P小桜川を遡ってみる。今日は最終回です。まずは地図を貼りましょう。
上平塚交差点のちょっと手前に歩道橋がありますね。H地点です。この歩道橋から撮影した写真です。
ちょっと見えにくいですが、セブンイレブンの看板の下にゼブラゾーンがあります。ここが昨日最後に説明したS地点です。
ここで昭和30年代後半の航空写真を貼りましょう。
小桜川が右に45度曲がってますが、その曲がってる箇所が現在の上平塚交差点です。
歩道橋を降りて撮影しました。
H地点からI地点に向けて撮影してます。周りはアスファルトなのに、ここだけなぜかコンクリート。明らかに何かが埋まってます。
今度はI地点の写真です。
ここで西を向くと、
S地点のゼブラゾーンが見えますね。昨日説明した通り、今私が立ってる道は明治時代からある道です。今は秦野街道のせいで分断、行き止まりになってます。
今度はL地点の写真。
昭和30年代後半の航空写真では中まで入ることができたのですが、現在ではこのようにフェンスで阻まれてます。この中は農業高校の農地。現在J地点は農業高校の畑の中にあるのです。ちなみに、J地点からP地点まで引いた点線は、当時のあぜ道です。
ちょっと廻り込んで、O地点へ。実はO地点では暗渠になってません。もし現在もO⇒J⇒I地点と暗渠がつながってるとすれば、O地点には暗渠の穴が開いてるはずです。
これがO地点の写真です。
もし思った通りの暗渠があるのなら、橋の下に暗渠の穴が開いてるはず。橋の下をのぞいてみると・・・
残念、暗渠の穴はありませんでした。てことは、暗渠はL地点で終わってる? そこでL地点に戻ってみることにしました。
これはL地点からM地点を写した写真。
右と左と明らかに違うコンクリートが打設されてますね。もしかしたらこのコンクリートの下に小桜川の暗渠があるのかも? とりあえずこのコンクリートを辿ってみることにしました。
今度はM地点からN地点を見た写真。
左に見える街道は秦野街道です。逆にN地点からM地点を写した写真。
足下のグレーチングだけ逆に寄ってますね。N地点には農地があり、農業用水路があります。これが農業用水路の写真です。
どうですか、水が暗渠に流れ込んでるように見えませんか? まあ、実はそれを目視するためには一度田んぼに入らないといけません。今は農閑期で田んぼは可動してませんが、さすがに人様の田んぼに入るのは気が引けます。そんなわけで、ここは暗渠と農業用水路がつながってると仮定することにしました。
農業用水路は続きます。
遠くに見える橋は、前述のO地点です。
今度はP地点。
ここでまた暗渠になります。
この先には池があります。Q地点です。
この池の名前は達上池(たんじょういけ)。はて、私はずーっと「たんじょ池」と記憶してたのですが?、ここでは公式書類で使われている達上池という名称を使いましょうか。
達上池のP地点に近いところには、こんな装置がありました。
どうやらこの水がP地点の暗渠に流れ込んでいるようです。つまり小桜川の源流は、この装置だったのです。むむ、これは意外でした。
最後に、昭和30年代後半の航空写真では、K地点で小桜川は終わってました。
しかし、ここで小桜川が終わってるとはとうてい思えないんですがねぇ。昔ここに泉でもあったのかなあ? 実はここにはこんな杭の標識がありました。
上平塚温泉発祥の地。調べてみたら、明治中頃ここで温泉(正確には鉱泉)が湧いて、一時期は温泉宿が立ち並んだそうです。今は温泉宿は微塵もありませんが、実は平塚温泉はまだ生きてるそうです。てことは、その温泉を流すための用水路だった? いやいや、温泉は田畑にはよくないはず。それはないんじゃないかな?
しかし、なんでここにクルマ止めがあるんでしょうねぇ。
この先も車道があるのですが?
上平塚交差点のちょっと手前に歩道橋がありますね。H地点です。この歩道橋から撮影した写真です。
ちょっと見えにくいですが、セブンイレブンの看板の下にゼブラゾーンがあります。ここが昨日最後に説明したS地点です。
ここで昭和30年代後半の航空写真を貼りましょう。
小桜川が右に45度曲がってますが、その曲がってる箇所が現在の上平塚交差点です。
歩道橋を降りて撮影しました。
H地点からI地点に向けて撮影してます。周りはアスファルトなのに、ここだけなぜかコンクリート。明らかに何かが埋まってます。
今度はI地点の写真です。
ここで西を向くと、
S地点のゼブラゾーンが見えますね。昨日説明した通り、今私が立ってる道は明治時代からある道です。今は秦野街道のせいで分断、行き止まりになってます。
今度はL地点の写真。
昭和30年代後半の航空写真では中まで入ることができたのですが、現在ではこのようにフェンスで阻まれてます。この中は農業高校の農地。現在J地点は農業高校の畑の中にあるのです。ちなみに、J地点からP地点まで引いた点線は、当時のあぜ道です。
ちょっと廻り込んで、O地点へ。実はO地点では暗渠になってません。もし現在もO⇒J⇒I地点と暗渠がつながってるとすれば、O地点には暗渠の穴が開いてるはずです。
これがO地点の写真です。
もし思った通りの暗渠があるのなら、橋の下に暗渠の穴が開いてるはず。橋の下をのぞいてみると・・・
残念、暗渠の穴はありませんでした。てことは、暗渠はL地点で終わってる? そこでL地点に戻ってみることにしました。
これはL地点からM地点を写した写真。
右と左と明らかに違うコンクリートが打設されてますね。もしかしたらこのコンクリートの下に小桜川の暗渠があるのかも? とりあえずこのコンクリートを辿ってみることにしました。
今度はM地点からN地点を見た写真。
左に見える街道は秦野街道です。逆にN地点からM地点を写した写真。
足下のグレーチングだけ逆に寄ってますね。N地点には農地があり、農業用水路があります。これが農業用水路の写真です。
どうですか、水が暗渠に流れ込んでるように見えませんか? まあ、実はそれを目視するためには一度田んぼに入らないといけません。今は農閑期で田んぼは可動してませんが、さすがに人様の田んぼに入るのは気が引けます。そんなわけで、ここは暗渠と農業用水路がつながってると仮定することにしました。
農業用水路は続きます。
遠くに見える橋は、前述のO地点です。
今度はP地点。
ここでまた暗渠になります。
この先には池があります。Q地点です。
この池の名前は達上池(たんじょういけ)。はて、私はずーっと「たんじょ池」と記憶してたのですが?、ここでは公式書類で使われている達上池という名称を使いましょうか。
達上池のP地点に近いところには、こんな装置がありました。
どうやらこの水がP地点の暗渠に流れ込んでいるようです。つまり小桜川の源流は、この装置だったのです。むむ、これは意外でした。
最後に、昭和30年代後半の航空写真では、K地点で小桜川は終わってました。
しかし、ここで小桜川が終わってるとはとうてい思えないんですがねぇ。昔ここに泉でもあったのかなあ? 実はここにはこんな杭の標識がありました。
上平塚温泉発祥の地。調べてみたら、明治中頃ここで温泉(正確には鉱泉)が湧いて、一時期は温泉宿が立ち並んだそうです。今は温泉宿は微塵もありませんが、実は平塚温泉はまだ生きてるそうです。てことは、その温泉を流すための用水路だった? いやいや、温泉は田畑にはよくないはず。それはないんじゃないかな?
しかし、なんでここにクルマ止めがあるんでしょうねぇ。
この先も車道があるのですが?