茂木健一郎氏がツイッターで、平井憲夫「原発がどんなものか知ってほしい(全)」
について、
と書いた(直リンクの仕方が判らぬ)。
この記事については、怪文書としてかなり詳しい反論・検証が為される一方、それらに対する反論もあって、どこをどう信じればいいのかよくわからない。
もうひとつ、「19兆円の請求書 ―止まらない核燃料サイクル―」というパワーポイントをPDFにしたようなファイルを友人が紹介してくれた。
これも、「平井文書」同様、最近出来たモノではなく原発に問題意識を持っていた人たちが早くから発信していた情報だ。
検索すると、経産省職員が作成した一種の怪文書のような扱いの印象。
どちらも自分で詳しく調べている余裕がないから、さしあたり他人、特に、信頼できる誰かの評価を自分の参照軸にすることが多くなりがちだ。
ツイッターの場合、字数制限と即時性が重要視されるために、情報の信憑性に関する評価の実際を書き並べるわけにも行かない、という弱点もある。
茂木氏の場合、自分の影響力を考えれば、紹介の仕方にもう一工夫必要だったと思う。
実は、震災のあと、デマや流言蜚語の類について、“教材”用にためているのだけれど、これも整理が追いつかない。
今は、具体的な実例を並べ立てるより、我々、国学者の末裔達の伝承してきた資料操作のノウハウを伝えあう事の方が大事だろうと思う。
と、えらそうなことを言っても、私もかなり心許ないので、文系の研究者たちは、文献学・歴史学の方法を色んな形で見せてくれたら、とおもう。
さしあたり私から言えることは、標準的なデマの対処法、たとえば、
のような事柄を出るものではないのだけれど、要点だけ言うと、
1 ソースを確認する。
さしあたり、出所のはっきりしないモノは保留。
例えば、「平井文書」のURLは http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html だから、「iam」という“何か”が関わっている。実際、記事の最後にリンクがあって、トップページに行くことが出来る。
見れば判るけれど、私は、取りあえず、この時点で、「平井文書」を一次資料として採用することを保留する( 高知エコデザイン協議会が発信元らしいが繋がりは見つけにくい)。
「19兆円」は、http://kakujoho.net/rokkasho/19chou040317.pdf で、リンクはないが、「核情報」、「六カ所」との関わりが推測される。URLを削ってみると、「核情報 核問題に関連した情報を正確に分かりやすく、情報源へのリンクを含め掲載」という、主張のはっきりした団体のサイトであることが判る。
非常に有益なサイトである事を認めつつ、気がかりなのは、当該PDFへのリンクがどこからされているのか判らない。当然あるべき(と思う)http://kakujoho.net/rokkasho/のメニューには見あたらない。
元々、参考資料用に作成されたか内部者用にアップされたモノが今回の件で「発見」されたと言うことなのかも知れない。これも、第一次資料としては微妙。成立過程にかなり興味があるけれど。
2 専門用語や固有名詞・数字を信用しない。
3 論理的整合性を検証する。
長くなった。
まだ書きたいことは色々あるけれど、いまはここまで。
公式発表が信用できなくなってしまった。
だから、信頼できる誰かの評価を信じたい。
確かにそうなんだけれど、どんな情報でも、取りあえず一旦保留すること。
私は、「平井文書」や「19兆円」がでたらめだと言っているのではない。
むしろ、私の研究者的興味から言えば、これはこれで「真実」の一つの顕現だし、実際問題提起としてはかなり有益だと思っている。
その上で、いかにしてそれがここにあるのか、を絶えず検証し続けなければならない。
立教の渡辺憲司先生の卒業生に贈る言葉(高校・中学)は、こう言う時に、文学に携わる我々にも、大きな勇気を与えてくれた。言葉の力を信じられる。同じ近世文学会メンバーとして、敬意と感謝を。
学問としての文学は、それとは別の意味で、混沌とした世界を生きていくための羅針盤になりうると信じている。
について、
平井憲夫さんのこの文章は、原発に関する立場を問わず必読。特に、「専門性」を重視しない日本のお役所文化が、いかに検査、管理体制をずさんなものにしているかという指摘について、霞ヶ関は悔い改めるべき。
と書いた(直リンクの仕方が判らぬ)。
この記事については、怪文書としてかなり詳しい反論・検証が為される一方、それらに対する反論もあって、どこをどう信じればいいのかよくわからない。
もうひとつ、「19兆円の請求書 ―止まらない核燃料サイクル―」というパワーポイントをPDFにしたようなファイルを友人が紹介してくれた。
これも、「平井文書」同様、最近出来たモノではなく原発に問題意識を持っていた人たちが早くから発信していた情報だ。
検索すると、経産省職員が作成した一種の怪文書のような扱いの印象。
どちらも自分で詳しく調べている余裕がないから、さしあたり他人、特に、信頼できる誰かの評価を自分の参照軸にすることが多くなりがちだ。
ツイッターの場合、字数制限と即時性が重要視されるために、情報の信憑性に関する評価の実際を書き並べるわけにも行かない、という弱点もある。
茂木氏の場合、自分の影響力を考えれば、紹介の仕方にもう一工夫必要だったと思う。
実は、震災のあと、デマや流言蜚語の類について、“教材”用にためているのだけれど、これも整理が追いつかない。
