日々のメモ帳

日常生活での、ちょっと気になった事や、面白かった事などメモしていきます。

お盆休みでの考え事(特に老人介護)

2014-08-17 18:08:37 | 身の回り
5日間のお盆休みも今日で終了。明日から、又暑い中いつもの会社生活へ戻る事となる。
しかし、このお盆のつかの間で、いくつか考えさせられる事があった。

まずは自分の事。
今年年末には63歳となる。本当はこの年は定年延長がフルタイムから、ノンフルタイムとなり、会社生活としては、ほぼリタイアの準備期間となる。 
しかし小生の場合、担当の業務が販売縮小する中で、組織をスリム化したため、自分自らがプレーヤーであり、後継者が育てられず、あと数年現役でそのまま働く事となりそうであり、定年後、コンサルタント的な仕事や、若い人達のアドバイスで何か役に立てれればと考えていたライフプランに設計ミスを起こしてしまった。
でも、あと数年後に何か新しい事に挑戦が出来る事は、着実に準備を行いたい。
 今、考えている事は・・
 会社リタイア後旬の間での仕事 ⇒ やめて数年が花。これ以降は技術陳腐化
  会社経験を生かしたアドバイス ⇒ 安全管理、BCP等での現場としての考え
  若い人たちへ(就労という事) ⇒ 就職が決まった人達が入社までの準備
  開発マインド ⇒ 物事をどうとらえて行くか (ネット情報以外の情報整理)
  再就職先 ⇒ 外車販売 (シニアが高級車を売る) 

2点目は老人介護の問題。
身内では、小生の母親だけが年寄りとして残っているが、94歳で一人マンション住まいをしている。現在、外への買い物以外はまだ一人で、生活が出来るため、要支援2級の判定であるが検診に来てもらっているクリニックの先生や、ケアマネさんのアドバイスもあり、来週市から要介護へ資格が上げれるかどうかの判定に来られる事となっている。

もともと母親は、気ままな性格なため、父親が亡くなった後、ショートステイやディケア等へも行かせた事があるが、一人でちゃんと生活できるのに、痴呆の人と一緒に食事をするのがいやとか、パンツの代わりに紙おむつを履かされ、手を突っ込んで確認されたなど、人間としての尊厳を奪われたとの事で、気ままに生活が出来そうな介護付き高齢者賃貸マンションでの生活を勧めても拒否をしている。

このため、現在は要支援の可能な範囲でヘルパーさんへ週3回ほど来ていただき、掃除と買い物をお願いしているが、洗濯は自分でしないと気が済まず、洗った物はほぼ直角に曲った腰で、洗濯袋毎ずるずると家の中を引っ張り、ベランダで干している。布団もお天気が良ければもったいないと、ベッドから引っ張り出し、これも引きずって竿へ干しているようで、危険極まりない事をしている。

この辺の仕事は、転んで骨折して寝込んだら、もう一生立ち上がれなくなるよと忠告しても、私は大丈夫。絶対そんなへまは絶対しないと言い張っている。

少し昔は、息子の定年も早ければ55歳、少し前では60歳であり、再就職しなかったり、ノンフルタイムであればこのような老人介護が身近で出来たのであろうが、小生も会社生活の中で、車で20分くらいの一人暮らしの老人所帯を、毎週訪問するのすら難しくなっており、母親が100歳まで元気で生きるとなると、小生は70歳近くとなり、車で病院へ送り迎えする事が可能なのかと、長寿の現実の問題を突き付けられている。

さらには、一人暮らしの女性の特徴なのかもしれないが、身内での介護を嫌う傾向にあるともケアマネさんから聞いており、家内を手伝いに行かせることも、ヘルパーさんが家へ入り込むより、難しい状況となっており、何かいい手立てがないかと考え悩んでいる所である。

あわせて、このお盆の間の読売新聞や、最近色々な所で老人所帯のゴミ屋敷化が言われており、当家でもまだ父親の着ていたスーツや、たくさんの食器など不用品や残されており、捨てなさい。強制的に整理をすると言うと、喧嘩になってしまうため、どうしたものかとも悩みが増えています。
又、年寄りのもったいない。だれかにあげる。いつか使う。・・と言った事が、年寄りとして理解してもらえるような、おひとり様の合理性を謳う様な教科書が出てくればありがたいのですが。

理想的には、母親の最期をこのマンションで看取り、あとは今名義人の弟が処分してくれる事が理想的なのであるが、このブログにどこかに書いた古い骨とう品もかなりの数となっている。
美術品などは捨ててしまうのは簡単であるが、やはり後世へ残してあげる事も必要であり、母親が大観の掛軸と言っている物など真贋を知りたい所だ。




3点目は特攻隊員の遺書が資料館へたくさん送られているとの報道があった。
戦後69年、いや太平洋戦争の開戦の年からすれば70年以上も経ち、歴史を振り返る事も難しくなっている。
このブログでも記載しているが、学徒出陣で出征したおじの『反省録』と言うノートのその後の情報もなく、100歳近くとなった方々からの情報もまず出てこないと思われ幻の陸軍技術将校養成所となってしまう可能性がある。
又、伯父がシベリアへ抑留されていたときの事は、身内でも聞かされていなかったとの事で、母親からの苦しかったとの情報だけが唯一である。今きっちり情報を残していかないと、先人たちの努力が無になる可能性もあり、我々の
ライフワークかもしれない。


最期に、この連休に奈良国立博物館で開催中の『醍醐寺のすべて』と春日大社『中元万燈籠』、なら燈花会を見に一泊で出かけた。
久しぶりの奈良であったが、日本人の観光客より、海外からのお客さんがたくさん来られており、幻想な奈良の夜を楽しまれていた。




『醍醐寺のすべて』では、仏像たちをゆっくり近くで見る事ができ、醍醐寺の政権との繋がりや、密教としての歴史などはじめて学んだ所もある。

奈良のホテルはやや公園から離れており、朝一の公園散歩にはやや不向きな所もあり、各ホテルでの長期滞在等での、今後の観光活性化の課題の一つかもしれない。

明日からは現実へ戻る事になり、さらに忙しくなりそうだ。

      
 
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