山の溝 (山の子)
昔から 山の子と称し 幼稚園児~中学生の男の子だけで 土曜日の昼~日曜日 一日中 ご飯を共にして遊びます。
宿になった家は布団を出し泊まらせます(中学生だけ泊まる)今は夜9時過ぎになると 中学生も帰ちゃいますけど。
「やまのこ さんせんぼ・・・・・・」 と 意味は解らないけど 歌いながら ご飯をたべます
山の神は 女性だそうです だから若い男の子しかダメだとか(女性が参加すると 山の神様が やきもちを やいて 怒るとか?)
大人の男性ばかりの山の溝も有ります。
私もよく解らないので ネットで調べてみました
山の子は、三輪・芥見・日野など岐阜市東北部によく行われている。ほとんどが、山の神を祀る行事として子供の手ですすめられている。中には、大洞のように「山の講」と称し、大人の行事となっている場所もある。もとは十一月末から十二月に入って行われた。最近は秋の収穫が早まった為、十月頃行われる。
「山の子」には、五・六歳から参加し始め、小学校高等科が親方となって指揮した。一週間ほど前から山の子の唄をうたい、「山の子を祝ってくれ」といって各戸を廻り、新米・小豆・大豆・野菜・藁・竹・縄などを貰って歩いた。男児が生まれた家では、祝儀をはずんでくれた。集めた米は、二番から三番親方の手で搗かれた。そのかたわら、一番親方の采配の下に、藁を畳屋や牛屋に売ったり、松ごをかいて売って、資金を作った。
山の子の前日、昼間には、竹をたてかけ、藁や松ごを詰めて左義長をつくった。夕方、山の神と刻んだ石に、七五三縄をかけ、酒・鰯・油揚げを供えた。その夜の宿は、山の子に参加している子供の家を頼み、そこで一泊した。
当日は朝早くおきて、宿から山の子を唄いながら松明をつけて山に向かった。松明は、竹を半分に割り、根すい(木の根の腐った芯)を中心に松ごを挟んで作った。一番親方が松明をもって進む。その後につく二・三番親方は、竹がはぜてパラパラと落ちる松ごの火を消しながら歩いた。その火ではさを燃やしたこともあった。
大洞や日野では、頭に桟俵を載せ、大根を鍔にした竹の刀を腰に差し、御幣を先頭にして進んだ。行列が山の神に着くと、左義長に火をつける。その火で焼いた鰯を肴に神酒を飲んで祝った。その後、宿へ帰り食事した。朝は豆飯にけんちん汁(ニンジン・ダイコン・里芋などをたまりで炊いた汁)、昼はぼた餅を作って食べた。
意味は解らないけど ご飯にお箸を T に立てて トンボのようにします。
正面にいる子が中学三年生で 親方です、親方の指示に皆 支います。
親方が皆を家まで 迎えに行き終わったら又送って行くんですよー(偉い・・・)
ご飯も食べ終ったら お茶碗を 親方の前まで持って行くんですよー(親方が点検するんです)
小さい子は 食べれ無く 泣きべそを・・・・ (この世界では好き嫌いは言えないようです・・・)
これだけの 子供の食事をしたんですよー 一度に20人の子持になったような気持ですよ~
でも子供達に おばあちゃんと呼ばれ ちょっとショックでした。
(せめて おばさんと呼んでほしいよねー 仕方が無いか! 私も高校生の孫がいるんだから)
ご飯は 2升炊くんですよー
土曜日(11月30日)= ごもくご飯と コロッケ サラダ 果物 など 等
日曜日(12月1日)朝= 豆飯(赤飯のことです)味噌汁 ウインナー サラダ 卵焼き
昼= カレーライス ヨーグルト
夜= 白ご飯 けんちん汁 唐揚げ サラダ 天ぷら
これだけの食事をしましたよ~ (娘を呼び 手伝て もらいました(有難う)
場所は 公民館を借りました。(公民館は大きなガス釜や大鍋が有るから)
昨日は 一日中 台所に立つていたせいで 足腰が痛くなってしまいました (●^o^●)
て戴き、意味がわかりました。
それにしてもご苦労様でした、20人の世話は
大変だったでしょうね。
風習ですよ。
歴史を感じます。
↓のダリア、こちらでもよく見ます。
背が高過ぎて写真を撮る気が起きません。
蝶がいますね、美しい。
アカタテハかな?
調べてみなければわかりませんが
今は仕事をします。
だいぶ改革されて来たんですがね!
今は場所は公民館を使っても良いんですが
昔は各家に集まってやっていたんですよー
大きな釜や鍋 茶碗も沢山 各家に有ったんですよー
津島様 秋葉様 御日まち 新嘗祭など々 沢山の行事がありますよー
主婦が大変ですよ 食べること飲むことの支度が・・・
皇帝ダリア 良く見かけますネ
背が高いから めだつのですね!
蝶ちょが偶然ダリアの蜜を吸っていました。
アカタテハと言う名前ですか(よくご存じですね)
蝶とも春まで お別れですネ
仕事中に ブログ見て入るんですか?(*^_^*)
先人たちの繋いでくれた大事な行事ですね。絶やさないように是非守り継いでほしいですね。
「山の溝」(やまのこ)子どもの頃、聞いたことはあります。
でも、子どもには関係なく、親が親睦会のような会を開いて、酒を飲んで御祭ごとをやっていたのだと思います。
本当にご苦労様でした。
こうして伝統文化が子どものころから引き継がれて、
やがて立派な地域をになっていく大人に成長していくのでですね。
良いことだと思います。
小さいうちから、あんたは大切な男!という感じですね。
あまり聞きません。
でも 最近は 山ノ神の祭りも少なくなってきたと
聞きます。 寂しいことです
このような伝統行事・・いつまでも残して、その子らが
大人になって・・引き続いてほしいものです
それを受け継いで行く主婦の方の苦労は大変だと思いますが、何時までも残して生きたいものですね。
私達の九州では「亥のこもち」と言って11月の亥の日に
家庭でごちそうを作って其の一部を「家の庭を暗くして飾り」
それを男の子が「亥のこもちつかんもの鬼生め蛇生め角の生えた子生め」と歌いながら藁を束ねた棒を他所の家の玄関口で打ちながら歌い終わったら中に入って「ごちそう」取って食べるのです。懐かしい思い出です。が今に残っているか?は
面白いお祭りですね~!そちらは、歴史があっていろんな行事やお祭りがあるんんですね~!
そして、現在にまで続いてるって、凄いですよね~!
この辺でも、昔は子供達だけの行事があったようですけど
今は何もなくなってしまいましたもんね~!
大人が大切に守ってあげてるんだなぁ~って感じがしました!!
お疲れ様でした~(*^。^*)
中学3年生が親方で 親方言う事には絶対です。
親方は
各家から お金や お米を集めて そのお金で玩具や
お菓子などを買ってきて 皆に配るんですから・・・
(70戸の自治会から 各家から500円~1000円のお金を集めて回るんですから
親方は お金持ちです)
昔は 子供達が 夜9時頃 やまのこさんせんぼ・・・と大きな声で歌いながら 各家を回り お金・米・藁などをリャカーをひいて集めに来ましたよー
今は 今晩は~と言って ドワーをたたいて呼びます。