今。
9/22、22:16現在。
極近所の家でとんでもなく賑やかな宴会をしている。
18時に始まり、暫く前に飲食の時間は終わり、今はコドモ達がゲームをしているのをみんなで観戦しているらしい。
ここはそういう声が全部入ってくるような住環境だ。
それでもカラオケをしていないんだからまし、と思うべきなんだろうか。
小学生の頃、昼間、家の庭でトランペットの練習をしていて隣のおじさんに叱られたことがある。漁師は昼間寝るのだ、と。
人文学部の駐車場にバイクを駐める人がいる。
駐輪場の場所を知らないのかもしれないが、隅に駐めているつもりで実際に自動車が身動きできないポジションにあることに気づいていないらしい。
さすがに問題なので職員に言ったら見当が付くようで注意してくれたのだけれど、どうやら初犯ではないらしい。
人文の駐車場、といえば、相変わらず樹木に排気ガスを吹き付けても心の痛まない人が多いのは悲しい。
この家は某家の駐車場が台所の掃き出しに面しているのでバック駐車がどれほど暴力的か身を以て知っている(とはいえ、私も自宅に駐める時はバックなので車に一番近い植物は結構辛そう)。
学内を走行していると、道いっぱいに拡がって歩く学生が多い。サファリパークのつもりで除けることもあるけれど、基本、クラクションを鳴らす。
反対車線に出れば済むこと、と思うのだろうけれど、実際にカーブの向こうに対向車がいることは間々あるし、そもそも誰かの規則違反によって別の人が違反しなければならなくなるのはおかしい。
数日前、行きつけのトンカツ屋。
カウンターで隣に座ったカップルの会話が全部聞こえる。
食べ物の蘊蓄、タレントの好み……。
本人たちは楽しいんだろうけれど、聞かされるのはたまらない。
しかし、その彼のしゃべり方は、どことなく私に似ていたりするのだ。
多分、私もこうやって別の誰かを不快にさせているんだろう。
まぁ、仕事上のことで迷惑を掛けているのは自覚しているし、前にあったように、髪型が不快だ、という学生もいるのだし。
大きな声が全部不愉快なわけではない。
研究室の外のしゃべり声でも、許容できる物はある。
煙草の吸い方、リクライニングシートの倒し方。狭い道でのすれ違い。
明確な基準はないし、規則を作ってどうこうすればいいという問題でもない。
後期、「茶の世界」三年目。
一区切りにしたいと思っている。
この授業を通して、というか、吉野亜湖さん、白雲さんのお話をうかがっていると、こういう不快な行為、迷惑な行為をなくすことが、茶道なんだ、ということが理解できる。
茶会帰りらしいご老人たちが駅の改札あたりを占拠してしゃべり散らしているのをみると、この人たちはお茶から何を学んでいるんだろうと思う。
身を以て示せる人になれたらいいな、と思う。
声を荒げて抗議するのではなく。
また修行の季節だ。
あぁ、隣も解散になった様子。
みんな自動車で帰るようだけれど、呑んでないんだろうな。
9/22、22:16現在。
極近所の家でとんでもなく賑やかな宴会をしている。
18時に始まり、暫く前に飲食の時間は終わり、今はコドモ達がゲームをしているのをみんなで観戦しているらしい。
ここはそういう声が全部入ってくるような住環境だ。
それでもカラオケをしていないんだからまし、と思うべきなんだろうか。
小学生の頃、昼間、家の庭でトランペットの練習をしていて隣のおじさんに叱られたことがある。漁師は昼間寝るのだ、と。
人文学部の駐車場にバイクを駐める人がいる。
駐輪場の場所を知らないのかもしれないが、隅に駐めているつもりで実際に自動車が身動きできないポジションにあることに気づいていないらしい。
さすがに問題なので職員に言ったら見当が付くようで注意してくれたのだけれど、どうやら初犯ではないらしい。
人文の駐車場、といえば、相変わらず樹木に排気ガスを吹き付けても心の痛まない人が多いのは悲しい。
この家は某家の駐車場が台所の掃き出しに面しているのでバック駐車がどれほど暴力的か身を以て知っている(とはいえ、私も自宅に駐める時はバックなので車に一番近い植物は結構辛そう)。
学内を走行していると、道いっぱいに拡がって歩く学生が多い。サファリパークのつもりで除けることもあるけれど、基本、クラクションを鳴らす。
反対車線に出れば済むこと、と思うのだろうけれど、実際にカーブの向こうに対向車がいることは間々あるし、そもそも誰かの規則違反によって別の人が違反しなければならなくなるのはおかしい。
数日前、行きつけのトンカツ屋。
カウンターで隣に座ったカップルの会話が全部聞こえる。
食べ物の蘊蓄、タレントの好み……。
本人たちは楽しいんだろうけれど、聞かされるのはたまらない。
しかし、その彼のしゃべり方は、どことなく私に似ていたりするのだ。
多分、私もこうやって別の誰かを不快にさせているんだろう。
まぁ、仕事上のことで迷惑を掛けているのは自覚しているし、前にあったように、髪型が不快だ、という学生もいるのだし。
大きな声が全部不愉快なわけではない。
研究室の外のしゃべり声でも、許容できる物はある。
煙草の吸い方、リクライニングシートの倒し方。狭い道でのすれ違い。
明確な基準はないし、規則を作ってどうこうすればいいという問題でもない。
後期、「茶の世界」三年目。
一区切りにしたいと思っている。
この授業を通して、というか、吉野亜湖さん、白雲さんのお話をうかがっていると、こういう不快な行為、迷惑な行為をなくすことが、茶道なんだ、ということが理解できる。
茶会帰りらしいご老人たちが駅の改札あたりを占拠してしゃべり散らしているのをみると、この人たちはお茶から何を学んでいるんだろうと思う。
身を以て示せる人になれたらいいな、と思う。
声を荒げて抗議するのではなく。
また修行の季節だ。
あぁ、隣も解散になった様子。
みんな自動車で帰るようだけれど、呑んでないんだろうな。
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