前に書いたかな、と思って検索してみたけど出てこない。
mixiにしか書かなかったんだな。
11月、松坂屋の風鈴丸展の時の話。
隣のギャラリーでは創作こけしの展示をしていた。
これが案外に面白くて、作家さんにあれやこれや質問。
感心しきり。多分この人。これも。
デパートの画廊では、時々こういう事がある。
目指した物の隣に、面白い物を見つけるととても嬉しい。
自分にとっては発見だし。
何でふた月近く前の話を持ち出すかというと、歌舞伎を観た翌日、23日の祝日に、似たような体験をしたからで……。
この日は朝一でまずbunkamuraのアンドリュー・ワイエス。
話逸れるけどこっち先に。
最終日と言うこともあって開場前から行列。
とはいえ、作品に近づけないほどの混雑ではなかった。
今回の展示は“創造への道程”というタイトルで
テンペラとともに素描・水彩にも焦点をあてることで、ワイエスの創造のプロセスを紹介します。制作過程で生れた作品の比較を通して、対象に対する画家の関心の変化を辿るとともに、その変化に応じた描き方の多様さを知ることができるでしょう。
というのがミソ。
年代やテーマ別の“鑑賞”をしながら、一方で一つ一つの作品が出来上がるまでの過程を見ることが出来る。かなり贅沢。
そして、得心のいく展示。
インタビューのビデオもなんだか面白かった。
年齢じゃないぞ、とか。
で、そのあとオペラシティに移動。
蜷川実花。
ここも入口で行列。
しかし、中はそれほどでもない。
一番渋滞してたのは、タレントの写真がだーっとある通路。
早足用の列で移動。
この人を最初に意識したのはそんなに古いことではない。
05年に庭園美術館であった、広い意味でのボタニカルアートの展示で、この人の写真は強烈だった。
このときは図録もなくて、出品目録はあったのかなぁ。
とても面白かったんだよなぁ。
それ以外は、無料のギャラリーに何度か行った程度で、今回はかなり規模の大きな展示。
さすがに若者に人気があるらしく、賑やかな写真展。
でもやっぱり私は花が好きだなぁ。
その話は前に書いたか。デジタルでまねしたり。
こういうのやりたいよなぁ、ということをやってくれちゃう。しかもフィルムで。
すごいなぁ。
さて、ここからが本題。
“同時開催”。
オペラシティのギャラリーでは、この日、階段の上で別の展示会が二つあった。
一つはブラック&ホワイト 磯見輝夫・小作青史。
両方ともモノクロ版画。
その先にましもゆき。
こちらは黒のペン画。
色彩の洪水から上に上がるとモノクロの世界。
しかも、版画はかなり荒々しく、ペン画は異様に繊細。
蜷川実花が好きだからわざわざ行った展示なのだけれど、そこで、光学系ナノテク企業の協力クレジットを眺めながら、写真というアートの“アウラ”と言うことを考えつつ、版画、肉筆と移動するのは、なかなかに面白い体験。
このことは、先に行ったエヌガールさんが指摘していたことなのだけれど、更に詳しくブログ書いている人もいる。
作為の限界/創造の無限 ―「蜷川実花展」/「ブラック&ホワイト 磯見輝夫・小作青史」@東京オペラシティ・アートギャラリー Faisons volte-face !
今回の二つの対照的な展示を見て思ったのは「作為の限界」と「創造の無限」。蜷川作品が閉鎖的な「そこが終点の美」なら、磯見作品の「見る者を引き込み、作品を透かして無限に目には見えない世界を視せる美しさ」ということ。消費されるための商品と、消費されえぬ芸術。蜷川氏は自ら足を運び、上の階へといってみただろうか。
なるほど。
私の中で、“複製技術時代”のポップアートと“芸術”についての判断が停まっている感じでもあるのだけれど、モノクロの豊穣さというのは、この組み合わせの中で強く意識できたと思う。
蜷川実花は、上で何を感じただろうなぁ。
また話逸れるけれど、ましもゆきと言う人の作品を別の人のと思い違いしていたことに気づいた。
佐伯洋江。
まだまだ観たい物、どころか、識らない物がたくさん。
さて、この日の“同時開催”はまだ終わらなかった。
オペラシティに置いてあったチラシに、更に上でやっている企画の情報。
存在だけは何となく識っていたNTT系の展示施設ICC。
「ライト・[イン]サイト―拡張する光、変容する知覚」展
この展覧会は,自明すぎてあらためて振り返られる機会の少ない「光」という存在の過去,現在そして未来の可能性を,「知覚」という切り口を通してアートと科学を超えた視点から新たに照射するものです.
と言うコンセプトの下、
既存の視覚システムを参照しながらもそれを批評的に突き崩していく作品,光を通した逸脱的な知覚へと開いていく作品,光をかつてない方法で可視化する作品…….いずれも観客の知覚や思考とともに生じるダイナミックな体験そのものが「作品」として浮上します.
