「静岡の文化」を含め、学生のグループワークが花盛り。
そういうのは、学生達の自主性を尊重したいから、遠目に見て、あぶなっかしいと思っても、もっと効率的に出来るのに、と思っても、或いは良いアイデアがあっても、なるべく口出しも手出しもしないつもりで居る。
しかし、指示待ち学生は明らかに増加しているし、「教わってません」がオールマイティだ。
今日はちょっとした連絡ミスで1時間以上学生に待たされてしまった。
学生達が考えていた場所に私が現れなかったとき、別の教員で事が済んだので、私から連絡が行くまで放置、と言うことらしい。
私にも連絡ミスがあったにしても、そして、必要な用件は済んだにしても、わたしに連絡すべきではないのか、と、誰一人思わなかったと言うところが、どうにも哀しい。
あとで聞いたらグループ内でもややこしい認識齟齬があったらしいのだけれど、にしても、約束した私に連絡しないって、どういう事だろう。
嫌われてるんだよね~~、冗談抜きで。
まぁ、敢えてすねた書き方をするけれど、
「俺は必要ないんだね、それならみんな勝手にやってくれ」
と言う話だよねぇ。
実は、私自身、人に物を尋ねると言うのが大の苦手だ。
それで、人生に於いてどれだけ損をしているか解らない。
事務的なことのほとんどを「教わってない」から知らないまま。
予算の使い方も、20年在職しているのに、未だに理解できていない。
それでも何とか(皆さんに多大の迷惑を掛けながらも)生きていられるのは、絶対に必要なことは、自分で何とかするし、どうしようもないことは、頭下げて訊く、と言うことがあるし、そもそも好奇心に動かされている間は聞くことが苦痛ではない。
学生達が、そういう意味で、“自立”していて、教師の助言など必要ない、と言うなら大歓迎なのだ。
しかし、「教わってません」を最強のカードにしている連中は、「だから仕方ない」で済ませようとする。
知りたいこと、やりたいことがあれば、そうならないんだろうから、まずは動機付けなんだろうけども、なんだか淋しい。
自立できないんならちゃんと訊け。
私自身は、学生に嫌われることを寧ろ歓迎している。
「授業は面白いんだけど、あの人は嫌いだ」と学生に思われるのは、良いことだと思う(そういえば、大学院の新歓コンパの自己紹介で「嫌われる先輩になろうと思います」って言ったなぁ。四半世紀近くも前のことを思い出した)。
「嫌いだけど、あの人からじゃないと得られない物がある」と思わせたら大成功だ。
私は嫌われても良いけれど、嫌いでも何でも、必要があれば情報を引き出す努力をして欲しい。
取り敢えず、私でなくても良い(あ、今日はそうやって対処したんだよね。そこまではいいや。そのあと「あなたは不要です」という連絡をくれれば何の問題もなかったのだよ)。
何かがずれてる。
それを超えて、うまくいってるな~、と思うことも今沢山あって、だからこそ、じれったくもある。
しかし、やっぱり私から「どれどれ、おじさんが教えてあげるよ」なんて事は、私は言わないよ。
ていうか、そういう「やさしい」人が若い人たちをダメにしてんじゃないのかねぇ。
「やさしい」先生よりも必要とされる嫌な教師。
努力が必要だねぇ。
おっと。
私の辞書には“努力”と“忍耐”という言葉はないのだ~~。
そういうのは、学生達の自主性を尊重したいから、遠目に見て、あぶなっかしいと思っても、もっと効率的に出来るのに、と思っても、或いは良いアイデアがあっても、なるべく口出しも手出しもしないつもりで居る。
しかし、指示待ち学生は明らかに増加しているし、「教わってません」がオールマイティだ。
今日はちょっとした連絡ミスで1時間以上学生に待たされてしまった。
学生達が考えていた場所に私が現れなかったとき、別の教員で事が済んだので、私から連絡が行くまで放置、と言うことらしい。
私にも連絡ミスがあったにしても、そして、必要な用件は済んだにしても、わたしに連絡すべきではないのか、と、誰一人思わなかったと言うところが、どうにも哀しい。
あとで聞いたらグループ内でもややこしい認識齟齬があったらしいのだけれど、にしても、約束した私に連絡しないって、どういう事だろう。
嫌われてるんだよね~~、冗談抜きで。
まぁ、敢えてすねた書き方をするけれど、
「俺は必要ないんだね、それならみんな勝手にやってくれ」
と言う話だよねぇ。
実は、私自身、人に物を尋ねると言うのが大の苦手だ。
それで、人生に於いてどれだけ損をしているか解らない。
事務的なことのほとんどを「教わってない」から知らないまま。
予算の使い方も、20年在職しているのに、未だに理解できていない。
それでも何とか(皆さんに多大の迷惑を掛けながらも)生きていられるのは、絶対に必要なことは、自分で何とかするし、どうしようもないことは、頭下げて訊く、と言うことがあるし、そもそも好奇心に動かされている間は聞くことが苦痛ではない。
学生達が、そういう意味で、“自立”していて、教師の助言など必要ない、と言うなら大歓迎なのだ。
しかし、「教わってません」を最強のカードにしている連中は、「だから仕方ない」で済ませようとする。
知りたいこと、やりたいことがあれば、そうならないんだろうから、まずは動機付けなんだろうけども、なんだか淋しい。
自立できないんならちゃんと訊け。
私自身は、学生に嫌われることを寧ろ歓迎している。
「授業は面白いんだけど、あの人は嫌いだ」と学生に思われるのは、良いことだと思う(そういえば、大学院の新歓コンパの自己紹介で「嫌われる先輩になろうと思います」って言ったなぁ。四半世紀近くも前のことを思い出した)。
「嫌いだけど、あの人からじゃないと得られない物がある」と思わせたら大成功だ。
私は嫌われても良いけれど、嫌いでも何でも、必要があれば情報を引き出す努力をして欲しい。
取り敢えず、私でなくても良い(あ、今日はそうやって対処したんだよね。そこまではいいや。そのあと「あなたは不要です」という連絡をくれれば何の問題もなかったのだよ)。
何かがずれてる。
それを超えて、うまくいってるな~、と思うことも今沢山あって、だからこそ、じれったくもある。
しかし、やっぱり私から「どれどれ、おじさんが教えてあげるよ」なんて事は、私は言わないよ。
ていうか、そういう「やさしい」人が若い人たちをダメにしてんじゃないのかねぇ。
「やさしい」先生よりも必要とされる嫌な教師。
努力が必要だねぇ。
おっと。
私の辞書には“努力”と“忍耐”という言葉はないのだ~~。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます