■こならの森188号■2003.12発行
表紙 「 木遣り」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森1月号■
結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 近代化遺産 レンガ水門 …6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
[映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
イベント情報/協賛店マップ
■■■■■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
■特集 近代化遺産
「レンガ水門」
■残せば遺産、壊せばゴミ
土木学会が発刊した「日本の近代土木遺産」には、現存する重要な土木構造物が2000収められている。栃木県内では36カ所。宇都宮市にある鬼怒橋などが、A級遺産とされている。アーチ状の開口部がある切石積みの橋脚ということだ。 興味深いのは、渡良瀬川にある橋(渡良瀬川橋梁)と似たデザインであることだ。(こならの森180号参照)昭和6年完成とあるが、渡良瀬川の橋はそれよりも古い時代のものだろうか。ランク付けは、ABCのうちのBとなっている。有名な足利市にある渡良瀬橋はCランクとなっているから、近代遺産度としては高い方だということだろう。そして、アメリカン・ブリッジ社という会社の製作だということも最近になって分かった。
他の県では、茨城県がやや少なめである。そして、こならの森181号で紹介した「古レール橋群」も紹介されていた。今回紹介する、レンガ造り水門ももちろん多数紹介されている。今回の企画は、180号で渡良瀬川橋梁を特集したときにたまたま見つけたフカダソフトのホームページを参照している。どういう経過で、たどり着いたのかは記憶にないがネットサーフィン中に目に入ったのが、レンガ造りの水門である。フカダソフトは土木学会にも資料を提出している。「日本の近代土木遺産」の中にも出典として多数登場する。
煉瓦造りの水門は、現存する数でいうと100基ほどだという。それも埼玉県に集中している。実際に作られた数は200基とか。その中でも保存?状態のいい物は数えるほどだ。さらに、優雅で趣のある意匠や構造的に工夫が凝らされた物といったら数えるほどになる。今回は、かなりの地点を取材したのだが、見つからないところも多くあった。
今では、その機能を失い、装飾やお飾り、はたまた単なるお荷物や厄介者といった存在である。私個人の感動とは別に誰も見向きもしない存在が哀しい。それどころか、誰もその価値を知らないしその存在さえも分からない。
現存する樋門で最も煉瓦使用数が多いのは、北河原用水元圦(1903年製造、19万個使用)。埼玉県史上最大の煉瓦樋門は、見沼代用水元圦(1906年製、66万個)現存せず。
■北河原用水元圦 行田市
最初に訪れたのがこの水門だ。同じ所を何度もめぐり、やっとのことで探し出した。殆ど諦めかけていた。それもそのはず、新しく作られた河川や堤防などを念頭に置いて探していたのだから見つかるわけがない。発想を変えて、ひなびて忘れ去られた小川のごとき川や、昔ながらに蛇行した川に焦点をあわすと、おやっと思う場所に発見できた。しかし、それにしても汚い川だ。煉瓦水門は優雅でノスタルジーなのだが、ゴミと異臭のしそうな汚れた川にはまいってしまう。かといって保存整備されているのもヘンにきれい過ぎて文化遺産としての趣は………。
■永府門樋 吉見町
500年も前に作られたバイオリンは今が一番音が良いのだというが、煉瓦の遺構が輝きを放つのはいったいいつなのだろうか。
そんな思いでむかってみると、本当にこじんまりとしていて湖水に浮かぶ古城のようでもある。どうしてこんなところに、こんなものが存在してこれたのかという不思議さが横切った。そこまで、探し求める時間が長いほどあえた感激はひとしおであることは、分かっている。
あたりは昭和30年代の田園風景が残っていた。本当に不思議と昔にタイムスリップしたような、当たり前の光景なのに当たり前にみえない………(殆ど文章にはならい)光景だった。
昔と今では景色も変わっているのだろうが、雰囲気は本当に昭和30年代だ。その空気感が違う、そして回りの景色さえも違って見えた。これは私だけの原風景かもしれない………
具体的に言うと黒沢明監督の映画「夢」に出てくるような水車小屋の風景そのものだった。なんだか、遙か昔であるような、どこかにあるようで、懐かしいような、幻想的な世界だった。しかし、あまりにも当たり前すぎて、壊されるのもこれまたあたりまえ、というより現実と表裏一体といった自然ともいえる。
先入観からすると煉瓦水門はどれも巨大な建造物に思えた。しかし、実際にみてみるとこじんまりとしていた、それもたんなる水門。実体験でいえば、子どもの頃によく釣りを楽しんだ格好の場所みたいな存在だ(実際にはこの感覚が重要なのだが)。こんなもので、水利とか水害とかを防御できたのか、あるいは制御していたのかと思うと、心細くなったりする。また当時の河川や放水路などの規模が小さかった、つまり大規模な河川改修以前の状態だったと思われる。レンガという当時のハイカラ、ハイテク建材を使って超工業的に作っているにもかかわらず、それはその土地の景観に完全にマッチし、動植物や水生生物の生育に何らの支障も与えなかったのであろう。いったいいつからそういった自然連鎖が変わってしまったのだろうか。
