先月末久しぶりに叔母と食事をした時に、
「癌と言われて入院する前に、あなたが連れて行ってくれた三島の街も水がきれいな所だったね。」という話になりました。
そういえばそんなこともありました。
もう10年くらい経つのではないかと思いますが、気分転換を兼ねて三嶋大社にお参りに行き、ご祈祷をしていただいたのでした。
あの時は本殿ではなく舞殿に案内されたように記憶しています。
二人の神主さんがいらっしゃり、頭を下げながらじっと控えていたのですが、若い神主さんの伸びやかな声が舞殿に響いた瞬間、
「届いた!」と感じたのです。
その手術当日は叔母の息子と娘である従兄妹が付き添っていたのですが、
始まってそれほど時間も経たないうちに手術が終了してしまった。
従兄妹たちはその時間の早さに、手の施しようがなく止めてしまったんだと全身の力が抜けてしまったのだそうです。
ところが医師の説明によると、
「こんなことはふつうはないのですが、癌がありませんでした。たぶん検査の時に癌細胞が全部とれてしまったのだと思われます。」
ということだったそうです。
瞬間なんです、祈りが届いたと感じるのは。
「癌と言われて入院する前に、あなたが連れて行ってくれた三島の街も水がきれいな所だったね。」という話になりました。
そういえばそんなこともありました。
もう10年くらい経つのではないかと思いますが、気分転換を兼ねて三嶋大社にお参りに行き、ご祈祷をしていただいたのでした。
あの時は本殿ではなく舞殿に案内されたように記憶しています。
二人の神主さんがいらっしゃり、頭を下げながらじっと控えていたのですが、若い神主さんの伸びやかな声が舞殿に響いた瞬間、
「届いた!」と感じたのです。
その手術当日は叔母の息子と娘である従兄妹が付き添っていたのですが、
始まってそれほど時間も経たないうちに手術が終了してしまった。
従兄妹たちはその時間の早さに、手の施しようがなく止めてしまったんだと全身の力が抜けてしまったのだそうです。
ところが医師の説明によると、
「こんなことはふつうはないのですが、癌がありませんでした。たぶん検査の時に癌細胞が全部とれてしまったのだと思われます。」
ということだったそうです。
瞬間なんです、祈りが届いたと感じるのは。