【フィギュアスケーターのオアシス♪KENJIの部屋】
羽生結弦選手エピソード4(前編)
スポーツテレビ局J SPORTSの人気番組「フィギュアスケーターのオアシス♪
KENJIの部屋」2015-2016シーズンがいよいよスタート!日本選手はもちろん、
海外選手のプログラムも多数手掛ける振付師・宮本賢二さん(KENJI)が、
トップスケーターをゲストに迎えて、楽しく、真剣にトークを繰り広げます!
記念すべき新シーズン最初のゲストはソチ五輪・金メダリストの羽生結弦選手。
第4回では昨シーズンの中国GPでのアクシデントなどについて
語っていただきました。

飛躍の12/13シーズン
――(コーチを)ブライアンにやってもらっていて、どんどんいろんな
試合がありました。四大陸も全日本も初優勝でした。
そこからのグランプリでしたね
羽生:
グランプリの年にブライアンに変わって、その年のグランプリ一戦目でショートで
世界最高得点を出してるんですね。それが大きかった。
それで名前が売れた。
(補足)SP世界最高得点(当時)95.07@GPカナダ 95.32@NHK杯
――いや、名前はもう売れてたけどね(笑)
羽生:
自分でもびっくりしました。衝撃的でした。
ショートでジャンプの内容は完璧だったかもしれないけど、うまく
できてないこともけっこうありました。
納得もしてない状態で「90って、え?!95って?!85じゃないの?」って。
すごいびっくりしました。
90っていうと当時、パトリック選手がノーミスで92、3の時代でした。
90なんて出したら異次元だったんですが、出ちゃったのでびっくりしました。
――出ちゃったんだ
羽生:
出ちゃいました。そしたらフリーがボロボロになりましたけど(笑)。
――前と逆に
羽生:
そうなんです。
その年からショート得意、フリーボロボロのパターンになってきました。
――でも、先シーズンのショートが一番良かったのは、
最後の最後のエキシビションの時だったでしょ?
羽生:
そうですね。エキシビションで初めてノーミスでした。
そのシーズン、エキシビション以外ノーミスがなかったんですよ。
――(笑)
羽生:
グランプリファイナルのフリーもあともうちょっとだったのに、
ルッツの前にめっちゃ疲れてて、跳べる気がしなかったですもん。
とりあえず基礎点
――跳べる気がしない時はテンション的にどう持っていくの?
羽生:
とりあえず跳ぼうみたいな。
とりあえず基礎点もらおうみたいな(笑)。
――基礎点大事だよね
羽生:
中国杯の時もアクシデントがあって、パンクしたらダメだから、
とりあえず回ろうみたいな。コケてもいいやと。
コケてもとりあえず回って、マイナス3されようが、
ディダクションつこうが、
マイナス3でディダクションが一つついても、
マイナス4点くらいですよね。
4回転サルコウを跳べば10.5なので6はもらえるわけです。
じゃあそれを跳び続けるしかないなみたいな。
――基礎点大事だね
羽生:
大事です。
14年GP中国 6分練習での激突
――聞いていいかわからないけど、ぶつかってしまった時は
大丈夫だったの?
羽生:
車椅子で帰らないといけなかったくらい、足が動かなかったですし。
自分でも不思議なんです。あの時なんで4回転回れたのか。
なんで4分半あれだけ滑れたのか不思議でしょうがないんです。
――どこかで基礎点と思ってたんじゃない?
羽生:
(笑)。基礎点はしっかり考えてました。
絶対回れば点数は取れるから。回るだけ回ろうと思って。
アクセル一本くらい決めようと思ってました。
14年GP中国 衝突後の状況
――(切ったのはあご下を指して)ここ?
羽生:
こっちが一番(切って)大量出血しました。
ここが一番パカーっと開いて出血してました。
こっちも(頭側部)出血してたんです。
頭の横のところを、相手とぶつかった時にさっくりいったのか
何なのかわからないですが。
――血はすごかったけど、こっちはそこまで
羽生:
そうです、後ろとかは切ってないんです。
(あごは)氷に打ってしまいましたが。それだけですみました。
(切った頭は)カッといってしまっただけなんで。
――頭は大丈夫だったと
羽生:
脳みそが揺れた感覚はなかったです。
揺れたことは過去に何度かあると思うんですが。
そういう経験が。
14年GP中国 あの激突の真相
――気をつけてね。
じゃあ中国杯でぶつかった時は
羽生:
頭は大丈夫でした。
とにかくあの時スリーターンしてたので、左足でフォアのスリーターンでした。
左足でバックに差し掛かる時に、ちょうど相手選手のまっすぐきた膝が
(僕の内側に)ここに入ったんです。
そのまま左足で滑ったので、抜けたんです。
だからどうしようもなくて。
このまま抜けたから、(右足は)ついてないですし、
「あ、どうしよう」って。
頭も痛かったし、ああヤバイと思って(お腹から)いきました。
一番最初はお腹に入って、お腹が痛くて痛くて仕方なかった。
スケーターはみんな誰しもが経験することなんですが。
前にいっちゃうんです。
ちっちゃい頃に絶対あります。
しかもトップスピードで。
ガンっていって、みぞおちが痛くて息ができない状態。
アレの20倍増しくらいの痛さでした。
――想像できないわ!だから動けなかったんや

