淡墨桜
日本三大桜の一つで国指定天然記念物 淡墨桜(うすずみさくら)
樹齢1500年余り 散り際に花びらが薄い墨色を帯びるとか!
沢山の松葉杖に支えられて この貫録な姿をご覧ください~
幹の裏側は こんなに風です 空洞になっていたり コブのようなものが・・・
「↓記事は 根尾村役場 ホームページからお借りしました」
名木淡墨桜は千数百年の長きにわたって生き続けたが、その生命に衰えを見せ始めたのは、大正初期の大雪で太さ約4mの一の枝が折れ、本幹に亀裂が生じた頃からである。 その後、村ではいろいろと保護に努めて来たが、昭和23年頃には遂に枯死するかとも思われる状態になった。文部省から本田博士が派遣され調査されたが、今後3年以内に枯死は免れないだろうとの認定がされた。 その間、多くの名士がこの名木の枯死を惜しみ、松岡楯雄氏等の提唱によって、淡墨桜顕彰保存会の設立準備が進められ、当時の県下知名の有志多数の賛同を得てその設立を見るに至った。 そして、当時老木起死回生の名手として知られた、岐阜市の医師前田利行翁にその策を問われた。翁はその得意の回生術が果たして適応するか否かは、実地視察をしなければ分からないとして、昭和23年秋、諸名士及び管理者の根尾村その他関係者と詳細な調査をされた。その結果回生が可能であるとの断定をされ、前田翁は、翌年24年3月10日から、先にその技術を教授した中島英一氏外数名を率いて来村され、多数の人夫を督励し、4月5日までかかり238本の根接ぎが行われたのである。 |
本幹周囲の土壌を掘り起こすと巨根は殆ど枯死の状態で、その腐朽個所には無数の白蟻が生息していた。 直ちにそれを駆除すると共に、近くの山から山桜の若根を採取し、僅かに活力のある残根に、特殊な方法でできる限り多く根接ぎを施したのである。 この間に降雪があり積雪を見たが、多くの人夫等を督励してこれを除き、施術部の凍結を防ぐと共に、土壌の入れ替えや肥料を施した。 施術後の淡墨桜は異常なほど発育繁茂して、往年の盛観を思わせるほどになり、多くの人々に喜ばれるほどになった。このように多くの人々の努力により、現状保持以上の成果を得られたことは、淡墨桜を語る上において特筆すべき事柄であると云わなければならない。 |
↓ 絵書き屋さんが 書いて見えました~(お上手ですね・・・)
↓ 美山の山は 吉野千本桜を見ているように綺麗です・・・(ちょっとオーバかな?)
道路沿いの川の淵には ワサビが 美味しそうに~~
(葉ワサビの おひたしは 美味しいですよー)
遠くの山には まだ雪が こんなにも・・・