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冨嶽三十六景相州仲原で描かれたと思われる谷川を遡る旅。今日はいよいよ最終回です。前回は巨大な工場の敷地を前にして終了しましたが、その工場は第一三共プロファーマの工場でした。この工場はパイロット通りの両側にあります。本当だったら工場の敷地に入って撮影したいのですが、まあ私有地です。今回は門から撮影しました。R地点です。
これは西方向の写真。
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昭和30年代後半に撮影された航空写真通りに谷川が暗渠になっていれば、暗渠はこの出入り口の真ん中に入ってるはず。180°振り返ると、同じ工場の東半分があります。
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やはりこの真ん中に暗渠が入ってるはずです。そう言えば、先日下田川の開渠を発見した工場も第一三共ケミカルファーマでしたね。向こうの工場はパイプ剥き出しの昭和40年代前半て感じがありましたが、こっちの工場は近代的です。
あるHPによると、この工場内で谷川の発掘調査が行われたことがあると書いてありました。それを読むと、歴史上谷川は1.5m埋め立てられたと書いてあったのですが、昭和30年代後半の航空写真では谷川があります。江戸時代1.5mだけ暗渠になってたと解釈しましょうか。
今度は工場の裏手に廻って見ましょう。ここで地図を替えます。
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まずはS地点。
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突き当たりのフェンスの向こうは第一三共プロファーマの工場。振り返ると
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再びの直線道路。谷川の暗渠はこの中心に埋まってるはずです。
この道を行くと
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マツモトキヨシの店舗がある交差点に出ました。T地点です。実は現在マツモトキヨシがある場所には
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明治には池があったのです。この池の名前はHPによって変わってて、谷川池・谷川の池・神明池などがあります。時代によって名前が変わったのかな? それとも池の位置が微妙に移動してた?
さらにこの池のすぐ東隣りにはもう1つ池があったようです。その池の名前は舟窪池。ただ、明治時代の地図にはすでに舟窪池は描かれてないので、ここでは無視することにします。
昭和30年代後半の航空写真では谷川はさらに続いてるのですが、それは農業用水路と判定し、ここを谷川の源流にしようと思いました。が、マツモトキヨシの反対側を見ると
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なんと、川面がありました。谷川はここでようやく姿を現し、続いていたのです。
近くに寄って撮影すると
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これはかなり続いてますねぇ。裏に廻ってみることにしましょう。
ここが先ほどの裏、U地点です。
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ここでようやく川は終わりました。実は昭和30年代後半の航空写真でも、農業用水路はここで終わってます。ここが現在の谷川の源流のようです。