羽生:
最初は意識があって立とうとしているんですよ。
立とうとしたんですが、みぞおちが痛すぎて、筋肉も収縮しちゃって
背中を起こせなくて、ずっと屈んだ状態で。
この状態もしんどかったので、とりあえず横になって。
レフェリー笛ならしてくれないなあって思いながら、
みんな練習してるなあ、でも痛いなあとか思ってたのを覚えてます。
中国のドクターチームが来て、担架を持ってきてくれたんです。
大丈夫?歩ける?って言われて。
「いいよ、そんなんいらんし、普通に出るし」ってやってました。
――頭じゃなくてよかったね
羽生:
頭じゃなくてよかったですね。
あれはみんなに出血がこっちからこっちまであったんですが、
(頭部の方は)出血はあったんですがそれほどでもなかったので。
こっち(あご下)の方の出血がひどかったので。
一番辛かったのはシットスピン
――(相手とぶつかって)筋肉にあたった
羽生:
筋肉が持って行かれた感じだったので、肉離れみたいな痛みでした。
ここって痛いじゃないですか。
なんでも使うので、ジャンプよりもシットスピンが地獄でした。
――(笑)
羽生:
結構意識ありますね。あの試合。
――そうやね。シットスピン痛そうやね、もも痛いのに
羽生:
シットスピンって我慢しなきゃいけないじゃないですか。
――降りる時の足がね
羽生:
シットスピンは地獄でしたね。
だから覚えているのは、サルコウで転倒して、トリプルで転倒して、
フリップを降りて、コンビネーション・スピンに入るんです。
その時にシットスピンやりたくねー、
シットスピンやったら立てるのかな?って思ったのは覚えてます。
――シットスピンのままシットという
羽生:座っちゃう的な
――俺はウケを狙って言ったわけではなくて
一同:(苦笑)
後半はのちほど・・・
(Jスポーツより)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ポチっとクリックして頂けたら嬉しいです。

人気ブログランキングへ
羽生結弦選手エピソード4(前編)
スポーツテレビ局J SPORTSの人気番組「フィギュアスケーターのオアシス♪
KENJIの部屋」2015-2016シーズンがいよいよスタート!日本選手はもちろん、
海外選手のプログラムも多数手掛ける振付師・宮本賢二さん(KENJI)が、
トップスケーターをゲストに迎えて、楽しく、真剣にトークを繰り広げます!
記念すべき新シーズン最初のゲストはソチ五輪・金メダリストの羽生結弦選手。
第4回では昨シーズンの中国GPでのアクシデントなどについて
語っていただきました。

