進んでいる
そこで証明された事は遺伝子には正常な配列ばかりじゃないこと

傷ついたり配列違い欠落遺伝子が有ることに

意思疎通ができない人間は排除すればいいという
人が育つ日本社会は間違っている

いつ何時、我が身や家族・友人・近所の家族に起こるかもしれぬ
それを理解できる社会が一日も早く成熟できる社会になれるよう

非健常者は要らない、必要じゃない社会から
身近に当たり前に存在す人達と思う社会

当事者が社会に不安を持たずごく普通に
生きていける国作りを私は願っている

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