「ライト・[イン]サイト」展は,観客自らが光を介して「見ること,視覚,観察(sight)」の意味を問い直し,それによって新たな「洞察(insight)」を獲得していく契機となるでしょう.
という。
本当に。
その中の一つ、思考プロジェクターを試してみました。ここの「ticket:」に、20081223434いれて、GO!
それ、私のです。
我々は何を観ているのか、と言うことそのものがテーマになる。
あぁ、あれやらこれやら、色んな記憶が襲いかかってくる。
私が今、PCに向かって「書いている」ということ。
否。紙の上の文字でさえ。
こういう揺さぶりは、本当に大好物。
しかも、中々にアトラクティブで、若い人達もかなり愉しんでいた様子。
こう言うのに若い時に触れてしまった人達って、どうなっていくんだろうなぁ。
思い起こせば、83年の秋、埼玉県立近代美術館で観た“現代のリアリズム”展は、その後の私を決定的に動かしてしまったのだよなぁ。
四半世紀前、私の中の“事実”が崩壊した日。
ワイエスを初めて認識したのもこの時だった。
同じ建物の中を、こういう順番でめぐったことの作用。
まだまだ消化し切れていないのだけれど。
ネットでの買い物が中心になると本屋や図書館の棚の“隣”の楽しみが無くなる。
足を運ぼう。
そうそう。
実は、千葉市美術館で行われている岡山県立美術館所蔵 雪舟と水墨画は、カラーズ・色彩のよろこびと同時開催。
つまり、蜷川/版画・ペン画とは逆の対になっている。このことについては明確な意図が示されている。
今年度の所蔵作品展は、同時開催の企画展と何らかのつながりのあるテーマを設定して開催してまいりました。水墨画の名品の揃う「岡山県立美術館所蔵雪舟と水墨画」と同時開催となる本展は、「カラーズ・色彩のよろこび」と題してみました。墨色の濃淡のなかに万象をとらえようとする水墨画の世界とは対照的な、色彩のよろこびに満ちた作品を集め、「彩る」という行為が見せる諸相をご覧いただきます。
心意気に拍手!
年が明けたら行ってこよう。
やー長くなった。
mixiにしか書かなかったんだな。
11月、松坂屋の風鈴丸展の時の話。
隣のギャラリーでは創作こけしの展示をしていた。
これが案外に面白くて、作家さんにあれやこれや質問。
感心しきり。多分この人。これも。
デパートの画廊では、時々こういう事がある。
目指した物の隣に、面白い物を見つけるととても嬉しい。
自分にとっては発見だし。
何でふた月近く前の話を持ち出すかというと、歌舞伎を観た翌日、23日の祝日に、似たような体験をしたからで……。
この日は朝一でまずbunkamuraのアンドリュー・ワイエス。
話逸れるけどこっち先に。
最終日と言うこともあって開場前から行列。
とはいえ、作品に近づけないほどの混雑ではなかった。
今回の展示は“創造への道程”というタイトルで
テンペラとともに素描・水彩にも焦点をあてることで、ワイエスの創造のプロセスを紹介します。制作過程で生れた作品の比較を通して、対象に対する画家の関心の変化を辿るとともに、その変化に応じた描き方の多様さを知ることができるでしょう。
というのがミソ。
年代やテーマ別の“鑑賞”をしながら、一方で一つ一つの作品が出来上がるまでの過程を見ることが出来る。かなり贅沢。
そして、得心のいく展示。
インタビューのビデオもなんだか面白かった。
年齢じゃないぞ、とか。
で、そのあとオペラシティに移動。
蜷川実花。
ここも入口で行列。
しかし、中はそれほどでもない。
一番渋滞してたのは、タレントの写真がだーっとある通路。
早足用の列で移動。
この人を最初に意識したのはそんなに古いことではない。
05年に庭園美術館であった、広い意味でのボタニカルアートの展示で、この人の写真は強烈だった。
このときは図録もなくて、出品目録はあったのかなぁ。
とても面白かったんだよなぁ。
それ以外は、無料のギャラリーに何度か行った程度で、今回はかなり規模の大きな展示。
さすがに若者に人気があるらしく、賑やかな写真展。
でもやっぱり私は花が好きだなぁ。
その話は前に書いたか。デジタルでまねしたり。
こういうのやりたいよなぁ、ということをやってくれちゃう。しかもフィルムで。
すごいなぁ。
さて、ここからが本題。
“同時開催”。
オペラシティのギャラリーでは、この日、階段の上で別の展示会が二つあった。
一つはブラック&ホワイト 磯見輝夫・小作青史。
両方ともモノクロ版画。
その先にましもゆき。
こちらは黒のペン画。
色彩の洪水から上に上がるとモノクロの世界。
しかも、版画はかなり荒々しく、ペン画は異様に繊細。
蜷川実花が好きだからわざわざ行った展示なのだけれど、そこで、光学系ナノテク企業の協力クレジットを眺めながら、写真というアートの“アウラ”と言うことを考えつつ、版画、肉筆と移動するのは、なかなかに面白い体験。
このことは、先に行ったエヌガールさんが指摘していたことなのだけれど、更に詳しくブログ書いている人もいる。
作為の限界/創造の無限 ―「蜷川実花展」/「ブラック&ホワイト 磯見輝夫・小作青史」@東京オペラシティ・アートギャラリー Faisons volte-face !
