帰りの時間になった。オレたち3人は喫茶店の外に出た。と、男子高校生はオレに向かって再び深々と頭を下げた。
「いろいろとご迷惑をかけて、すみませんでした」
謝ってもらえるのは嬉しいけど、別にそこまで腰を低くすることはないだろって。だいたいオレはあんたから何も被害を受けてないよ。こいつ、本当にいいヤツだな。
オレたち3人は、それぞれ別の方に向かって歩き出した。が、次の瞬間、異変が起きた。1つの人影が飛び出し、男子高校生に当身を喰らわしたのだ。そいつは男万引きGメンに凶刃を振るった男子高校生だった。あのときとまったく同じ、男子高校生をナイフで刺したのだ。男子高校生の声にならない悲鳴が響いた。
「うぐぁっ!」
「おまえ、1人で何いい子になってんだよ」
刺した高校生がそういうと、刺された男子高校生の身体が崩れ落ちた。
「おい、何やってんだよ!」
オレは反射的にそいつに向かって駆けだした。
「おっと!」
刺した男子高校生は、今度はオレに向かってナイフを振り上げた。オレは急停止。ぎりぎりでなんとかナイフを交わした。次の瞬間、刺した男子高校生は逃げ出した。くそーっ、あいつは根っからの悪党だったのかよ!
「ねぇ、しっかりして! しっかりしてよ!」
それは女万引きGメンの声だ。振り返ると彼女は男子高校生の半身を抱きかかえていた。激しい出血だ。オレはすぐさまスマホを取り出し、119番した。
が、救急車はなかなか来てくれなかった。時間がやたら長く感じた。男子高校生はかなり苦しそうだった。オレはなんとかしたかったが、こんなときのオレは、やはり無力だった。ただ見てるしかなかった。男子高校生を励ます女万引きGメンの声が、いつしか涙声に変わっていた。
やっと、やっと救急車が来た。救急隊員が男子高校生の身体を救急車に乗せた。一刻を争う大ケガだ。救急車はすぐに出発した。
オレも救急車に同乗した。女万引きGメンも救急車に乗りたかったようたが、警察の事情聴取があるから残ることにした。本当だったらオレが事情聴取に応じるべきだったのかもしれないが、オレは見てはいけないものを見てしまった。男子高校生がストレッチャーに乗せられるとき、その頭に死神が立っていたのだ。こいつは一大事だ。なんとかとしないと、こいつは死んでしまう。彼女に頼みこんで、オレが救急車に同乗することにした。
救急車の中、男子高校生はさらに苦しくなっていた。きえぎえに唸り声をあげていた。その頭の上には、相変わらず死神が立っていた。やっぱりかわいくって幼い女の子だ。
オレは最初に出会った死神の言葉を思い出した。
「もし死ぬ間際だったら枕元に立つ。死んだら魂が抜け出すから、すぐさま回収できるように枕元に立つの。こうなったらもうおしまい。誰にも邪魔することはできないわ」
その話がもし本当なら、こいつはもうおしまいだ。くそーっ、なんとかなんないのかよ? ちと死神に事情を話して許してもらおうか?… いや、そんなことで動く死神じゃないだろって。ああ、何かいい手はないのか?
いや、もしかしたらこんな状況下でも魔法の呪文を唱えたら、この死神は消えるんじゃないのか? ええーい、どうせ死ぬんだよ。やっちまえ!
オレは呪文を唱えることにした。ちょっと…、いや、かなり恥ずかしい呪文だが、救急隊員の眼なんか、今はなんにも怖くないぞ。よし!
「パンプルピンプルパムポップン! ピンプルパンプルパムポップン!」
思いきってその呪文を唱えると、死神は「えっ?」とした顔を見せ、次の瞬間パッと消えた。やった、成功だ! なんだよ、なんの問題なく消えたじゃんかよ! あいつ、ウソつきやがって!
