3/8(土)
没後30年 熊谷守一展 天与の色彩 究極のかたち 埼玉県立近代美術館
この展示の感想を書く前に、ちょっと振り返っておきたいことがある。
わたしは、80年4月に埼玉大学に入学し、大学院に進学した1年後に中板橋に引っ越すまで、5年間北浦和に住んでいた。その間、もちろんそのあとも、この美術館には何度も行っている。しかし、明確に、ここで見た、という記憶が残っている展示会、といえば、「現代のリアリズム」(83,11)と、「VISUALIZATION in the end of the 20th century 「うつすこと」と「見ること」-意識拡大装置-」(94.8)の二つ。
特に前者は、私自身若かった事もあり、相当な衝撃だった。
今回、改めて、あのとき以来展示しっぱなしの「風景の外側」を確認してきた。虫が這っていた。
好み、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、今回も、熊谷の図録と一緒に、行けなかった99年「自然を読む…アナタノ自然ハドコニアル…」の図録を買った。
熊谷守一展そのものは巡回展なのでこの館の特性云々を言うのは的外れなのだけれど、ここに並べた現代美術の実験的な展示の文脈に熊谷を入れてみると、この人の作品がすこし見えやすくなってくるように思える。
ここは学術論文を書く場ではないのでいちいち細かい引用をするのは控えるけれど、熊谷自身、写実、あるいはリアル、と言う事を離れようとしているのではなく、彼の「見る」行為の先にこそ、あのような究極の色と形が存在し得るのだ、と言う事。
「自然を読む」の巻頭で、館長が「解りやすい風景画」について書いているのは、そういう意味でも示唆的だ。
熊谷の絵を見ながら、カンジンスキーを、あるいは、マシマさんの絵を思い浮かべていた。彼らには、何が見えているのだろう。
何度も何度も戻ってくる場所。
同日午後。
まんまるお茶会。 調布市森のテラス
仙川の駅から桐朋を挟んで反対側、斜面に建てられたテラスのある民家を使ったイベント。
ぼんやり歌を聴いたり話をしたり、作品の売り買いをしたり。
私は足裏マッサージをしていただきました。
イベント、と言う表現も不似合いな「自主制作」的集会。
ここのところ、こういう企画(とひとまとめにして良いのかどうか判断に迷うのだけれど)がかなりあるようにみえる。
都心のライブハウスのような空間を使う事もあれば、農場や民家を使う事もあり。
私の家の忘年会や花見、スノドカフェのポットラックパーティのようなのは、却ってコンセプトが明確な方かもしれないと思えてしまう。
行けば面白い人がいるし、そこそこ楽しくもあるのだけれど、私自身は、そういう物を必要としていない。「いいところ」に出かけていって、自分に「癒し」を与えたいのなら、山に入ればいい。大学の中を散策するだけで、森の中にしばらく腰掛けているだけで、私には十分だ。
熊谷は、千早の自宅で木々に囲まれながら生きた。
東京の若者達は、もう、そういう生活をする事が出来ないし、地方の若者達は、それでも都会に行こうとする。
何もしないで過ごす事の困難。
都会の若者達には、何が見えているんだろう。
静岡にいれば、それからもちろん鴨川でも、四季それぞれ山に入ってぼんやりし、夏になれば海に入ってぼんやりし、美味いものを自分の手でとって食べる事も出来る。「自然」の空気や土壌が安全だと言い切る事も出来なくなってしまったけれど、「オーガニック」や「フェアトレード」を言う前に、手の届くところにある恵みをしっかり受け止められる人でいないとな、と。
少なくとも、ここにはまだそういう環境がある事に感謝しなきゃな、と思った。
今日もフキノトウが美味い。
3/9(日)
ブラジル移民100周年記念イベント第1弾 「ブラジルに渡った日本人たち」
・「戦争は日本が勝った! ブラジル最後の「勝ち組」老人」(40分)
・「第3世界の環境都市 クリチバの挑戦」(60分)
岡村淳監督のトーク・質疑応答つき。
静岡県立大学
紹介してくれたIさん、それから作品のタイトルへの興味程度で出かけていったのだけれど、思わぬ収穫だった。
「勝ち組」の一人と出会い、インタビューする最初の作品は、勝ち組問題そのものへの切り込みがないのが物足りなくもあったのだけれど、上映後に、Mさんの解説的なご意見があり、監督とのやりとりの中で、日本人論としての視点が見えてきて面白かった。
そうして、ドキュメンタリー作家としての岡村監督のエスノグラファーとしての姿勢にも共感できる物があった。
後半は全く異なるテーマ。環境問題に取り組んでいるクリチバという都市の様々な挑戦を紹介している。15年前にエコロジーという「流行」の問題点を指摘しているのもなかなか興味深い。
この作品には出てこないのだけれど、バイオエタノール関連作物へのシフトがもたらす破壊についても作品があるらしい。
環境のために化石燃料を使わない、というのはよしとして、「安全な原子力」や、生態系を根底から破壊しかねない農業の方向転換を進める事に、未来はあるのか。
帰りに浅羽さんたちと、おしゃれな喫茶店でケーキをつつきながら雑談。
そこでも、歴史やリアリティや、環境や……、いろんな事について話し合った。
ちょっとしゃべりすぎたかも知れない。
しかし、有意義な一日でした。
感謝。
没後30年 熊谷守一展 天与の色彩 究極のかたち 埼玉県立近代美術館
この展示の感想を書く前に、ちょっと振り返っておきたいことがある。
