土曜日、オープンキャンパスの片付けも手伝わずに花火に出かけました。
手越側。
日本人2、韓国人3、オーストラリア人1。
飛び交う会話は英語・韓国語・時々ロシア語、それから日本語……。
なんだかとってもアウェイ。
それはそうと、多機能デジカメの普及で花火見物そっちのけでみんな写真撮ってる。
わたしも、去年に引き続き……、と思ったのだけれど、どさくさで研究室に三脚を忘れて来てしまったので、手持ち。
しかし、今年は手ぶれ防止機能付きの新品を導入。
この日が初日。
試用です。
心配なのでなじみの重たいヤツも持っていく。
新品、理由は解らないんだけど、色々反応が遅く、タイイングもピントも合わない写真が続出。
それはそれで楽しめばいいや、という気分でバカスカ撮影しました。
わけわからんでしょ。
でも、たとえば、この大量の写真の一番始めにあるこれとか。
誰もそのものをそのように見ていないのに「写真」になっている不思議さが面白い。
ほかのものも、みんな狙ってそうなったわけではなく、偶然の産物。
しかし、人間が、頭を使って、手間暇掛けて、作り上げた「作品」が被写体であることも確かなこと。
自分の写真を芸術的な作品だ、と言う気はないのだけれど、こういう「関係」は楽しい。
去年の「作品」とそのコメントも参照!
まつりのあと。月が。
この写真と、前の方の広角の写真2枚は古いデジカメで撮影。
この写真と、前の方の広角の写真2枚は古いデジカメで撮影。
同じ花火を見たとは到底おもえませんねぇ。
こういう写真で楽しませてもらいながらも、
やっぱり、直接、目で見る花火の迫力を感じなきゃ!とも思います。
ま、私が写真のウデがないから特に思うのでしょうけれど。
カメラの性格もあるし、偶然です。
同じ花火をもう一回同じように撮れ、といわれても無理!
自分の見ている花火にちゃんと感動するのが一番ですね。
その上で、「撮れてた」(「撮った」ではなく)写真をもう一回楽しめれば儲け物。