コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

著作権と研究の優先権

2004-12-13 08:51:03 | 
我ながら混乱してたな。
呑みながらと言うこともあったけど、整理し切れてないのも事実。
著作権は、著作者を経済的に救済する目的で発想されている。本来なら、その著作者の収入になるはずのモノを、他の誰かが手に入れてしまわないための約束だ。
無料で貸借されると、あるいはそれを簡単に、正確に複製できるようになると著作者は儲からない。
ここには、複製技術時代の芸術の価値に関する本質的なパラドクスがある。
プライオリティの問題は、韻文の「等類」に似ている。既にあるよく似た発想は、オリジナルとして認めない。
本歌取りや引き歌など、様々な「引用」の中でテクストを作ってきた日本文化が、オリジナリティと言うことについて、こうした厳しい一面を持つのは意外な気もするのだが、実際には不思議でも何でもない。これは、原テクストの権利の問題ではなく、新しいテクストを創造する側のプライドの問題だ。
研究の場合は、参考・引用文献を正確に示さないと、信憑性を損ねるところに問題がある。これも、原資料制作者の権利保護だけの問題ではない。
科学の世界では、ノーベル賞の田中さんや、ダーウィンとウォレスのような競争もある。文学研究でも、新出資料の扱い方は結構難しい。
でも、これって、著作権とは違うね。

大学改革の中で、知的所有権(もっと露骨に知的財産)と言う言葉が飛び交っている。これも、儲けの話。特許ビジネスは醜い。フリーウエア、オープンソースというのも、今はあるわけだし、むずかしいなぁ。

私の立場は、一次資料は使いやすく、二次資料は一次資料を明示せよ、ということ、かな。
儲かる話じゃないので。

資料所有者と言うだけで儲ける人(機関)はどうもなぁ。金が目当てで持ってるワケじゃあるまいし。でも維持費も大変なんでしょうねぇ。

この話は続きそう。
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