飛躍の12/13シーズン
――(コーチを)ブライアンにやってもらっていて、どんどんいろんな
試合がありました。四大陸も全日本も初優勝でした。
そこからのグランプリでしたね
羽生:
グランプリの年にブライアンに変わって、その年のグランプリ一戦目でショートで
世界最高得点を出してるんですね。それが大きかった。
それで名前が売れた。
(補足)SP世界最高得点(当時)95.07@GPカナダ 95.32@NHK杯
――いや、名前はもう売れてたけどね(笑)
羽生:
自分でもびっくりしました。衝撃的でした。
ショートでジャンプの内容は完璧だったかもしれないけど、うまく
できてないこともけっこうありました。
納得もしてない状態で「90って、え?!95って?!85じゃないの?」って。
すごいびっくりしました。
90っていうと当時、パトリック選手がノーミスで92、3の時代でした。
90なんて出したら異次元だったんですが、出ちゃったのでびっくりしました。
――出ちゃったんだ
羽生:
出ちゃいました。そしたらフリーがボロボロになりましたけど(笑)。
――前と逆に
羽生:
そうなんです。
その年からショート得意、フリーボロボロのパターンになってきました。
――でも、先シーズンのショートが一番良かったのは、
最後の最後のエキシビションの時だったでしょ?
羽生:
そうですね。エキシビションで初めてノーミスでした。
そのシーズン、エキシビション以外ノーミスがなかったんですよ。
――(笑)
羽生:
グランプリファイナルのフリーもあともうちょっとだったのに、
ルッツの前にめっちゃ疲れてて、跳べる気がしなかったですもん。
とりあえず基礎点
――跳べる気がしない時はテンション的にどう持っていくの?
羽生:
とりあえず跳ぼうみたいな。
とりあえず基礎点もらおうみたいな(笑)。
――基礎点大事だよね
羽生:
中国杯の時もアクシデントがあって、パンクしたらダメだから、
とりあえず回ろうみたいな。コケてもいいやと。
コケてもとりあえず回って、マイナス3されようが、
ディダクションつこうが、
マイナス3でディダクションが一つついても、
マイナス4点くらいですよね。
4回転サルコウを跳べば10.5なので6はもらえるわけです。
じゃあそれを跳び続けるしかないなみたいな。
――基礎点大事だね
羽生:
大事です。
14年GP中国 6分練習での激突
――聞いていいかわからないけど、ぶつかってしまった時は
大丈夫だったの?
羽生:
車椅子で帰らないといけなかったくらい、足が動かなかったですし。
自分でも不思議なんです。あの時なんで4回転回れたのか。
なんで4分半あれだけ滑れたのか不思議でしょうがないんです。
――どこかで基礎点と思ってたんじゃない?
羽生:
(笑)。基礎点はしっかり考えてました。
絶対回れば点数は取れるから。回るだけ回ろうと思って。
アクセル一本くらい決めようと思ってました。
14年GP中国 衝突後の状況
――(切ったのはあご下を指して)ここ?
羽生:
こっちが一番(切って)大量出血しました。
ここが一番パカーっと開いて出血してました。
こっちも(頭側部)出血してたんです。
頭の横のところを、相手とぶつかった時にさっくりいったのか
何なのかわからないですが。
――血はすごかったけど、こっちはそこまで
羽生:
そうです、後ろとかは切ってないんです。
(あごは)氷に打ってしまいましたが。それだけですみました。
(切った頭は)カッといってしまっただけなんで。
――頭は大丈夫だったと
羽生:
脳みそが揺れた感覚はなかったです。
揺れたことは過去に何度かあると思うんですが。
そういう経験が。
14年GP中国 あの激突の真相
――気をつけてね。
じゃあ中国杯でぶつかった時は
羽生:
頭は大丈夫でした。
とにかくあの時スリーターンしてたので、左足でフォアのスリーターンでした。
左足でバックに差し掛かる時に、ちょうど相手選手のまっすぐきた膝が
(僕の内側に)ここに入ったんです。
そのまま左足で滑ったので、抜けたんです。
だからどうしようもなくて。
このまま抜けたから、(右足は)ついてないですし、
「あ、どうしよう」って。
頭も痛かったし、ああヤバイと思って(お腹から)いきました。
一番最初はお腹に入って、お腹が痛くて痛くて仕方なかった。
スケーターはみんな誰しもが経験することなんですが。
前にいっちゃうんです。
ちっちゃい頃に絶対あります。
しかもトップスピードで。
ガンっていって、みぞおちが痛くて息ができない状態。
アレの20倍増しくらいの痛さでした。
――想像できないわ!だから動けなかったんや

羽生:
最初は意識があって立とうとしているんですよ。
立とうとしたんですが、みぞおちが痛すぎて、筋肉も収縮しちゃって
背中を起こせなくて、ずっと屈んだ状態で。
この状態もしんどかったので、とりあえず横になって。
レフェリー笛ならしてくれないなあって思いながら、
みんな練習してるなあ、でも痛いなあとか思ってたのを覚えてます。
中国のドクターチームが来て、担架を持ってきてくれたんです。
大丈夫?歩ける?って言われて。
「いいよ、そんなんいらんし、普通に出るし」ってやってました。
――頭じゃなくてよかったね
羽生:
頭じゃなくてよかったですね。
あれはみんなに出血がこっちからこっちまであったんですが、
(頭部の方は)出血はあったんですがそれほどでもなかったので。
こっち(あご下)の方の出血がひどかったので。
一番辛かったのはシットスピン
――(相手とぶつかって)筋肉にあたった
羽生:
筋肉が持って行かれた感じだったので、肉離れみたいな痛みでした。
ここって痛いじゃないですか。
なんでも使うので、ジャンプよりもシットスピンが地獄でした。
――(笑)
羽生:
結構意識ありますね。あの試合。
――そうやね。シットスピン痛そうやね、もも痛いのに
羽生:
シットスピンって我慢しなきゃいけないじゃないですか。
――降りる時の足がね
羽生:
シットスピンは地獄でしたね。
だから覚えているのは、サルコウで転倒して、トリプルで転倒して、
フリップを降りて、コンビネーション・スピンに入るんです。
その時にシットスピンやりたくねー、
シットスピンやったら立てるのかな?って思ったのは覚えてます。
――シットスピンのままシットという
羽生:座っちゃう的な
――俺はウケを狙って言ったわけではなくて
一同:(苦笑)
後半はのちほど・・・
(Jスポーツより)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ポチっとクリックして頂けたら嬉しいです。

人気ブログランキングへ