救急隊員たちは唖然とした眼でオレに視線を浴びせたが、次の瞬間、それ以上の驚愕に見舞われた。なんと刺された男子高校生が眼を醒ましたのだ。その表情は何事もなかったように晴れ晴れとしていた。
「あれ、なんでオレ、こんなところにいるんだ?」
どうやら何が起きたのか、ぜんぜん覚えてないらしい。ともかく彼は救われた。よかった、よかった。
救急車が病院に到着した。男子高校生のためにストレッチャーが用意されたが、彼にそれは不要だった。ま、最終的にはそれに乗せられ病院に入って行ったが。
オレも彼に続いて病院の中に入ろうとしたが、そのときふいに背後から声がかかった。
「あなた、なんてことしてくれたの?」
振り返ると、そこには最初に出会った死神が立っていた。
「おいおい、地球の裏側まで飛んでったんじゃないのかよ?」
「あんなインチキな呪文で私を飛ばせると思うの? せいぜい数キロメートルよ!」
なんだよ、やっぱちゃんとした呪文じゃないといけないのかよ。
「それより、あなた、自分が今何やったのか、わかってんの? 私、言ったよね。枕元に死神が立っていたらおしまいだって」
「それがなんだってゆーんだよ? おまえこそ、ウソ言ってたんじゃないのか? 死神が枕元に立ってるからって、呪文を唱えたら死神は消えちまったじゃんかよ!」
「それがいけないのよ! あなたが呪文を唱えたせいで、あなたの命とあの子の命が入れ替わったのよ!」
ええっ? てことは…
「いい、あなたの命はあと30分よ、あと30分もすればあなたはきれいさっぱり死ぬの!」
オレはその言葉を聞いてクラっときた。オレの命があと30分だなんて、ほ、ほんとかよ…
「オ、オレ、どうすりゃいいんだよ…」
「知らないわよ。全部ノートを返さなかったあなたがいけないのよ!
だいたいあのノートは一回触れただけで一生死神を見ることができたし、魔法の呪文も一生使えたし!」
そ、そんな秘密の設定があったなんて…
「なんだよ、それ? ふざけんなよ! あんたがあのとき説明しなかったからいけないんだろ! なんとかしろよ!」
「説明しようにも、あなた、あのとき、私を飛ばしちゃったじゃん!」
そうだ。オレはあのとき、こいつを地球の裏側に飛ばしちまったんだ。
な、なんとかしないと… そうだ、ノートだ! オレはカバンからノートを取り出した。
「これ、返すからさぁ、オレの命、助けてくれよ!」
「バカ、今更何やったって遅いわよ!」
な、なんだとーっ! オレは両手でノートを引きちぎるポーズを見せてやった。
「じゃ、このノート、破ってやるよ!」
「ま、待って!」
さすがにこの行為は死神を慌てさせたようだ。
「わ、わかったわよ。来て」
死神は振り返ると歩き始めた。オレはそのあとを追いかけた。
歩いた距離は300メートルくらいか。かわいい死神はひとけがまったくない雑居ビルの前に立った。このビルにいったい何があるんだ?
