コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

ところで私の卒業論文

2008-02-12 00:50:11 | 
しつこくまだまだ「卒論ミュージアム☆」企画。



私の学歴。

1984,3 埼玉大学教養学部教養学科日本文化コース卒業
   *卒業論文:「記録と文芸--近世主婦の日記から--」
1987,3 学習院大学大学院 人文科学研究科 国文学専攻 博士前期課程 修了
   *修士論文:「実録体小説の研究」

卒業に関わる論文はこの二つなんだけれど、実は高校卒業の時にも原稿用紙50枚の論文を書かされた。テーマは全員が「ふるさと」だった。
今、捜索中。
何で定位置にないんだろう。

さて、今回「卒論ミュージアム☆」で公開しようと思っているのは、論文本体の他、ゼミでは時々見せる私のノート。

ファイルが3册出てきた。

一冊は全くの卒業論文メモで、下書きや構成メモが書いてある。
いわゆるレポート用紙。B5の。

もう一冊は参考文献を写したルーズリーフ。
昔は几帳面だったなぁ。
コピーがたやすくできない時代だったので、何でも写した。
これは本当に勉強になると思う。

今はコピーアンドペースト。
これでは脳にも身体にも入らない。

このファイルのポケットには、国会図書館や国文学研究史料館の請求票や領収書まで入っていた。今では考えられない。

もう一冊は、「黄表紙ノート」と書いてあるファイル。

実はこれ、最初は仮名草子を含め、近世小説の風刺とか書く意識とかを扱うつもりで
3年生になる春休みに書き始めたもの。途中で日記に切り替えた時に別のファイルにした。
メインのファイルは4年生になる春休みから始まっている。

それぞれ、かなり細かく書かれているので、歴史的な興味もある。

このほかに、もちろん参考文献のコピーのファイルがあるわけだけれど、それはまぁいいでしょ。

テクストにしたのは『井関隆子日記』『小梅日記』、それと、和歌山市史に入っていた『日知録』。みんな、幕末のおばちゃんの日記。今読んでもみんな面白い。
でも、結局、この論文からは活字にはなっていない。



卒業論文も、今はパソコンで書くのが当たり前だけれど、私の頃は当然手書きだった。
修士論文も。

原稿用紙の規定はなかったので、色々探して、結局上に頭注をつけるスペースあってが便利そうだったので、丸善の紙を使うことにした。

大学院に入って、学習院指定のロゴ入り原稿用紙も基本的に同じ書式だった。


原稿用紙は、古文書判読などで1行25字のヤツにもずいぶんお世話になったなぁ。

これはこれで、やっぱり喪われていく「文化」なんだろうな。

今の学生達は、縦書きの原稿罫にちゃんと文字や記号を入れることが出来なくなっている。
それは、それこそ、生きていくために必要な知識でも技術でもないのだけれど、何だかなぁと思う。

パソコンで作ったレポートを見ても、書式の制限なんかしてないのに、ワードのデフォルトのまま出だしてくる学生が多いようで、最後の紙が1行しかないのとか、何で詰めないんだろう、と思う。


原稿用紙、手書きの頃は、途中で気づいたミスを何とかカバーするために一枚差し替えで済むように、字数どんぴしゃの添削も出来た。


だから何、と言われても困るけれど、そういう工夫って、生きてると思うんだけどなぁ。

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