人づきあい、人を説得し、人を動かす、異性を口説くやり方などをどのように学ぶかについてお話ししよう。
まず、手っ取り早いのは親から学ぶことである。
これは我々の生まれてから最初の学びで、人付き合い以外にも多岐にわたって親から学ばねばならないが。そこで注意しなければならないのは、親は子供が人間関係を学び、そのスキルを身につけるようにはあまり配慮しない、ないしは理性的教育学的心理学的に子供の利益になるようには、教育しない人が多いということ。親の背中を見て子は育つが、これは悪いこと、その子供にとってマイナスになることも学んでしまう可能性がある。十分に親の生育環境や職場環境、人間関係、他人からの評価、より客観的な評価等を勘案し、自分なりのものを見つけねばならない。子供のために良き親になるのも勉強が必要なのです。
親の扱いで重要なことはこれを利用できるなら利用すべきであるということである。寄生的でないようなら利用すべきである。親の人間関係や富、権力を利用するのは個人的に大いにすべきである。ただ社会に害悪を与える要因になることもあるので、大きなものは、その利用に関して良識を働かせねばなるまい。
さて、親以外からとすれば、兄弟であろう。或いは頻繁に接触のある親戚、親の知り合い、地域社会等々。学ぶべき場所は多い。常に意識して交流すべきである。
先ず若い人にいいたいのは、「どんな嫌な奴にも学ぶところを見出す」ということである。少なくとも、年上で、まともな人生を歩んでいると評価されている人間には学ぶところはある。
若いと、得てして、独りよがり、自信過剰になるか、全く自信がなくなり引きこもってしまうことに膨大な若いエネルギーが使われてしまいやすい。
また好悪の感情にもエネルギーが過剰に使われる。理想を追うことも大事であるが、理性は人間全体を見ることを要求しているはず。その人間の行動全体の傾向と特定の行動の分析を、両方行うべきであろう。若いエネルギーを適切に使うためには、まず、好悪の感情に流されないことだ。
「敵を利用するすべを見出す」ということも時には必要であろう。
若い時の豊かな感受性とエネルギーは、創造的な活動に使われるべきである。
反対に、特定の人に過剰な高い評価を与えて夢中になるのも避けてほしい。もちろん、我々の先立ちとして尊敬し、真摯に学ぶことも必要だが、所詮欠点のある人間である。或いは欠点のある人間であるがゆえに我々が学ぶ価値があるといえます。我々とは環境も人生の時間も違っていることを意識し、学ぶべきであり、「この人のためなら死んでもいい」というのは信仰であることを自覚していることが必要であります。親鸞が法然に従った例に近いでしょう。しかし、親鸞は法然から自立していきます。
また勇気を持ち、行動すること。われわれは生育環境で勇気を抱いて行動することを習慣化出来もするが、逆の習慣化も容易に身についてしまう。「自由からの逃走」の見解や「人は易きに流れる」の言葉をあげれば十分であろう。
しかし、若い時は勇気を出しやすいはずである。なぜなら、まだ人生の多くの時間が残っている。多く残っているから、今はやめようというのでは一生やらないであろう。人は多くの場合「習慣の奴隷」である。
我々の臆病は教育されたものであり、それが、支配階級や老人たちが、若者たちのエネルギーを自分たちのために利用するために行われていることは非民主的な社会ではありうることである。日本の戦後政治の推移は、多少の変動があったとしても、このことが基本的な日本社会の在り方であったことを証明する。議員定数不均衡の選挙制度を何十年もほったらかしにしていることをあげれば十分であろう。
この臆病が個人生活の中にまで及んでくると悲喜劇が起こる。場合によっては破滅、生活破壊、生活水準の低下、人間関係の悪化をもたらす。積極的に行動しなければ、その人を食い物にする人間はいっぱいいるのからでもある。人の弱みに付け込む輩は後を絶たない。
政治的には保守的であっても自己の権力や富、栄誉、異性の獲得に斬新な勇気ある行動で臨む人はこの悲喜劇を避け、栄光と快楽を得られる可能性は、臆病を個人生活まで浸透させてしまった人より、はるかに高いであろう。
また、社会における弱肉強食は個人生活レベルでも大いにありうる。特に、個人レベルでは生殖関係で問題を発生しやすいのは、生物としての宿命であることは、生物界、特に哺乳類の生殖行動を見れば明らかである。鋭い牙、なみはずれた体格、絶えざるスタミナ、豊満な或いは美しい姿態等が動物たちの武器であり、生殖成功の要因であるが、人間は生物的な特徴のほかに、名誉、高い評判、社会的地位、権力、富といった社会的要因をこれにかかわらせている。しかし、個人的な臆病はこれを台無しにする、獲得を困難にする。
若さの特権は勇気を持って行動できることであります。ただこれは、見える障害、見えない障害も克服しなければならない。己の中にある臆病という障害が最も厄介である。