死神は裏木戸のようなアルミのドアを開けた。中には地下に伸びる階段があった。死神は振り返り、オレの眼を見た。一緒に階段を降りろと言ってるようだ。オレは彼女に続いて階段を降りていった。
階段の周りはコンクリートで覆われていた。なのに途中からすべてがゴツゴツとした岩肌になった。ほんの一瞬で変わってしまったのだ。まるで海岸にある洞窟みたいな感じだ。振り返ると、真後ろもゴツゴツとした岩肌だった。今降りてきたコンクリート製の階段は完全に消えていた。
下には無数のろうそくが輝いていた。ここは黄泉の国か? さすが死神、雑居ビルの地下室と黄泉の国をつなげやがったよ。
オレとやつは地下の平らなところに到達した。見るとろうそくの長さは大小バラバラだった。中にはオレの背丈と同じくらいのろうそくもあったし、もう少しで燃え尽きそうなろうそくもあった。ろうそくは太さもバラバラで、直径60cmくらいのものもあれば、10cmくらいのものもあった。オレは直感でわかった。このろうそく1本1本は、人の命そのものなんだと。
死神はここでようやく口を開いた。
「このろうそく、なんだかわかるよね?」
「人の命だろ?」
死神はニヤっと笑った。ああ、じれったいなあ。
「おい、オレのろうそくはどれだよ?」
死神は再びニコっとして、そしてしゃがんだ。ヤツの目の前にはもう燃え尽きそうなろうそくがあった。
「これよ。おやおや、想像してる以上に燃えてるよ。燃え尽きるまであと5分ってところかな?」
ご、5分かよ。しかし、こいつ、心底笑ってやがるなあ。むかつく…
「おい、代わりのろうそくはないのか?」
と、死神はいつの間にか1本のろうそくを握っており、それをオレに見せた。長さ60cm、太さ30cmくらいのろうそくだ。
「新品はあげられないけど、これくらいならいいかな」
オレはそのろうそくを受け取ると、燃え尽きそうになってるろうそくの火をそれに移した。と同時に古いろうそくは燃え尽きた。ふーっ、助かった。
「私ねぇ、やっぱ人間に格下げだって。さっき連絡があったんだ。あと3時間もすれば、私はもう人間よ」
死神がぽつりと言った。オレは自分の命が助かった安心感で、その言葉にはあまり興味を持てなかった。が、続く言葉、いや、脅迫には反応してしまった。
「人間になったらあなたに憑りついてやるからね! 60年憑りついてやる! あなたの一生をぐちゃぐちゃにしてやるから!」
こりゃあ完全に怒ってるな。オレは何か言い返そうと思ったが、いい言葉がみつからなかった。と、ここで死神は急に声色を変えた。
「ところでさあ、ここ、どこだかわかる?」
「え?、ここは命のろうそくが…」
「あははははは、バカねぇ! 地球には今70億を超える人口があるのよ。ここにあるろうそくってせいぜい200本くらい。命のろうそくなんて真っ赤なウソよ!」
おいおい、こいつ、オレを騙してたのかよ。
「ねぇ、あなたが今握ってるもの、なんだと思う?」
オレは自分が握っているろうそくを見た。これ、どう見てもろうそくなのだが…
「それ、ダイナマイトよ。もう爆発するんじゃないかな」
ええつ?
「バイバイ」
と、死神はふっと消えてしまった。冗談じゃねーよ! オレはろうそくを投げ捨て、それとは真逆の方向に走り出した。が、遅かった。ピカっと光って、強烈な熱風が背後からオレの肉体を襲ってきた。ものすごい衝撃。身体が引きちぎられる感覚。無念。オレは気を失ってしまった。
ジリジリジリジリ~ 目覚まし時計が鳴った。オレは手を伸ばして目覚まし時計を止めた。夢か。ああ、なんてリアルな夢だったんだ… ち、まだ眠いや。あと5分。オレは再び布団を被った。
トントントントントン。誰かがまな板で何かを切ってる音だ。いい音だ。いや、ちょっと待て。ここはオレしかいない部屋だろ? なんだよ、この音?
オレが今いるアパートの部屋は、外からドアを開けるとすぐに小さなDKがある。さらにその奥が、今オレが布団を被ってる部屋だ。今誰かがシステムキッチンで朝食を作ってるようだ。誰だよ、いったい?
オレは起き上がり、目の前の引き戸を開けた。そこには小学生と思われる女の子がいて、食事を作っていた。女の子がオレを見た。
「あ、お兄ちゃん、おはよう!」
ええ、お兄ちゃんって? オレ、一人っ子だぞ。誰だよ、こいつ?
が、その顔には見覚えがあった。服装はふつーの小学生だが、印象深いボブヘア。こ、こいつ、死神じゃんか! 夢の中に出てきた死神だよ! あれは夢じゃなかったのかよ?
