今朝方、曾祖母の夢を見た。
いや、夢ではない。これは現実だ、と夢の中で思っていた。
真夜中、眠っていたら曾祖母、ひいおばあちゃんが私のことを呼んでいる。
「きみちゃん!」と呼ばれ
「何だろう?」と思い起きてみると、目の前に曾祖母が座っていた。
そして私の両手をしっかり握りながら、
「ありがとうね。本当にありがとうね。」
と言うのだ。
顔もはっきりしている。
以前家に飾ってあった肖像画よりずっと若くてハリのある顔だ。
両手の感触もはっきりしている。
これは夢ではない、本当にふさおばあちゃんが会いにきてくれたのだと夢の中で思った。
今、過去張を開いてみると立ち日は昭和45年9月21日。
一昨日がちょうど50年になる。
久しく法事もしていなかったけれど、今年の6月30日に富士に戻り、曾祖母、祖父、両親の年忌法要をした。
曾祖母は、そのことを言っているのか?
秋分の日の昨日、私はとある霊場に行っている。
15年ほど前に1度訪れたことがある場所で、そこから帰った翌日から毎朝毎夕太陽を深く拝するようになり、私の中で自然と何かが変わって行った。
春分の日、秋分の日はあの世とこの夜に橋が架かり、あの世とこの世はひとつに繋る。
昔からそんなふうに思っている私は、昨日もこれまでの毎日の日々のお礼を言うために、太陽を拝することを教わったお礼を言うために、あの山の中腹にあるお寺へ向かった。
今年5月には死者に会えると言われる恐山にも行っていた。
さまざまな偶然が重なり、いやひとつひとつが縁の糸を深くし、出会えた夢なのかもしれない。
曾祖母は、彼岸から続く橋を渡り、私以外にもさまざまな親しかった人に会い、お礼を言い、笑顔で彼岸に帰って行ったのではないか、、そんなふうに思った。
ひいおばあちゃま、橋を渡って会いに来てくれたのですね!この世とあの世はつながっている、そう感じることができました。日付にもドキっとしました。
私も、色々なご縁を大切にし、ありがとうと思っていただけるような毎日を過ごしていきたいと、改めて思いました。ありがとうございました!
今回のように感触もしっかり感じられるほどリアルな経験は、私自身めったにありませんが、
亡くなったご親族のメッセージをお預かりすることは、たまにあります。
そういえばこのブログにも以前、「ごめんねの代わりに」というメッセージを私が代筆させていただいたことがありましたね(*^^*)