勿論、私自身知り得ないこと、語り得ないことの多い領域なので、一般論になるのだけれど。
以下、たとえ話ね。
入学定員が160人の学部があったとしましょう。
学科は4つ。各40人の定員。
入試は、それぞれ、推薦・前期・後期と三つあって、定員は、10・20・10くらいにしておこうか。
すべてセンター試験を課し、二次(個別)試験はそれぞれ1月・2月・3月に実施、次の試験日以前に前の試験の入学手続きは済む、と言う日程。
さて、ここで問題。
推薦入試は、大抵合格すれば手続きします。
学校の信用にも関わるし。
で、前期日程で定員20人のところ、蹴る人もいるだろうから30人合格と発表。
ところがふたを開けてみたら15人しか来なかった。
どうします?
1 後期日程で多めに合格を出して穴埋めする。
2 発表した30人を超えて、あと5人埋まるまで電話する。
3 改めて5人集めるための試験をする。
4 入学者が5人少ない、と言うことでOK。
5 学部全体でぴったり160なら学科ごとのでこぼこは不問。
6 その他。
5番が論外なのはすぐにわかると思うけれど、さて。
現実には、多くの大学が2番ではないでしょうか。
勿論、あらかじめここまでなら電話しても良い、と言う、補欠ラインを決めて。
逆に、前期日程で予想外に手続き者が多い場合も、後期日程の合格者・手続き者を減らして調整すればいい、と言う判断はできません。
もう少し抽象化しましょう。
AB二種類の試験に、別々の定員があり、別々の試験問題を課している。
その時、どちらかの定員が期待通りでなかったことを理由に別の定員を調整したとすると、本来こういう問題が起こらなければ受かっていた(或いは落ちていた)人が、落ちる(或いは受かる)という現象が起きる。対等の条件で、同じように準備してきた人たちではないのだから、そういう外部的な要因で合否が決められるのは受験生の権利を侵害する。
4番も同様。
実際にはしかし、極端に受験生が少ない場合、どんな人でも合格させられるか、と言う問題はあるから、最低ラインは必要で、それでも埋まらなければ3番、つまり二次募集と言うことは当然ある。
受験生側から見るとこういう理屈になると思う。
しかし、大学、或いは国側の論理は、また別の要素が含まれる。
最近問題になっているのは学生一人あたりにかかる予算の問題で、これは留年者なども含まれる。大学には--よほどの危機的状況にある大学を除けば--定員を超える学生が在籍している。これらも国から交付される予算の算定に関わるのだとしたら、多い方が大学は潤う事になる。それが税金の無駄遣いだ、という話。
しかし、そう単純ではない。
学生が多くなりすぎたら、少人数講義は成り立たないので、特に外国語などはクラスをひとつ増やす必要が出てくる。たとえばそこに非常勤講師が張り付くとすれば、講師料が発生する。専任教員なら、本来しなくて良い「負担」が増えることに。
質の悪い大学なら、クラスあたりの学生数を増やすだけで(つまり、学生あたりで交付されている予算を授業の質のためにつかわずに)やり過ごすことも出来るけれど、まぁ、静岡大学クラスではあり得ません。
なので、教員たちも、きっちり正確に入学して欲しいのですよ。
追加合格の電話をするのは面倒だから多少過員が出ても多めに発表しようとか、面倒はあっても二次募集をすれば、浪人を覚悟していたセンター試験高得点の受験生が来てくれるから、こっちの方がオイシイとか、冗談で言うことはあっても、現実にそんなケチな判断で我々は動いてはいない。
前に、予算の不正使用のことで書いたのと一緒。
本当に「無駄遣い」をする一部の人たち、或いは官庁が存在することで、我々、真面目にがんばって、誠実に、打算を廃して、「教育」そのものと向き合っている者が、しわ寄せを食らう。
入試制度そのものの抱えている構造を変えることはとてつもなく困難。
しかし、もっと、我々が何を考えているのかを伝えることで、合格したら確実に来る人たちだけが受験するようには、出来るはずだ。
まずそこを目指すこと。
良い教育をすること。
良い入試問題を作ること。
そして、伝えること。
私が受験生だった時、既に「名著」であり、現在は「伝説」になっている高田瑞穂の『新釈 現代文』に書いてある、最も重要な命題は、「問題文をあなたがどう読むか、ではなく、出題者がどう読んだか、を読むことだ」と言うのに尽きる。
このブログでも何度も言っているけれど、入試問題にしても、制度にしても、反対側から「なぜ」そうなっているのか、を問うてみるとなかなか奥が深い。
世の中みんなそうだ、とも言える事、言うまでもないけれど。
以下、たとえ話ね。
入学定員が160人の学部があったとしましょう。
学科は4つ。各40人の定員。
入試は、それぞれ、推薦・前期・後期と三つあって、定員は、10・20・10くらいにしておこうか。
すべてセンター試験を課し、二次(個別)試験はそれぞれ1月・2月・3月に実施、次の試験日以前に前の試験の入学手続きは済む、と言う日程。
さて、ここで問題。
推薦入試は、大抵合格すれば手続きします。
学校の信用にも関わるし。
で、前期日程で定員20人のところ、蹴る人もいるだろうから30人合格と発表。
ところがふたを開けてみたら15人しか来なかった。
どうします?