そして、こうした昔の水門を探していくと、当時の川の流れや、川の広さ、高低差などがよみがえってくる。
1940年代の重文級文化遺産も壊される時代に、そんなに有名でもない水門が壊されるのはそれほど時間がかからないだろう。第一、文化遺産として認識するふしはない? どこでもじゃまもの扱いであり、道路状況や区画整理などが入ればいとも簡単に、真っ先に始末される存在であるのだろう。今回の、近代遺産ランキングがいかほどの価値を持つのかは不明である。世界遺産のように、それに認定されたからと言って社会的に注目され、保存されるという根拠はない。逆に、ランキングでは削除されている項目も多い。
■千貫樋 さいたま市
比較的簡単に探し出すことが出来た水門だ。町の真ん中に位置し、水門としての役名はもう終えている。そのためか、片方のトンネルは通路として使用されている。また、一部は新しいレンガの装飾が施されている。二連アーチはデザイン的に素晴らしいものがあり、佐野からだと少し遠くなるのだが、思い切っていってみた価値はあった。でも雰囲気は永府門には遠く及ばない。
■辯天門樋 行田市
これも簡単に見つかった。広い幹線道路から直ぐ見えたからだ。でも、ゴミが凄くて雰囲気はいまいち。それにしても優雅なアーチ状のデザインは水門にしておくにはもったいないくらいだ。今回の企画はたんなる「水門」を扱っているのだが、アーチ状にするには高度な技術が必要で手間もかかる。構造的には必要のないことで、単なる装飾、デザインのためだけに労力が注がれている。それも、多くの人が利用し目に付く建物や橋でもないただのとるにたりない水門だ。利水的には必要なものだが、それ以外にも力が注がれているというのは驚きだ。材料費よりも人件費(労力)の方が遙かに安かった時代にしか出来ないある意味での贅沢かもしれない。
ノスタルジー、懐かしいの「懐」という字はりっしんべんだが、つちへんにかえると「壊す」になる。レンガ水門はいつまでもノスタルジーのままでいて欲しいと願う。
水門という小ささな近代化遺産ではあるが、大きな世界にまで達している。まだまだ、そうした遺産は多いに違いない。
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表紙 「 木遣り」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森1月号■
結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 近代化遺産 レンガ水門 …6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
[映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
イベント情報/協賛店マップ
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【本文抜粋記事】
■特集 近代化遺産
「レンガ水門」
■残せば遺産、壊せばゴミ
土木学会が発刊した「日本の近代土木遺産」には、現存する重要な土木構造物が2000収められている。栃木県内では36カ所。宇都宮市にある鬼怒橋などが、A級遺産とされている。アーチ状の開口部がある切石積みの橋脚ということだ。 興味深いのは、渡良瀬川にある橋(渡良瀬川橋梁)と似たデザインであることだ。(こならの森180号参照)昭和6年完成とあるが、渡良瀬川の橋はそれよりも古い時代のものだろうか。ランク付けは、ABCのうちのBとなっている。有名な足利市にある渡良瀬橋はCランクとなっているから、近代遺産度としては高い方だということだろう。そして、アメリカン・ブリッジ社という会社の製作だということも最近になって分かった。
他の県では、茨城県がやや少なめである。そして、こならの森181号で紹介した「古レール橋群」も紹介されていた。今回紹介する、レンガ造り水門ももちろん多数紹介されている。今回の企画は、180号で渡良瀬川橋梁を特集したときにたまたま見つけたフカダソフトのホームページを参照している。どういう経過で、たどり着いたのかは記憶にないがネットサーフィン中に目に入ったのが、レンガ造りの水門である。フカダソフトは土木学会にも資料を提出している。「日本の近代土木遺産」の中にも出典として多数登場する。
煉瓦造りの水門は、現存する数でいうと100基ほどだという。それも埼玉県に集中している。実際に作られた数は200基とか。その中でも保存?状態のいい物は数えるほどだ。さらに、優雅で趣のある意匠や構造的に工夫が凝らされた物といったら数えるほどになる。今回は、かなりの地点を取材したのだが、見つからないところも多くあった。
