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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森181号

2008-06-19 | 101号~200号
       ■こならの森181号■2003.5発行
表紙 「古レール橋 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「古レール橋」……………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】
古レール橋を見に行く

 昭和30年代のレトロブームというのはまだ続いているのだろうか。今回の企画は、昭和初期に建設された橋を追ってみた。古レール橋というのは、なんだか聞き慣れないのだが、身近に接する駅周辺では当たり前に見られるものである。ちょっと古い駅舎では、ホームの屋根の支柱などをよく見てみると、古レールが使われていたりする。それも、鉄鋼王と言われたカーネギーの会社製だったりするからビックリ。鉄道関係では、古くからリサイクルがなされているのだなと感心する。それもただ再利用しているだけではなく、立派に一つの独立した造形美を与えているあたりは、さすがだと言わざるをえない。

■3連の古レール橋
 単なる鉄橋というだけなら珍しくもなく、あまり興味を引かないのだが、それが使い古された鉄道のレールで出来ていると言われると、どんな作りなのかと見てみたくもなる。そこでさっそく取材開始。例によって、有名観光地でも無く、案内板や史跡案内などはいっさい無い(こんな取材ばっかし)こならの森流記事。それも無名の川や農業用水に架かる橋なので、あたりの風景は期待できない。ならばせめて菜の花や新緑の美しい頃にと晴れ間をねらって出かけてみた。行田市の押川に集中してあるというので、そこを目指す。後は川沿いに南下していく。これが一番分かりやすい。橋は川に架かっているものだから。
 途中の道筋に「おまけのコーナー」でも紹介する最初の石橋が出現した。当初、取材目的ではなかったものだが、調べていくと同じ年代に出来たものという。おまけが本題を食ったような形になった。余談だが、こういう場合撮影枚数に余裕のあるデジカメを導入して良かったと思う。駄作(ハードディスクゴミ)も多くなるが。
 それはともかくそれらしいと思われる橋にむかうが、そこで一番に出くわしたのはまたもや石橋(青柳橋)だった。
 さらに上流に目をやると、なにやら三連のアーチ橋が遠くに見えた。急いでむかってはみるが、川沿いに続く道というのは雑草が激しく生い茂る農耕道だった。しかたなく、途中から徒歩に。
 写真でもわかるように短い区間に古レールの橋が3つ続く。一番手前(上流側)の橋(水管橋)も三連であったならば、「三重連の3重アーチ橋」としてもっと有名になったかもしれない。そして不思議なのは、3つの橋とも(一つは水管橋だが)、その先に続く接続道路が無い。道路交通上においてはあまり意味のない橋でもあるのだ。
 それにしても3つの橋とも同じデザインではない。真ん中の橋が一番デザイン的にも優れており、原形をとどめているのだという。
 次の橋へむかう。実はこの橋は最初に見つけた橋でもある。(少々、順番などがややこしくなる)。そのためかレールの構造など詳しく写真に収めた。確かに、当たり前ではあるが鉄道のレールを加工してある橋だ。接合部分にはボルトが使われている。そして本来まっすぐであった鉄道のレールを工場内で工業的に加工しているという。どのくらいまで曲げても強度を確保できるものなのか、本来アーチ型は強度を確保できる構造なのかなどは、70年程を過ぎている現在の橋が実証しているようでもある。
 次にむかった橋は、何だか工場跡にあるようないわゆる廃墟、(廃橋)という感じで、あまりにも無惨な印象。接続する道も殆ど忘れ去られたよう。心なしか、重油のような臭いも漂ってきそうな雰囲気だった。
 そしてさらに下流へと向かう道筋に救いのように現れたのは、これまた石橋(堀切橋)だった。
 そして、今回の行程の最後に向かったのは、気分も一新の前屋敷橋。今までとは違った雰囲気だ。あたりの情景はちょっと違って都会的。橋を見に行くにもすれ違いの車のために立ち往生。写真を撮っている私も心狭し。しかし、アーチ構造が複雑に絡みある様は、橋の下からじっくりと眺めた方がよいと思う。


(略)

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