つい先日、8月19日まで、グランシップで「輝く静岡の先人展―金原明善と災害から郷土を守った先人. たち―」と言う展示会があった(既に公式サイトから消えている。アーカイブするのも財団の重要な仕事ではないのか)。
殆どが治山・治水事業に関する展示で、明善その人に関してもそれほど多くの史料が展示されたわけではないが、第1室正面に出獄人保護会社の設立趣意書が掛けられていたのは幸いだった。
展示を観た人の数、これを気にとめた人の数、そこから何か考えた人の数、と考えると心許ないのだけれど、これは重要な史料。
で“出獄人保護”とはなにか?
一度収監された人たちは、釈放されても“前科者”として白眼視される。「昔は」という話ではないかもしれない。社会復帰するためには一時避難場所や職業訓練も必要、と言う考えのもとに、寺院や教会が福祉施設を作った。
日本では、寛政年間の火付盗賊改方、長谷川平蔵(あの、鬼平)が人足寄場を作った、というのは割と知られた豆知識なんだけれど、近代に入って、本格的に出獄人保護を目的とした施設が最初にできたのが静岡だ、と言うことは、それほど知られていないと思う(更生保護の歴史(法務省))。
*静岡に更生保護施設ができた経緯や、更生保護制度に関しては、金原明善の協力を得て尽力した中津藩士川村矯一郎の伝記漫画『マンガ 更生保護の創始者 川村矯一郎』がとても解りやすい(西日本新聞の紹介記事)。
私自身、7月12日に法学科の神馬さんが授業がらみで開催した「刑事政策」公開講演会:日本初の更生保護法人「静岡県出獄人保護会社」の後継組織である「静岡県勧善会」の施設長・近藤浩之氏が語る「更生保護事業の現場」で初めて知った。
近藤さんのお話は、静岡勧善会のドラマチックな歴史から、そこに暮らす人たちの様子まで、統計資料も加えたとても興味深いものだった。
終演後にお話を伺うと、全く別のことで御縁があることも判明し、すぐに打ち解け(この人は本当に初対面の人でもすっと入ってしまえる魅力がある)、いつか一般の人向けにもお話ししていただきたい、とお願いして実現したのが、今回の企画。
今回の講演は、特別に更生保護や警察関係に知識も興味も無い人たちに向けて、一つは、静岡の知られざる歴史の一駒の紹介として、もう一つは、今も隠然とある出獄者差別、あるいは、犯罪意識の欠如と言ったことについて、実際に、現場の実感を語っていただくことによって、再認識を促す場に、と願っている。
ということで、概要。
■ 発起人
「誰も知らない殆ど知らない静岡研究会」
幹事 小二田誠二(静岡大学教授)森た恵子(美術家)
下山晶子(金座ボタニカ代表)
■ 問い合わせ
金座ボタニカ
メールアドレス:info@kinza-botanica.com
ウェブサイト:www.kinza-botanica.com
以下、若干補足
もう一つ、余談
殆どが治山・治水事業に関する展示で、明善その人に関してもそれほど多くの史料が展示されたわけではないが、第1室正面に出獄人保護会社の設立趣意書が掛けられていたのは幸いだった。
展示を観た人の数、これを気にとめた人の数、そこから何か考えた人の数、と考えると心許ないのだけれど、これは重要な史料。
で“出獄人保護”とはなにか?
一度収監された人たちは、釈放されても“前科者”として白眼視される。「昔は」という話ではないかもしれない。社会復帰するためには一時避難場所や職業訓練も必要、と言う考えのもとに、寺院や教会が福祉施設を作った。
日本では、寛政年間の火付盗賊改方、長谷川平蔵(あの、鬼平)が人足寄場を作った、というのは割と知られた豆知識なんだけれど、近代に入って、本格的に出獄人保護を目的とした施設が最初にできたのが静岡だ、と言うことは、それほど知られていないと思う(更生保護の歴史(法務省))。
*静岡に更生保護施設ができた経緯や、更生保護制度に関しては、金原明善の協力を得て尽力した中津藩士川村矯一郎の伝記漫画『マンガ 更生保護の創始者 川村矯一郎』がとても解りやすい(西日本新聞の紹介記事)。
私自身、7月12日に法学科の神馬さんが授業がらみで開催した「刑事政策」公開講演会:日本初の更生保護法人「静岡県出獄人保護会社」の後継組織である「静岡県勧善会」の施設長・近藤浩之氏が語る「更生保護事業の現場」で初めて知った。
近藤さんのお話は、静岡勧善会のドラマチックな歴史から、そこに暮らす人たちの様子まで、統計資料も加えたとても興味深いものだった。
終演後にお話を伺うと、全く別のことで御縁があることも判明し、すぐに打ち解け(この人は本当に初対面の人でもすっと入ってしまえる魅力がある)、いつか一般の人向けにもお話ししていただきたい、とお願いして実現したのが、今回の企画。
今回の講演は、特別に更生保護や警察関係に知識も興味も無い人たちに向けて、一つは、静岡の知られざる歴史の一駒の紹介として、もう一つは、今も隠然とある出獄者差別、あるいは、犯罪意識の欠如と言ったことについて、実際に、現場の実感を語っていただくことによって、再認識を促す場に、と願っている。