「お兄ちゃん、もう起きて。学校遅れるよ」
死神はニコっと笑った。本来ならかわいい微笑みなんだろうけど、オレからしてみりゃ、薄気味悪い笑いだ。
こいつ、本当にオレに憑りつきやがった。オレ、こんなやつと一緒に暮らすのか? 最低だ、なんて最低なんだ…
おわり
「いろいろとご迷惑をかけて、すみませんでした」
謝ってもらえるのは嬉しいけど、別にそこまで腰を低くすることはないだろって。だいたいオレはあんたから何も被害を受けてないよ。こいつ、本当にいいヤツだな。
オレたち3人は、それぞれ別の方に向かって歩き出した。が、次の瞬間、異変が起きた。1つの人影が飛び出し、男子高校生に当身を喰らわしたのだ。そいつは男万引きGメンに凶刃を振るった男子高校生だった。あのときとまったく同じ、男子高校生をナイフで刺したのだ。男子高校生の声にならない悲鳴が響いた。
「うぐぁっ!」
「おまえ、1人で何いい子になってんだよ」
刺した高校生がそういうと、刺された男子高校生の身体が崩れ落ちた。
「おい、何やってんだよ!」
オレは反射的にそいつに向かって駆けだした。
「おっと!」
刺した男子高校生は、今度はオレに向かってナイフを振り上げた。オレは急停止。ぎりぎりでなんとかナイフを交わした。次の瞬間、刺した男子高校生は逃げ出した。くそーっ、あいつは根っからの悪党だったのかよ!
「ねぇ、しっかりして! しっかりしてよ!」
それは女万引きGメンの声だ。振り返ると彼女は男子高校生の半身を抱きかかえていた。激しい出血だ。オレはすぐさまスマホを取り出し、119番した。
が、救急車はなかなか来てくれなかった。時間がやたら長く感じた。男子高校生はかなり苦しそうだった。オレはなんとかしたかったが、こんなときのオレは、やはり無力だった。ただ見てるしかなかった。男子高校生を励ます女万引きGメンの声が、いつしか涙声に変わっていた。
やっと、やっと救急車が来た。救急隊員が男子高校生の身体を救急車に乗せた。一刻を争う大ケガだ。救急車はすぐに出発した。
オレも救急車に同乗した。女万引きGメンも救急車に乗りたかったようたが、警察の事情聴取があるから残ることにした。本当だったらオレが事情聴取に応じるべきだったのかもしれないが、オレは見てはいけないものを見てしまった。男子高校生がストレッチャーに乗せられるとき、その頭に死神が立っていたのだ。こいつは一大事だ。なんとかとしないと、こいつは死んでしまう。彼女に頼みこんで、オレが救急車に同乗することにした。
救急車の中、男子高校生はさらに苦しくなっていた。きえぎえに唸り声をあげていた。その頭の上には、相変わらず死神が立っていた。やっぱりかわいくって幼い女の子だ。
オレは最初に出会った死神の言葉を思い出した。
「もし死ぬ間際だったら枕元に立つ。死んだら魂が抜け出すから、すぐさま回収できるように枕元に立つの。こうなったらもうおしまい。誰にも邪魔することはできないわ」
その話がもし本当なら、こいつはもうおしまいだ。くそーっ、なんとかなんないのかよ? ちと死神に事情を話して許してもらおうか?… いや、そんなことで動く死神じゃないだろって。ああ、何かいい手はないのか?
いや、もしかしたらこんな状況下でも魔法の呪文を唱えたら、この死神は消えるんじゃないのか? ええーい、どうせ死ぬんだよ。やっちまえ!
オレは呪文を唱えることにした。ちょっと…、いや、かなり恥ずかしい呪文だが、救急隊員の眼なんか、今はなんにも怖くないぞ。よし!
「パンプルピンプルパムポップン! ピンプルパンプルパムポップン!」
思いきってその呪文を唱えると、死神は「えっ?」とした顔を見せ、次の瞬間パッと消えた。やった、成功だ! なんだよ、なんの問題なく消えたじゃんかよ! あいつ、ウソつきやがって!