今回の二つの対照的な展示を見て思ったのは「作為の限界」と「創造の無限」。蜷川作品が閉鎖的な「そこが終点の美」なら、磯見作品の「見る者を引き込み、作品を透かして無限に目には見えない世界を視せる美しさ」ということ。消費されるための商品と、消費されえぬ芸術。蜷川氏は自ら足を運び、上の階へといってみただろうか。
なるほど。
私の中で、“複製技術時代”のポップアートと“芸術”についての判断が停まっている感じでもあるのだけれど、モノクロの豊穣さというのは、この組み合わせの中で強く意識できたと思う。
蜷川実花は、上で何を感じただろうなぁ。
また話逸れるけれど、ましもゆきと言う人の作品を別の人のと思い違いしていたことに気づいた。
佐伯洋江。
まだまだ観たい物、どころか、識らない物がたくさん。
さて、この日の“同時開催”はまだ終わらなかった。
オペラシティに置いてあったチラシに、更に上でやっている企画の情報。
存在だけは何となく識っていたNTT系の展示施設ICC。
「ライト・[イン]サイト―拡張する光、変容する知覚」展
この展覧会は,自明すぎてあらためて振り返られる機会の少ない「光」という存在の過去,現在そして未来の可能性を,「知覚」という切り口を通してアートと科学を超えた視点から新たに照射するものです.
と言うコンセプトの下、
既存の視覚システムを参照しながらもそれを批評的に突き崩していく作品,光を通した逸脱的な知覚へと開いていく作品,光をかつてない方法で可視化する作品…….いずれも観客の知覚や思考とともに生じるダイナミックな体験そのものが「作品」として浮上します.
「ライト・[イン]サイト」展は,観客自らが光を介して「見ること,視覚,観察(sight)」の意味を問い直し,それによって新たな「洞察(insight)」を獲得していく契機となるでしょう.
という。
本当に。
その中の一つ、思考プロジェクターを試してみました。ここの「ticket:」に、20081223434いれて、GO!
それ、私のです。
我々は何を観ているのか、と言うことそのものがテーマになる。
あぁ、あれやらこれやら、色んな記憶が襲いかかってくる。
私が今、PCに向かって「書いている」ということ。
否。紙の上の文字でさえ。
こういう揺さぶりは、本当に大好物。
しかも、中々にアトラクティブで、若い人達もかなり愉しんでいた様子。
こう言うのに若い時に触れてしまった人達って、どうなっていくんだろうなぁ。
思い起こせば、83年の秋、埼玉県立近代美術館で観た“現代のリアリズム”展は、その後の私を決定的に動かしてしまったのだよなぁ。
四半世紀前、私の中の“事実”が崩壊した日。
ワイエスを初めて認識したのもこの時だった。
同じ建物の中を、こういう順番でめぐったことの作用。
まだまだ消化し切れていないのだけれど。
ネットでの買い物が中心になると本屋や図書館の棚の“隣”の楽しみが無くなる。
足を運ぼう。
そうそう。
実は、千葉市美術館で行われている岡山県立美術館所蔵 雪舟と水墨画は、カラーズ・色彩のよろこびと同時開催。
つまり、蜷川/版画・ペン画とは逆の対になっている。このことについては明確な意図が示されている。
今年度の所蔵作品展は、同時開催の企画展と何らかのつながりのあるテーマを設定して開催してまいりました。水墨画の名品の揃う「岡山県立美術館所蔵雪舟と水墨画」と同時開催となる本展は、「カラーズ・色彩のよろこび」と題してみました。墨色の濃淡のなかに万象をとらえようとする水墨画の世界とは対照的な、色彩のよろこびに満ちた作品を集め、「彩る」という行為が見せる諸相をご覧いただきます。
心意気に拍手!
年が明けたら行ってこよう。
やー長くなった。
ワイエスのページを開けてるのは意図的なんだろうなぁ。
12月 29日 22時 30分まで!
http://page19.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x35790688
持ってるのと、表紙の文字の色がちょっと違うなぁ。
アンドリュー・ワイエス展、近いが故に逆に足が遠のき、期待が高まる故に、もしもの失望に怖気づき、結局いかずじまいでした。感想を拝読し、惜しいことをしました。
またお邪魔させていただきます。
はずした~!
と言うのもありますけどね。
それもまた勉強だし。
私も時々覗かせて頂きますね。
よろしくお願いします。