今では、その機能を失い、装飾やお飾り、はたまた単なるお荷物や厄介者といった存在である。私個人の感動とは別に誰も見向きもしない存在が哀しい。それどころか、誰もその価値を知らないしその存在さえも分からない。
現存する樋門で最も煉瓦使用数が多いのは、北河原用水元圦(1903年製造、19万個使用)。埼玉県史上最大の煉瓦樋門は、見沼代用水元圦(1906年製、66万個)現存せず。
■北河原用水元圦 行田市
最初に訪れたのがこの水門だ。同じ所を何度もめぐり、やっとのことで探し出した。殆ど諦めかけていた。それもそのはず、新しく作られた河川や堤防などを念頭に置いて探していたのだから見つかるわけがない。発想を変えて、ひなびて忘れ去られた小川のごとき川や、昔ながらに蛇行した川に焦点をあわすと、おやっと思う場所に発見できた。しかし、それにしても汚い川だ。煉瓦水門は優雅でノスタルジーなのだが、ゴミと異臭のしそうな汚れた川にはまいってしまう。かといって保存整備されているのもヘンにきれい過ぎて文化遺産としての趣は………。
■永府門樋 吉見町
500年も前に作られたバイオリンは今が一番音が良いのだというが、煉瓦の遺構が輝きを放つのはいったいいつなのだろうか。
そんな思いでむかってみると、本当にこじんまりとしていて湖水に浮かぶ古城のようでもある。どうしてこんなところに、こんなものが存在してこれたのかという不思議さが横切った。そこまで、探し求める時間が長いほどあえた感激はひとしおであることは、分かっている。
あたりは昭和30年代の田園風景が残っていた。本当に不思議と昔にタイムスリップしたような、当たり前の光景なのに当たり前にみえない………(殆ど文章にはならい)光景だった。
昔と今では景色も変わっているのだろうが、雰囲気は本当に昭和30年代だ。その空気感が違う、そして回りの景色さえも違って見えた。これは私だけの原風景かもしれない………
具体的に言うと黒沢明監督の映画「夢」に出てくるような水車小屋の風景そのものだった。なんだか、遙か昔であるような、どこかにあるようで、懐かしいような、幻想的な世界だった。しかし、あまりにも当たり前すぎて、壊されるのもこれまたあたりまえ、というより現実と表裏一体といった自然ともいえる。
先入観からすると煉瓦水門はどれも巨大な建造物に思えた。しかし、実際にみてみるとこじんまりとしていた、それもたんなる水門。実体験でいえば、子どもの頃によく釣りを楽しんだ格好の場所みたいな存在だ(実際にはこの感覚が重要なのだが)。こんなもので、水利とか水害とかを防御できたのか、あるいは制御していたのかと思うと、心細くなったりする。また当時の河川や放水路などの規模が小さかった、つまり大規模な河川改修以前の状態だったと思われる。レンガという当時のハイカラ、ハイテク建材を使って超工業的に作っているにもかかわらず、それはその土地の景観に完全にマッチし、動植物や水生生物の生育に何らの支障も与えなかったのであろう。いったいいつからそういった自然連鎖が変わってしまったのだろうか。
そして、こうした昔の水門を探していくと、当時の川の流れや、川の広さ、高低差などがよみがえってくる。
1940年代の重文級文化遺産も壊される時代に、そんなに有名でもない水門が壊されるのはそれほど時間がかからないだろう。第一、文化遺産として認識するふしはない? どこでもじゃまもの扱いであり、道路状況や区画整理などが入ればいとも簡単に、真っ先に始末される存在であるのだろう。今回の、近代遺産ランキングがいかほどの価値を持つのかは不明である。世界遺産のように、それに認定されたからと言って社会的に注目され、保存されるという根拠はない。逆に、ランキングでは削除されている項目も多い。
■千貫樋 さいたま市
比較的簡単に探し出すことが出来た水門だ。町の真ん中に位置し、水門としての役名はもう終えている。そのためか、片方のトンネルは通路として使用されている。また、一部は新しいレンガの装飾が施されている。二連アーチはデザイン的に素晴らしいものがあり、佐野からだと少し遠くなるのだが、思い切っていってみた価値はあった。でも雰囲気は永府門には遠く及ばない。
■辯天門樋 行田市
これも簡単に見つかった。広い幹線道路から直ぐ見えたからだ。でも、ゴミが凄くて雰囲気はいまいち。それにしても優雅なアーチ状のデザインは水門にしておくにはもったいないくらいだ。今回の企画はたんなる「水門」を扱っているのだが、アーチ状にするには高度な技術が必要で手間もかかる。構造的には必要のないことで、単なる装飾、デザインのためだけに労力が注がれている。それも、多くの人が利用し目に付く建物や橋でもないただのとるにたりない水門だ。利水的には必要なものだが、それ以外にも力が注がれているというのは驚きだ。材料費よりも人件費(労力)の方が遙かに安かった時代にしか出来ないある意味での贅沢かもしれない。
ノスタルジー、懐かしいの「懐」という字はりっしんべんだが、つちへんにかえると「壊す」になる。レンガ水門はいつまでもノスタルジーのままでいて欲しいと願う。
水門という小ささな近代化遺産ではあるが、大きな世界にまで達している。まだまだ、そうした遺産は多いに違いない。
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