わたしは、80年4月に埼玉大学に入学し、大学院に進学した1年後に中板橋に引っ越すまで、5年間北浦和に住んでいた。その間、もちろんそのあとも、この美術館には何度も行っている。しかし、明確に、ここで見た、という記憶が残っている展示会、といえば、「現代のリアリズム」(83,11)と、「VISUALIZATION in the end of the 20th century 「うつすこと」と「見ること」-意識拡大装置-」(94.8)の二つ。
特に前者は、私自身若かった事もあり、相当な衝撃だった。
今回、改めて、あのとき以来展示しっぱなしの「風景の外側」を確認してきた。虫が這っていた。
好み、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、今回も、熊谷の図録と一緒に、行けなかった99年「自然を読む…アナタノ自然ハドコニアル…」の図録を買った。
熊谷守一展そのものは巡回展なのでこの館の特性云々を言うのは的外れなのだけれど、ここに並べた現代美術の実験的な展示の文脈に熊谷を入れてみると、この人の作品がすこし見えやすくなってくるように思える。
ここは学術論文を書く場ではないのでいちいち細かい引用をするのは控えるけれど、熊谷自身、写実、あるいはリアル、と言う事を離れようとしているのではなく、彼の「見る」行為の先にこそ、あのような究極の色と形が存在し得るのだ、と言う事。
「自然を読む」の巻頭で、館長が「解りやすい風景画」について書いているのは、そういう意味でも示唆的だ。
熊谷の絵を見ながら、カンジンスキーを、あるいは、マシマさんの絵を思い浮かべていた。彼らには、何が見えているのだろう。
何度も何度も戻ってくる場所。
同日午後。
まんまるお茶会。 調布市森のテラス
仙川の駅から桐朋を挟んで反対側、斜面に建てられたテラスのある民家を使ったイベント。
ぼんやり歌を聴いたり話をしたり、作品の売り買いをしたり。
私は足裏マッサージをしていただきました。
イベント、と言う表現も不似合いな「自主制作」的集会。
ここのところ、こういう企画(とひとまとめにして良いのかどうか判断に迷うのだけれど)がかなりあるようにみえる。
都心のライブハウスのような空間を使う事もあれば、農場や民家を使う事もあり。
私の家の忘年会や花見、スノドカフェのポットラックパーティのようなのは、却ってコンセプトが明確な方かもしれないと思えてしまう。
行けば面白い人がいるし、そこそこ楽しくもあるのだけれど、私自身は、そういう物を必要としていない。「いいところ」に出かけていって、自分に「癒し」を与えたいのなら、山に入ればいい。大学の中を散策するだけで、森の中にしばらく腰掛けているだけで、私には十分だ。
熊谷は、千早の自宅で木々に囲まれながら生きた。
東京の若者達は、もう、そういう生活をする事が出来ないし、地方の若者達は、それでも都会に行こうとする。
何もしないで過ごす事の困難。
都会の若者達には、何が見えているんだろう。
静岡にいれば、それからもちろん鴨川でも、四季それぞれ山に入ってぼんやりし、夏になれば海に入ってぼんやりし、美味いものを自分の手でとって食べる事も出来る。「自然」の空気や土壌が安全だと言い切る事も出来なくなってしまったけれど、「オーガニック」や「フェアトレード」を言う前に、手の届くところにある恵みをしっかり受け止められる人でいないとな、と。
少なくとも、ここにはまだそういう環境がある事に感謝しなきゃな、と思った。
今日もフキノトウが美味い。
3/9(日)
ブラジル移民100周年記念イベント第1弾 「ブラジルに渡った日本人たち」
・「戦争は日本が勝った! ブラジル最後の「勝ち組」老人」(40分)
・「第3世界の環境都市 クリチバの挑戦」(60分)
岡村淳監督のトーク・質疑応答つき。
静岡県立大学
紹介してくれたIさん、それから作品のタイトルへの興味程度で出かけていったのだけれど、思わぬ収穫だった。
「勝ち組」の一人と出会い、インタビューする最初の作品は、勝ち組問題そのものへの切り込みがないのが物足りなくもあったのだけれど、上映後に、Mさんの解説的なご意見があり、監督とのやりとりの中で、日本人論としての視点が見えてきて面白かった。
そうして、ドキュメンタリー作家としての岡村監督のエスノグラファーとしての姿勢にも共感できる物があった。
後半は全く異なるテーマ。環境問題に取り組んでいるクリチバという都市の様々な挑戦を紹介している。15年前にエコロジーという「流行」の問題点を指摘しているのもなかなか興味深い。
この作品には出てこないのだけれど、バイオエタノール関連作物へのシフトがもたらす破壊についても作品があるらしい。
環境のために化石燃料を使わない、というのはよしとして、「安全な原子力」や、生態系を根底から破壊しかねない農業の方向転換を進める事に、未来はあるのか。
帰りに浅羽さんたちと、おしゃれな喫茶店でケーキをつつきながら雑談。
そこでも、歴史やリアリティや、環境や……、いろんな事について話し合った。
ちょっとしゃべりすぎたかも知れない。
しかし、有意義な一日でした。
感謝。
本日、台湾にやってきました。
明日はこちらの大学で5時間16分の拙作「アマゾンの読経」の上映です。
まずは御礼まで。
興味深く拝見しました。
また静岡にいらっしゃいますよね。
新年度が始まると日程が厳しいかも知れませんが、伺えるようでしたらちゃんとご挨拶します。