今は、具体的な実例を並べ立てるより、我々、国学者の末裔達の伝承してきた資料操作のノウハウを伝えあう事の方が大事だろうと思う。
と、えらそうなことを言っても、私もかなり心許ないので、文系の研究者たちは、文献学・歴史学の方法を色んな形で見せてくれたら、とおもう。
さしあたり私から言えることは、標準的なデマの対処法、たとえば、
のような事柄を出るものではないのだけれど、要点だけ言うと、
1 ソースを確認する。
さしあたり、出所のはっきりしないモノは保留。
例えば、「平井文書」のURLは http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html だから、「iam」という“何か”が関わっている。実際、記事の最後にリンクがあって、トップページに行くことが出来る。
見れば判るけれど、私は、取りあえず、この時点で、「平井文書」を一次資料として採用することを保留する( 高知エコデザイン協議会が発信元らしいが繋がりは見つけにくい)。
「19兆円」は、http://kakujoho.net/rokkasho/19chou040317.pdf で、リンクはないが、「核情報」、「六カ所」との関わりが推測される。URLを削ってみると、「核情報 核問題に関連した情報を正確に分かりやすく、情報源へのリンクを含め掲載」という、主張のはっきりした団体のサイトであることが判る。
非常に有益なサイトである事を認めつつ、気がかりなのは、当該PDFへのリンクがどこからされているのか判らない。当然あるべき(と思う)http://kakujoho.net/rokkasho/のメニューには見あたらない。
元々、参考資料用に作成されたか内部者用にアップされたモノが今回の件で「発見」されたと言うことなのかも知れない。これも、第一次資料としては微妙。成立過程にかなり興味があるけれど。
2 専門用語や固有名詞・数字を信用しない。
「平井文書」では「素人の文章だ」という批判があった。専門用語の使い方が正しいかどうか、というのは確かに「一定の」指標にはなるのだけれど、現場の作業員が専門用語を正確に使いこなし、正しいデータで文章を書けるなら、こんな事故は起きない。逆に悪徳商法のプロ達は本気で勉強している。だから、我々研究者達は、具体的な記述が出てくれば、それを、もう一度「作者」の環境に戻して検証し直す。一次資料を探し、他に同じ事について書かれた物を探し……。
3 論理的整合性を検証する。
自分のことは棚に上げて言うが、質の低い研究論文や批評は、仮説がいつの間にか前提にすり替わっていたりする。それを確信的にやっている強者もいる。さしあたり、よく読んで、話の持っていき方に飛躍がないか、接続に無理はないか、くらいは確認したい。
もちろん、「平井文書」のように、それほど高い言語教育を受けていない(と推測される)人の発言(の採録)の場合には、かなりの困難を伴う。「平井文書」に関して言えば、これが「編集された聞き書き」であることを明示していない時点で問題がある(この辺の検証はこれを参考にした2002年にこういう検証記事があることを驚くべきなのか)。
もちろん、「平井文書」のように、それほど高い言語教育を受けていない(と推測される)人の発言(の採録)の場合には、かなりの困難を伴う。「平井文書」に関して言えば、これが「編集された聞き書き」であることを明示していない時点で問題がある(この辺の検証はこれを参考にした2002年にこういう検証記事があることを驚くべきなのか)。
長くなった。
まだ書きたいことは色々あるけれど、いまはここまで。
公式発表が信用できなくなってしまった。
だから、信頼できる誰かの評価を信じたい。
確かにそうなんだけれど、どんな情報でも、取りあえず一旦保留すること。
私は、「平井文書」や「19兆円」がでたらめだと言っているのではない。
むしろ、私の研究者的興味から言えば、これはこれで「真実」の一つの顕現だし、実際問題提起としてはかなり有益だと思っている。
その上で、いかにしてそれがここにあるのか、を絶えず検証し続けなければならない。
立教の渡辺憲司先生の卒業生に贈る言葉(高校・中学)は、こう言う時に、文学に携わる我々にも、大きな勇気を与えてくれた。言葉の力を信じられる。同じ近世文学会メンバーとして、敬意と感謝を。
学問としての文学は、それとは別の意味で、混沌とした世界を生きていくための羅針盤になりうると信じている。
「現場の作業員が専門用語を正確に使いこなし、正しいデータで文章を書けるなら、こんな事故は起きない。」
これは正しい認識ではないだろう。
今起こっていることの原因は作業員にはない、と思う。
申し訳ありませんでした。
「原子力政策の分かれ道」
2011年3月27日 16:19
http://www.taro.org/2011/03/post-964.php
http://twitter.com/#!/kenichiromogi/status/51797147733082112
(コメント欄では「不正なURL」と判断されて貼付できませんが)
“快文書”ですか。
当時を御存じの方の発言なのですね。
このブログを書いたあとちゃんと検索しませんでしたので、夕刻の河野氏の記事には気づいていませんでした。
有難うございます。
直リンクについても御教示感謝します。
他にも教えて下さった方がいるのですが、本文を直さずにコメント欄に、と思ったら「不正なURL」だったので諦めていました。
*何故、このコメントははちっつけられたのでしょう?