ということで、概要。
誰も知らない殆ど知らない静岡研究会 社会文化セッション
「静岡刑務所と更生保護施設の人々」
「知らない、殆ど知らない」刑務所と入所経験者についてのトーク
「静岡刑務所と更生保護施設の人々」
「知らない、殆ど知らない」刑務所と入所経験者についてのトーク
知らない故の差別や偏見の壁を低くしたい、多様な人々が暮らす社会を再認識したい。
受刑者更生施設のような特殊な職場や、働く人々を知りたい。
受刑者更生施設のような特殊な職場や、働く人々を知りたい。
講演:更生保護法人 静岡県勧善会 施設長・保護司 近藤浩之
(関東地方更生保護事業連盟理事 全国更生保護法人連盟評議員)
聞き手:静岡大学教授 小二田誠二
(関東地方更生保護事業連盟理事 全国更生保護法人連盟評議員)
聞き手:静岡大学教授 小二田誠二
トーク内容:
・静岡が全国に先駆けて更生保護施設を運営した史実
・刑務所に入って後悔すること
・何故、更生保護施設が必要か
・入所者達と共に暮らしてきた近藤施設長の人生、人生観
・刑務所に入って後悔すること
・何故、更生保護施設が必要か
・入所者達と共に暮らしてきた近藤施設長の人生、人生観
■ 発起人
「誰も知らない殆ど知らない静岡研究会」
幹事 小二田誠二(静岡大学教授)森た恵子(美術家)
下山晶子(金座ボタニカ代表)
■ 問い合わせ
金座ボタニカ
メールアドレス:info@kinza-botanica.com
ウェブサイト:www.kinza-botanica.com
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以下、若干補足
「誰も知らない殆ど知らない静岡研究会」と言う妙な名前の会は、アート長屋であるボタニカをもっと面白くしたいよね、ということで、代表の下山さんと、国内外飛び回っているアーティストの森さんと私が幹事ということで、ボタニカのスタッフさんや学生も交えながら月一でミーティングをしている緩い集まりです。ホントに雑談なんだけれど、そのなかで、私の授業“静岡の文化”の話などからあれこれ飛ぶ内に、静岡にいても知らない静岡って沢山あるよね~、と言う話になり、それなら詳しい人に話を聞こう! ということになったわけです。
主催イベントとしては、既に、スノドカフェの柚木さんと、丹羽勝次展+トークを開催しています。
ボタニカの“入居者”の傾向からも、アート系のイベントが多くなりがちですが、アート部外者の私が参加することで、ちょっと違った切り口の話題を提供できたら、と思っています。
“静岡大学教授”と言う肩書きですが、大学や私の専門とは直接関わらないので、“鞠水書屋主人”として参加、ですな。
ボタニカの“入居者”の傾向からも、アート系のイベントが多くなりがちですが、アート部外者の私が参加することで、ちょっと違った切り口の話題を提供できたら、と思っています。
“静岡大学教授”と言う肩書きですが、大学や私の専門とは直接関わらないので、“鞠水書屋主人”として参加、ですな。
もう一つ、余談
“更生保護の父”と呼ばれる人がもう一人います。
静岡の出獄人保護は新門辰五郎ゆかりの常光寺が出発点になっていますが、キリスト教系では、江戸南町奉行所与力だった原胤昭が尽力しています。
*この件で原胤昭をさとう宗幸が演じている『大地の詩ー留岡幸助物語ー』と言う映画も有るようです。未見。観てみたい。
原胤昭といえば、兄佐久間長敬とともに近世文化史研究には欠かせない沢山の証言を残しているお方。そして、二人も、その子供たちも近代日本の福祉のために大きな功績を残しています)そして、その長敬のお孫さんが静岡市にお住まいでした(残念ながら、昨年99歳で亡くなられた由)。生前、岡本綺堂や吉野作造との交流、関東大震災の体験など、お話を伺うことができましたが、まとめるに至らず、もっともっとお聞きしたいこともありました。話が逸れてしまいましたが、改めてご冥福をお祈りします。
静岡の出獄人保護は新門辰五郎ゆかりの常光寺が出発点になっていますが、キリスト教系では、江戸南町奉行所与力だった原胤昭が尽力しています。
*この件で原胤昭をさとう宗幸が演じている『大地の詩ー留岡幸助物語ー』と言う映画も有るようです。未見。観てみたい。
原胤昭といえば、兄佐久間長敬とともに近世文化史研究には欠かせない沢山の証言を残しているお方。そして、二人も、その子供たちも近代日本の福祉のために大きな功績を残しています)そして、その長敬のお孫さんが静岡市にお住まいでした(残念ながら、昨年99歳で亡くなられた由)。生前、岡本綺堂や吉野作造との交流、関東大震災の体験など、お話を伺うことができましたが、まとめるに至らず、もっともっとお聞きしたいこともありました。話が逸れてしまいましたが、改めてご冥福をお祈りします。