財政危機を招いた政治家は今どうしているのだろう。前政権の大臣たちである。彼らに対する何らかの責任追及がされないのだろうか?
日本のマスコミは一切この種のことは報道していない。
理由として考えられることは、実際ギリシャではこの責任追及が全く行われていないから。もう一つ考えられるのは、これがもしギリシャで行われていたとすると、ギリシャの財政債務より遙かに大きい財政債務(GDP比で)を抱えている日本でも前政権の政治家の責任追及に及ぶ現象を恐れているから。
前者であれば、ギリシャ人の無責任さは相当なものだ。モラル低下といえよう。つまりはギリシャ国民も放漫財政の恩顧をたっぷり受けていたから責任追及ができない。放漫財政で国民にたっぷりお金をばらまいて返済できなくなっても、ユーロで結びつけられたドイツやフランスなどが必ず助けてくれるだろうという読みが前政権にあっただろうし、国民もこれを黙認していたから責任追及できない。国家的規模のモラルの低下である。
後者であれば、日本のマスコミが自民党政権とべったりであったことの証拠であり、財政破たんの責任をマスメデイアも担っていることを示している。ここにもモラル低下がみられる。しかし、日本国民も放漫財政の政権を支持した人が多いのは確かであるので、少なくとも放漫財政をおこない続けた政治家、政党を支持した人のモラル低下は覆うべきもない。たぶんにそれはマスメデイアのマインドコントロールに追っていることでその人々の責任は多少とも減らされているといえるかもしれないが。
これらの人々は先の大戦で、軍部を積極的に支持したようにポーズをとった国民と似ている。彼らは戦後は国に騙されていたという。いい大人が、騙されていたのなら恥ずべきであろう。マインドコントロールされていたと認めればいいのにそれはしていないで、一部にはむしろ開き直って、特攻隊を賛美し、日本軍の残虐行為をなかったかのように宣伝する。一億玉砕が世間で宣伝されていたことには口をつぐむ。一億みんなで自殺行為をしましょうというのが一億玉砕の意味であろう。もともとご都合主義が彼らのモラルであった可能性があろう。世間の目や警察が怖くて狂った真似をしていたのが本当にくるっていったのを認めたくないのである。
この伝統が現代日本人の中にもマスメデイアを通じて形成され、受け継がれているといえよう。テレビ番組の政治解説に歴史的なものが全くといいほどなくて、現代の短い現象のみを、それも一面だけとらえ国民が不満を持つであろう点を強調するが、根本的な批判を継続強調しない。(話題にならないし飽きられるからといったりゆうで選挙法の不平等規定のことは報道を継続しない)また、利益がどこに行くのか、特に利益誘導が国民末端の一部にもいくばくかは働いていることを報道しない。地方で先祖代代在住できている農家や農協は国からの現金がすごく魅力的であることを。彼らの税負担や都会の一般人の税負担の比較や税の使われ方の都会と田舎の比較の報道をし続けない。これもマスメデイアの堕落した一面の実態である。
日本のマスコミは一切この種のことは報道していない。
理由として考えられることは、実際ギリシャではこの責任追及が全く行われていないから。もう一つ考えられるのは、これがもしギリシャで行われていたとすると、ギリシャの財政債務より遙かに大きい財政債務(GDP比で)を抱えている日本でも前政権の政治家の責任追及に及ぶ現象を恐れているから。
前者であれば、ギリシャ人の無責任さは相当なものだ。モラル低下といえよう。つまりはギリシャ国民も放漫財政の恩顧をたっぷり受けていたから責任追及ができない。放漫財政で国民にたっぷりお金をばらまいて返済できなくなっても、ユーロで結びつけられたドイツやフランスなどが必ず助けてくれるだろうという読みが前政権にあっただろうし、国民もこれを黙認していたから責任追及できない。国家的規模のモラルの低下である。
後者であれば、日本のマスコミが自民党政権とべったりであったことの証拠であり、財政破たんの責任をマスメデイアも担っていることを示している。ここにもモラル低下がみられる。しかし、日本国民も放漫財政の政権を支持した人が多いのは確かであるので、少なくとも放漫財政をおこない続けた政治家、政党を支持した人のモラル低下は覆うべきもない。たぶんにそれはマスメデイアのマインドコントロールに追っていることでその人々の責任は多少とも減らされているといえるかもしれないが。
これらの人々は先の大戦で、軍部を積極的に支持したようにポーズをとった国民と似ている。彼らは戦後は国に騙されていたという。いい大人が、騙されていたのなら恥ずべきであろう。マインドコントロールされていたと認めればいいのにそれはしていないで、一部にはむしろ開き直って、特攻隊を賛美し、日本軍の残虐行為をなかったかのように宣伝する。一億玉砕が世間で宣伝されていたことには口をつぐむ。一億みんなで自殺行為をしましょうというのが一億玉砕の意味であろう。もともとご都合主義が彼らのモラルであった可能性があろう。世間の目や警察が怖くて狂った真似をしていたのが本当にくるっていったのを認めたくないのである。
この伝統が現代日本人の中にもマスメデイアを通じて形成され、受け継がれているといえよう。テレビ番組の政治解説に歴史的なものが全くといいほどなくて、現代の短い現象のみを、それも一面だけとらえ国民が不満を持つであろう点を強調するが、根本的な批判を継続強調しない。(話題にならないし飽きられるからといったりゆうで選挙法の不平等規定のことは報道を継続しない)また、利益がどこに行くのか、特に利益誘導が国民末端の一部にもいくばくかは働いていることを報道しない。地方で先祖代代在住できている農家や農協は国からの現金がすごく魅力的であることを。彼らの税負担や都会の一般人の税負担の比較や税の使われ方の都会と田舎の比較の報道をし続けない。これもマスメデイアの堕落した一面の実態である。