救急隊員たちは唖然とした眼でオレに視線を浴びせたが、次の瞬間、それ以上の驚愕に見舞われた。なんと刺された男子高校生が眼を醒ましたのだ。その表情は何事もなかったように晴れ晴れとしていた。
「あれ、なんでオレ、こんなところにいるんだ?」
どうやら何が起きたのか、ぜんぜん覚えてないらしい。ともかく彼は救われた。よかった、よかった。
救急車が病院に到着した。男子高校生のためにストレッチャーが用意されたが、彼にそれは不要だった。ま、最終的にはそれに乗せられ病院に入って行ったが。
オレも彼に続いて病院の中に入ろうとしたが、そのときふいに背後から声がかかった。
「あなた、なんてことしてくれたの?」
振り返ると、そこには最初に出会った死神が立っていた。
「おいおい、地球の裏側まで飛んでったんじゃないのかよ?」
「あんなインチキな呪文で私を飛ばせると思うの? せいぜい数キロメートルよ!」
なんだよ、やっぱちゃんとした呪文じゃないといけないのかよ。
「それより、あなた、自分が今何やったのか、わかってんの? 私、言ったよね。枕元に死神が立っていたらおしまいだって」
「それがなんだってゆーんだよ? おまえこそ、ウソ言ってたんじゃないのか? 死神が枕元に立ってるからって、呪文を唱えたら死神は消えちまったじゃんかよ!」
「それがいけないのよ! あなたが呪文を唱えたせいで、あなたの命とあの子の命が入れ替わったのよ!」
ええっ? てことは…
「いい、あなたの命はあと30分よ、あと30分もすればあなたはきれいさっぱり死ぬの!」
オレはその言葉を聞いてクラっときた。オレの命があと30分だなんて、ほ、ほんとかよ…
「オ、オレ、どうすりゃいいんだよ…」
「知らないわよ。全部ノートを返さなかったあなたがいけないのよ!
だいたいあのノートは一回触れただけで一生死神を見ることができたし、魔法の呪文も一生使えたし!」
そ、そんな秘密の設定があったなんて…
「なんだよ、それ? ふざけんなよ! あんたがあのとき説明しなかったからいけないんだろ! なんとかしろよ!」
「説明しようにも、あなた、あのとき、私を飛ばしちゃったじゃん!」
そうだ。オレはあのとき、こいつを地球の裏側に飛ばしちまったんだ。
な、なんとかしないと… そうだ、ノートだ! オレはカバンからノートを取り出した。
「これ、返すからさぁ、オレの命、助けてくれよ!」
「バカ、今更何やったって遅いわよ!」
な、なんだとーっ! オレは両手でノートを引きちぎるポーズを見せてやった。
「じゃ、このノート、破ってやるよ!」
「ま、待って!」
さすがにこの行為は死神を慌てさせたようだ。
「わ、わかったわよ。来て」
死神は振り返ると歩き始めた。オレはそのあとを追いかけた。
歩いた距離は300メートルくらいか。かわいい死神はひとけがまったくない雑居ビルの前に立った。このビルにいったい何があるんだ?
