ウトピア

真実と欲望が出会うところ

自民党永久政権の作り方

2012-12-21 20:44:07 | エッセイ
今回の衆議院選挙で自公は衆議院議員の3分の2以上の議席を獲得した。これはどんな法律案(いうまでもなく予算案も)成立させることができる数である。
自民党が政権を長く維持するために次の参議院選挙に向けて準備しているであろうが、長期政権を維持するためには参議院選挙で、過半数ないしは3分の2を獲得する目標を立てるであろう。
そのためには選挙法を自党に有利なように改悪する事が一番の早道。衆院で自公で3分の2以上を持つから憲法以外はどんな法律でも作れる。
同時にメデイアへの統制強化である。法律ないしは行政指導、業界からの圧力でこれも可能である。これはすでに民主党政権成立前から成立していることではあるがさらに強化する事になる。
参議院の議員定数の不均衡は明らかに自民党に有利にできている。国会議員の定数格差は信じがたいほどである。
したがって、来年夏の参議院選挙で自公で参議院の議席を3分の2以上、悪くても過半数を獲得するのは目に見えている。公明党の組織と地方に張り巡らされている利権の網の組織で自民党も固定した得票数が確保できる。
自民党はこうして、衆参両院の3分の2以上の議席を支配することで憲法改正をして、貧しい人、権力も地位も有力な人脈もない人々ではない有力者優先支配の社会を作るだろう。自民党と官僚による永久政権がこうして出来上がる。この支配層には財界と外国資本、外国政府が加わる。特にアメリカのコントロール下になり、名実ともに従属国になろう。

自民党の政治家もこれと癒着する官僚も、財界人も自由な選挙で国民が選択しているのだとうそぶいて内外にアピールするだろう。政治社会に対する意識は、自己保身と支配快感を求めて、心理学的に言えば防衛機制が働いて、理性と良き人間性は働かなくなり、自分の内面においてもこれこそが日本の政治、民主政治だと思い込むようになるだろう。
こうして世界があきれる、その緻密な専制体制が分かりにくい「天国のような日本」が出来上がる。
何万人の餓死者や野垂れ死に者が出ても、「我が国はこの世の天国です」と外国メデイアのインタビューに答える国民が住む国家社会がのこる。日本は滅亡はしない。ただダメな国になるだけである。

以上のネックがあるとすれば、最高裁の選挙無効違憲判決と公明党をいかにコントロールするかであろう。これらも、前者が出たとしてもこれに対応する法制度がないとして無視することもできるし、最高裁はこれを出すと混乱するので(衆議院選挙全体に選挙無効判決は出たことがないし、対応する合理的な法律もない)やはりこれが出る可能性は少ない。
公明党については大臣職や形ばかりの公明党政策の受け入れで可能性は大きい。

繰り返すと、参議院選挙まで、メデイアの統制と選挙法の実質的自民党有利へ変えること、そしてもちろん利権の網に沿っての国費のばらまき、一時的な人気取りの政策つまり「おー自民党は変わったなー庶民のことを考えているなー」と感じさせる政策やポーズ、等が行われるだろう。

そして参議院選挙後は上記のような国を目指して突き進むだろう。これを推進している人は全く別のイメージを思い描いているかもしれないが、後から「なんでこんな国家になったんだろう」と自身が驚くこともある国に向かうのだ。
欲望と保身のため、政治家や官僚に有益な責任追及のない現在の社会状況、社会制度では多少の時間的なずれや紆余曲折はあるだろうが以上のようなプロセスをたどル可能性は大きい。

メデイアの洗脳から脱して、良き人間性を尊重し、民主主義の国を構築するために、国民の大半、庶民、人民はどうすべきか、は理性を働かせ、よき人間性尊重の視点から、歴史を見れば明らかであろう。

歴史嫌いは日本の支配階級の緻密な導き、長い伝統的な手段、また近代では国家統制下にある学校教育によって培われていたといえよう。
(一般庶民で、先の大戦で特攻隊攻撃を否定した海軍の一飛行隊長のことをメデイアほとんど触れない、肯定的に取り上げないことを不審に思わない人はメデイアに洗脳されている。と考えていいだろう。目覚めよう。自分が洗脳されていたと認めるには、心理的に難しいだろうが。先の大戦で戦争が終わったあと、多くの識者や国民は「国に騙されていた」といったと伝えられる。今も同じことが起こっていることは原発事故に対するメデイアや政府、政治家、財界の対処、過去の言動等を見れば否定しがたいことであろう。)

投票行動は?