1 後期日程で多めに合格を出して穴埋めする。
2 発表した30人を超えて、あと5人埋まるまで電話する。
3 改めて5人集めるための試験をする。
4 入学者が5人少ない、と言うことでOK。
5 学部全体でぴったり160なら学科ごとのでこぼこは不問。
6 その他。
5番が論外なのはすぐにわかると思うけれど、さて。
現実には、多くの大学が2番ではないでしょうか。
勿論、あらかじめここまでなら電話しても良い、と言う、補欠ラインを決めて。
逆に、前期日程で予想外に手続き者が多い場合も、後期日程の合格者・手続き者を減らして調整すればいい、と言う判断はできません。
もう少し抽象化しましょう。
AB二種類の試験に、別々の定員があり、別々の試験問題を課している。
その時、どちらかの定員が期待通りでなかったことを理由に別の定員を調整したとすると、本来こういう問題が起こらなければ受かっていた(或いは落ちていた)人が、落ちる(或いは受かる)という現象が起きる。対等の条件で、同じように準備してきた人たちではないのだから、そういう外部的な要因で合否が決められるのは受験生の権利を侵害する。
4番も同様。
実際にはしかし、極端に受験生が少ない場合、どんな人でも合格させられるか、と言う問題はあるから、最低ラインは必要で、それでも埋まらなければ3番、つまり二次募集と言うことは当然ある。
受験生側から見るとこういう理屈になると思う。
しかし、大学、或いは国側の論理は、また別の要素が含まれる。
最近問題になっているのは学生一人あたりにかかる予算の問題で、これは留年者なども含まれる。大学には--よほどの危機的状況にある大学を除けば--定員を超える学生が在籍している。これらも国から交付される予算の算定に関わるのだとしたら、多い方が大学は潤う事になる。それが税金の無駄遣いだ、という話。
しかし、そう単純ではない。
学生が多くなりすぎたら、少人数講義は成り立たないので、特に外国語などはクラスをひとつ増やす必要が出てくる。たとえばそこに非常勤講師が張り付くとすれば、講師料が発生する。専任教員なら、本来しなくて良い「負担」が増えることに。
質の悪い大学なら、クラスあたりの学生数を増やすだけで(つまり、学生あたりで交付されている予算を授業の質のためにつかわずに)やり過ごすことも出来るけれど、まぁ、静岡大学クラスではあり得ません。
なので、教員たちも、きっちり正確に入学して欲しいのですよ。
追加合格の電話をするのは面倒だから多少過員が出ても多めに発表しようとか、面倒はあっても二次募集をすれば、浪人を覚悟していたセンター試験高得点の受験生が来てくれるから、こっちの方がオイシイとか、冗談で言うことはあっても、現実にそんなケチな判断で我々は動いてはいない。
前に、予算の不正使用のことで書いたのと一緒。
本当に「無駄遣い」をする一部の人たち、或いは官庁が存在することで、我々、真面目にがんばって、誠実に、打算を廃して、「教育」そのものと向き合っている者が、しわ寄せを食らう。
入試制度そのものの抱えている構造を変えることはとてつもなく困難。
しかし、もっと、我々が何を考えているのかを伝えることで、合格したら確実に来る人たちだけが受験するようには、出来るはずだ。
まずそこを目指すこと。
良い教育をすること。
良い入試問題を作ること。
そして、伝えること。
私が受験生だった時、既に「名著」であり、現在は「伝説」になっている高田瑞穂の『新釈 現代文』に書いてある、最も重要な命題は、「問題文をあなたがどう読むか、ではなく、出題者がどう読んだか、を読むことだ」と言うのに尽きる。
このブログでも何度も言っているけれど、入試問題にしても、制度にしても、反対側から「なぜ」そうなっているのか、を問うてみるとなかなか奥が深い。
世の中みんなそうだ、とも言える事、言うまでもないけれど。
ウチの受験生かと思ったら、高校受験だって。
そんな人も見に来てるって事なのか、検索で引っかかったのか。
いやぁ、新鮮というか、純粋というか。
私にはなくなってしまった何か。
今、大学の受験生にもこういう「震え」があるんだろうか。
何はともあれ、おめでとう!
受験シーズンも終盤です。
まだ終わらない人も、もう一踏ん張り。
佳い春を!
「受験生日記!高校合格までの勉強奮闘記!!!」
というの。
リンク先が全く同じでタイトルが別というのはよくわからないんだけど、こっちとしてはややこしくなるので片方にしました。
しかし、この中学生ブログ、なかなか佳いです。
皆さん是非訪問してあげて下さい。
青春だなぁ……。