今日は、骨折から、1日半が過ぎました。
なんとなく、足が、重く、痛そうな、大きな疲れのような、重い痛みです。
そして、様々な、居住地の良い点などに、気づいた反面、改めて、大変だなと、感じます。
ただ、何よりもまず、前回に、書いたように、複雑に、絡み合った地域性も、程よいところで、この怪我が、自分自身を、守ってくれています。
忘れていた・・・そして、知らなかった人々の気遣いで、人生の半分が、過ぎてしまった今でも、これからの半分に、期待できそうだから、不思議です。
お気づきのように、ひな祭りを、もじったデザインは、やめて、USAにも植林して、イメージされやすくなった、桜のデザインに、変更しました。
これこそが、国際交流の利点ですね。
桜は、USAでも、好まれていると、ニュースの時間に、伝えていたことを、思い出します。
さて、輪廻については、キリスト教も、仏教も、それらしい記述があり、キリスト教では、十分、理解し、練られた者は、死んだら、天国です。
だからこそ、何度も書きますが、私の死は、間違いなく一回で、天国ですから、結婚の約束は、文字通り、永遠の約束になります。
だから、慎重で、確実に進めます。むかし、人々に、押し流されたような事が、あったかもしれないので、なおさらです。
そして、私のような人以外は、第二の死が、あります。
仏教では、日本仏教も、長い時間が、たったし、現在では、手軽に、本を、読めます。
それに、NHKでは、昔ながらの育ちの職員方が、多いようで、仏教についての文化財や、人物の特集が、多いです。
たぶん、そんなこともあっての、良くも、悪くも、いつも変わらない、NHKの、一般仏教徒的な、強気な発言なのでしょう。
ある意味、それは、日本国民の、ある種の層、つまり、中の上と、かなり上の中の層で、仏教しか知らないで、育ったタイプ、そして、
たとえば、東京の上智大学のようなミッションスクールで、偏屈に、聖書と教会を、考えることで、なんだか、由緒あると、自分自身を、錯覚して、
自己認識したタイプの層・・・ただし、これは、世界中、同じ現象が、見られるだろうと想像されますが、
そんな人々の層の、世界ネットワークは、かなり問題です・・・相対的なので、はっきりとは、判断できないし、その他のグループと一緒に、
かなり、人間として、恥ずべき行動に、気づけないようですし、それらが、増幅されやすく、対処しにくいです。
そして、聖書には、「国の役人や専制者」に対しては、収税人のように忌み嫌うのではなく、「あなた方に、益を、得させる神の力です。」と
イエス・キリスト様が言っておられます。
つまり、祖先や近い先祖や父母・兄弟・子どもが、いない、そのような人々、そして、そのように、生まれついた人々も、いないのです。
強大な力を、集めたとしても、人間ならば、その、治める根底の価値観は、似てきます。
しかし、特権として利用する場合のみが、大きな問題で、そして、日本でも、江戸時代に、秋田の鉱山で、潤っていた藩が、旅行者を、示す印が、
体から消えてしまったために、処刑されてしまった無実の旅人の話は、有名です。(佐竹藩)
人間には、そんな弱さ、不完全さが、あるのであり、私が、USAの軍事力と軍事行動に、一定以上の評価を、せざるを、得ないのは、そのためです。
そして、長年の、自民党の考えも、今の安倍総理の考えも、小さい頃から、心から、賛同できる面が、ありながらも、賛成しかねるのは、その問題です。
だからこそ、私は、青年期からは、一定の距離感を、おいて、考えているし、見守るのが、良いと、判断していました。
ただ、御所に於いて、天皇陛下が、今の年齢でも尚、本田技研の乗用車・インテグラを、スポーツのように、運転されるお姿を見て、やはり、
それだからこそ、皇室には、国民や政治から、一定の位置に、距離を、於いて、政治には、「達観・静観」しておられて、
上記のような問題の時にだけ、USAや、ヨーロッパ諸国のように、当該者に対して、勧告を、するのが、良いと思います。
それは、かっこよすぎですが、それこそが、私の日本国憲法解釈でした。
とはいえ、皆様ご承知のように、私は、田舎生活であり、学術的な経験は、今でこそ、豊富になったとは言え、田舎生活で、大きく損をしています。
それは、人々の評価もそうですし、実際の仕事、収入、人脈に於いて、非常に、その弱さが、増幅されます。
それでも、気を取り直して、就職を、考えるときには、昔、自分が、苦しんで、努力しただけなのに、見栄による学術経験として、近頃偉くなった
地方の若者たちには、マイナスとしてしか、捕らえては、くれません。
もちろん、私自身が、専制的支配を、望んだこともありますが、あくまで、これらの原則を、冷静に捉えた健康な社会に、なってほしかったからです。
一見、現在の自民党案の新憲法案は、尊皇攘夷時代を、思い起こさせて、歴史ドラマ好きの、ほとんどの日本の市民たちからは、
受け入れられやすく、また、一定レベル以上の都市での、市民生活では、周辺住民からの圧迫もあるので、受け入れられやすいでしょうが、
これらのように、決して、正しい考え・恒久性には、あたらないことを、もう一度、考え直すべきです。
それによって、世界中の、全ての価値観に対する評価を、正しく行い、それに基く、教育を、計画・実行し、真の価値ある市民生活を、理想として、
常に、正しく評価吟味しながら、進んでゆくように改革を、することで、今後何世紀にも、安定して、通じる社会を築いて、国際レベルに、実行を、
昇華できるようにしなければならないと思います。すなわち、当然のことながら、第二次世界大戦で、敗戦したように、日本一国では、出来ません。
そのことを、十分に、反省しつつ、戦前までの価値観的に、天皇陛下一人の、権威に、頼るのではなく、あくまで、主体は、国民であり、
活動の本体は、いつも、努力した国民の成果でなければ、ならないと、思います。
今の安倍政権のように、ここ何十年かの苦労を、安易に、天皇親政に、頼るのではなく、私たち自身が、正しく活動し、正しく評価、実践しなければ、
全く意味の無い、過去の時代へのタイムトラベルと、同等レベルに、なってしまいます。
その意味では、私は、もっと、社会民主党が、立ち直って、半数を、占めてほしいと、望んでおります。
なんだか、政治活動の、演説のようになりましたが、今日は、これで、終わります。
それでは、この世界中の、全ての人々に、神様の恵みと祝福と平安が、それぞれに、相応しく、与えられますように、そして、この、厳しい状況の
日本とUSA市民の皆様に、良い知恵が、与えられますように、そして、私たちの恩人たちが、平安な暮らしが、守られますように、そして、
私も、自分自身に、最も相応しい結婚を、実行して、世界中のリーダーたち、相応しい市民たちと共に、平和で、栄光ある社会のために、
生きられるよう、相応しい仕事と学術研究・教育・家庭と子孫たちを、与えられますよう、そして、神の栄光と誉れと愛と信仰と賛美とが、
この世界中に、充たされますよう、心から、神に、お祈り致します。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
***********************渡辺和子先生の愛と励ましの言葉366日より*************************************
2月26日
人間の弱さの中には、自分が罪を犯す弱さがあると同時に、他人の弱さを裁こうとする弱さもあります。
そして私たちは、そうゆう弱さを持っている自分に、折々でいいから気づくことがたいせつなのです。
愛することは許されること
*************************転記終わり*************************