谷川を辿る旅。今日はまずM地点の写真です。
右手側に何か写ってますね。これをドアップにすると
今までここに何度か貼り付けていた高札型看板はここにあったのです。さらにその足元には
昔ここに架かっていた谷川橋の欄干が移設してありました。どうやら橋の半分のようです。ちなみに、ここの道は
現在は旧伊勢原街道と呼ばれてる道。江戸時代は中原街道と呼ばれてた道でした。主要街道の中原街道です。葛飾北斎も通った可能性があります。葛飾北斎が描いた冨嶽三十六景相州仲原はこの付近で描いた可能性があります。
ここで冨嶽三十六景相州仲原の錦絵を貼りましょう。
この絵の向こうは荒野(田んぼ?)になってます。ここは中原街道だから、当時この近辺にはたくさんの家が建ってたはず。ただ、もう少し東に行くと荒野(田?)なので、そのあたりで富士山を見たのかもしれませんね。ちなみに、この地点の住所は平塚市御殿2丁目4です。
冨嶽三十六景相州仲原の場所が見つかりました(可能性ですが)が、さらに谷川の暗渠を遡りましょう。
旧伊勢原街道を越えると、また車道です。
こはN地点。ここから道幅が広がります。
さらにM地点。
大きな道が横切ってますが、これは(現)伊勢原街道です。
ここで振り返って撮影。
伊勢原街道を渡って反対側を撮影。
我が記憶だと、10年くらい前までこの道のど真ん中には小川(谷川)が流れていたんですが、ここも暗渠にされてしまいました。
ここで地図を替えましょう。
道は続きます。
P地点です。
突き当たりに何かありますね。近くに寄って見てみましょう。
プレートがありました。読むと「やが(か)わしんきよう」 谷川新橋? どうやら谷川に架かっていた橋の欄干の名残のようです。しかし、半分以上埋まってますねぇ。この付近、土でかさ上げしたのかな?
立ち上がって先を見ると
区画された草むらが。ここも暗渠のようですが、こんな暗渠は初めて見ます。今までの暗渠は車道か歩道でしたが、ここは立ち入り禁止になってるのです。これじゃ暗渠にした意味がないですよねぇ。なんで暗渠にしたんだろ?
次はこの草むら暗渠の終点、Q地点です。
この先は工場の巨大な敷地です。
今日はここまでにしましょうか。