わたし自身の身体も、空の雲も、川辺の岩も、手にした木の器も、
この同じ地球上の物質からできているとしたら、
雲にも岩にも器にも命が宿っている。
生きている年数を重ねるごとにそんなふうに思うようになって、
そんなふうに思っているせいか、
時折空行く雲の、水と遊ぶ岩の、器に宿る生命の声が、
聞こえたように感じる瞬間があるのです。
この同じ地球上の物質からできているとしたら、
雲にも岩にも器にも命が宿っている。
生きている年数を重ねるごとにそんなふうに思うようになって、
そんなふうに思っているせいか、
時折空行く雲の、水と遊ぶ岩の、器に宿る生命の声が、
聞こえたように感じる瞬間があるのです。
もしかして
そう感じる人の こころが
あたたかく 満ちたりている
あかし なのかも。。
たとえば絵や音楽、、。
その中に映る
うつくしさや、哀しみや、ときめきを、瞬間に感じとれる 目の深さと直観力を持っている
sana さんのような感性に
わたしは憧れるんです。