死神は裏木戸のようなアルミのドアを開けた。中には地下に伸びる階段があった。死神は振り返り、オレの眼を見た。一緒に階段を降りろと言ってるようだ。オレは彼女に続いて階段を降りていった。
階段の周りはコンクリートで覆われていた。なのに途中からすべてがゴツゴツとした岩肌になった。ほんの一瞬で変わってしまったのだ。まるで海岸にある洞窟みたいな感じだ。振り返ると、真後ろもゴツゴツとした岩肌だった。今降りてきたコンクリート製の階段は完全に消えていた。
下には無数のろうそくが輝いていた。ここは黄泉の国か? さすが死神、雑居ビルの地下室と黄泉の国をつなげやがったよ。
オレとやつは地下の平らなところに到達した。見るとろうそくの長さは大小バラバラだった。中にはオレの背丈と同じくらいのろうそくもあったし、もう少しで燃え尽きそうなろうそくもあった。ろうそくは太さもバラバラで、直径60cmくらいのものもあれば、10cmくらいのものもあった。オレは直感でわかった。このろうそく1本1本は、人の命そのものなんだと。
死神はここでようやく口を開いた。
「このろうそく、なんだかわかるよね?」
「人の命だろ?」
死神はニヤっと笑った。ああ、じれったいなあ。
「おい、オレのろうそくはどれだよ?」
死神は再びニコっとして、そしてしゃがんだ。ヤツの目の前にはもう燃え尽きそうなろうそくがあった。
「これよ。おやおや、想像してる以上に燃えてるよ。燃え尽きるまであと5分ってところかな?」
ご、5分かよ。しかし、こいつ、心底笑ってやがるなあ。むかつく…
「おい、代わりのろうそくはないのか?」
と、死神はいつの間にか1本のろうそくを握っており、それをオレに見せた。長さ60cm、太さ30cmくらいのろうそくだ。
「新品はあげられないけど、これくらいならいいかな」
オレはそのろうそくを受け取ると、燃え尽きそうになってるろうそくの火をそれに移した。と同時に古いろうそくは燃え尽きた。ふーっ、助かった。
「私ねぇ、やっぱ人間に格下げだって。さっき連絡があったんだ。あと3時間もすれば、私はもう人間よ」
死神がぽつりと言った。オレは自分の命が助かった安心感で、その言葉にはあまり興味を持てなかった。が、続く言葉、いや、脅迫には反応してしまった。
「人間になったらあなたに憑りついてやるからね! 60年憑りついてやる! あなたの一生をぐちゃぐちゃにしてやるから!」
こりゃあ完全に怒ってるな。オレは何か言い返そうと思ったが、いい言葉がみつからなかった。と、ここで死神は急に声色を変えた。
「ところでさあ、ここ、どこだかわかる?」
「え?、ここは命のろうそくが…」
「あははははは、バカねぇ! 地球には今70億を超える人口があるのよ。ここにあるろうそくってせいぜい200本くらい。命のろうそくなんて真っ赤なウソよ!」
おいおい、こいつ、オレを騙してたのかよ。
「ねぇ、あなたが今握ってるもの、なんだと思う?」
オレは自分が握っているろうそくを見た。これ、どう見てもろうそくなのだが…
「それ、ダイナマイトよ。もう爆発するんじゃないかな」
ええつ?
「バイバイ」
と、死神はふっと消えてしまった。冗談じゃねーよ! オレはろうそくを投げ捨て、それとは真逆の方向に走り出した。が、遅かった。ピカっと光って、強烈な熱風が背後からオレの肉体を襲ってきた。ものすごい衝撃。身体が引きちぎられる感覚。無念。オレは気を失ってしまった。
ジリジリジリジリ~ 目覚まし時計が鳴った。オレは手を伸ばして目覚まし時計を止めた。夢か。ああ、なんてリアルな夢だったんだ… ち、まだ眠いや。あと5分。オレは再び布団を被った。
トントントントントン。誰かがまな板で何かを切ってる音だ。いい音だ。いや、ちょっと待て。ここはオレしかいない部屋だろ? なんだよ、この音?
オレが今いるアパートの部屋は、外からドアを開けるとすぐに小さなDKがある。さらにその奥が、今オレが布団を被ってる部屋だ。今誰かがシステムキッチンで朝食を作ってるようだ。誰だよ、いったい?
オレは起き上がり、目の前の引き戸を開けた。そこには小学生と思われる女の子がいて、食事を作っていた。女の子がオレを見た。
「あ、お兄ちゃん、おはよう!」
ええ、お兄ちゃんって? オレ、一人っ子だぞ。誰だよ、こいつ?
が、その顔には見覚えがあった。服装はふつーの小学生だが、印象深いボブヘア。こ、こいつ、死神じゃんか! 夢の中に出てきた死神だよ! あれは夢じゃなかったのかよ?
「お兄ちゃん、もう起きて。学校遅れるよ」
死神はニコっと笑った。本来ならかわいい微笑みなんだろうけど、オレからしてみりゃ、薄気味悪い笑いだ。
こいつ、本当にオレに憑りつきやがった。オレ、こんなやつと一緒に暮らすのか? 最低だ、なんて最低なんだ…
おわり