源氏物語を読む会は今日から野分に入りました。
仲秋八月。源氏36歳。
里下がり中の秋好む中宮の御殿(おとど)の庭園に、ある日夕刻から激しい野分が吹き荒れ始めて、夜通し猛威を振るった。
その夕刻、風の見舞いに南の御殿を訪れた夕霧は、はしなくも、絶えて窺うことも許されなかった紫の上の美しい姿を垣間見る。
その姿は夕霧に、春の曙の霞の間に咲き誇る樺桜(山桜の一種)もかくやと望まれた。
夕霧は源氏の名代として秋好む中宮を見舞い、ついで、中宮、明石の上、玉鬘、花散る里と、女君たちを見舞う源氏のお供をする。
玉鬘の美しさは夕映えに露を帯びた八重山吹さながらであった。
南御殿の明石の姫君の許に立ち寄った夕霧は、そこで垣間見た姫君の容姿は、藤の花の美しさを思わせた。
読者は夕霧に導かれて、六条の院の女君たちのそれぞれの姿態に接するのであるが、各場面に作者の冴えた描写力がみられ、読み応えのある巻きである。
以上テキスト巻頭より抜粋。
クロホウシ(黒法師) このまま育つとトピアリーのようになる。
書き出し
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中宮の御前に、秋の花を植ゑさせたまへること、常の年よりも見どころ多く、色草を尽くして、よしある黒木赤城のませを結いまぜつつ、同じき花の枝ざし、姿、朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて作りわたせる野辺の色を見るに、はた、春の山もわすれられて、涼しうおもしろく、心もあくがるるやうなり。春秋のあらそいに、昔より心寄する人は数まさりけるを、名たたる春の御前の花園に心寄せし人々、また引きかえしうつろふけしき、世のありさまに似たり。
六条の院の西南の町、秋好む御殿のお庭に、秋の花を植えさせたまえること、常の年よりも見どころ多く、種類を尽くして、風情のある黒木や赤木のませ(植込みの周囲の柵)をあちこちに配して、同じ花の枝ぶりや、姿ながら朝露、夕露の光も格別に、玉かと輝くばかり広々と庭つくりした。
名高い春の御殿の美しい花園(暗に紫の上の東南の町をさす)にひいきした人々も、また掌を返すように心変わりするさまは、時勢におもねる世情と変わりない。
紫の上の描写
気高くきよらかに、さとにおほふここちして、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見るここちす。
気高く美しく、ぱっと照り映えるような感じで、春の霞の間より風情のある樺桜の咲き乱れたるを見るここちがする。
愛敬はにおい散りて、またなくめずらしき人の御さまなり。
魅惑的な美しさは、華やかにあたりに照り映えて、
今日の講義内容の一部です。
たまには復習してみました。
しかし、「こんだけ美女をそろえて、渡り歩いて 源氏ってどうなん?紫の上だけで、十分じゃあないの?」って思う私です。
でも、確かに素晴らしい描写力だわ。紫式部って。
紫式部がドラマ化されるけど、どんなふうに描かれるのか楽しみだね。
黒法師