2012-12-15 11:14:08 | エッセイ
日本の過半数以上の人、貧しい、権力も、社会的地位も、有力な人脈もない人々にとって、自民党圧勝予想は胃の中に何かをため込んでいるような感じを与えているはず。戦後、民主主義を進める努力が、それを阻止して有力者や官僚、政治家の支配を優先させる勢力に多くの場面で敗北ないしは制約されていったとみることができよう。経済力の発展は多くの犠牲、それも直接的に環境汚染やそれに伴う多くの被害者(不特定多数者も含む)格差社会の形成、原子力発電の安全神話による犠牲を伴って、官僚集権政治の温存と発展、そして、田舎の選挙民の日本国民としてのモラルの低下ないしは未発達の継続をもたらした。

資本のメデイア支配と農村部における利権組織、財界との利権の絆がこれらを可能とした。
自民圧勝は一時的な経済の名目的はってんはもたらすが多くの国民の子孫への負担を約束するものになろう。原子力発電による、汚染物質の処理方法はほとんど解決の道はない。地震による事故の起こりやすい場所にほとんどの原子力発電所は立地しているという専門家もいた。事故が起きれば民衆の生活に破局的な被害をもたらす。しかし当事者たちは国が保証してくれるものだから無責任に安全を主張できる。原子力発電を推進している連中に刑事民事とも罰を課することはできないのが現在の法律であり、長年政権を担当してきた政党がそれを作った。
膨大な財政赤字は何が原因であることは言うまでもないだろう。地方にお金を回す公共工事(まわりまわってゼネコンに利益をもたらす)、地方交付税交付金など。社会保障費が増大したからと言って地方に回る官僚、政治家によるばらまきは決して小さな額ものではない。
これで農村部に強固な利権組織が地縁血縁をともなって出来上がる。新勢力は入り込むことは難しい。農村の人は選挙権の著しい不平等の特権を手放すようなことはしない。前回の衆院選挙で民主党が勝ったのは僅差でしかない。特に地方区ごとの投票数を見れば。あまりにそれまでの政権党がおかしかったから。民主党はだめだ、何もできない、やはり自民党にといったところか。自民公明が参議院で多数を占めていたのでは民主党はなにもできない。民主党の無能を印象づけるのに成功している。

都会部に住む人間は、農村の選挙民が特権を放棄する意識を持ち、その主張を持った候補者を選ぶことを期待するのは非現実的であろう。
楽観論者はそれを期待するしかあるまい。

では都会部に住む人間はどうするべきか、否、農村部に住む人間でも、不平等を否とする、過半数以上の人々が未来に希望を持てる国社会を期待する人はどの候補者、政党に投票したらよいのか?

選挙に期待しないで別方法を考えるのは、もうこの時代の分かれ目では、現実的ですらある。未来に希望を見渡せば。

今の政党、政治家が過去、何をしてきたかを思い出すことだ。新しい政党名であっても構成しているのは過去の政党に属していた人やその伝統を受け継いだ人たちである。彼らが何をしたのか。いま彼らの威勢のいい発言や公約なるものがいかにあてにならないものかはお分かりのことと思う。彼らが約束した事と結果を比べてみよう。多くの民衆の立場で。しかしこれは非常に困難である。多くの人はメデイアの情報にその日その日引きずり回されて、何が重要か、何が本当にずーと考えていかなくてはならないか、よくわからないであろう。記録してはいないであろうし、記録の勧めもしない。

故に、少なくとも、具体的には、過去のことを調べる。図書館に行って過去の新聞を読み返す。特に原子力と民主党の政権交代のあたり、そして公害の問題の顕在化した70年代、金融問題について、バブルの時代や消費税導入の前後。この時各政党、政治家、これを支援している団体、官僚はどんな言動をしていたか?

こうした努力をもとにして、投票行動の次善の策としては次の二点ぐらいが考えられる。
投票の基準としては、よりましな候補者、言ったことと行動が合致している度合いがましな候補者や政党、あるいはその人脈の人に投票する事。
もう一つは一つの勢力に圧勝させないこと。衆院と参院で両方過半数を取る政党があれば、勢力ができれば、それが多くの民衆を圧力団体とするものを除き、なんでもできる傲慢さを生み、日本の格差社会を促進させるであろう。貧しいものはより貧しく、中流と思っていた人も貧しくなり、有力な権力者、権威者、富者、人脈を持つものは潤うであろう社会、そして最悪は軍国主義まがいの社会などができて、徴兵制も復活することだろう。(人権軽視の伝統は旧軍から自衛隊に受け継がれていると考えていいだろう。組織内部においても。)

以上、まだ遅くはない。考え行動しよう。これらを考慮しない日本人には・・・・・・ただ、???。

薬ずけ

2012-12-12 22:54:57 | エッセイ
貧しい気の弱い年輩のある男、A氏は病にかかり入院、退院したあとも病院の指示で多量の薬を飲んでいた。しかし、薬代がばかにならず、「安い薬にしてくれ、ジェネリックにしてくれ」と、勇をふるって医者に言い、また通院するにも診療費や検査費などもかさむので一月に一回ほどにする。純粋な薬代は、結果として、一か月なら退院直後に飲んでいた薬代の29パーセントぐらいになった。
A氏の肉体的な状況や気質、病気の種類と程度にもよるが、医者や製薬会社は患者が必要とする以上のものを与えているということだ。また、彼の診察費、通院にかかる費用は、2週間に一回とすると、ジェネリックに変えた薬代2週間分を上回る。

これらのことを聞いて何を考えるべきか?、医療制度の問題がある。また社会的に医者や製薬会社、薬を多く飲むのをありがたがる風潮にモラルの崩壊を見ることもできる。治療費、薬剤費が大きくなれば、本人の負担が大きくなるだけでなく、(特に貧しい人には死活問題でもある)社会保険料の増大にもつながる。薬を多く飲みたがる人や病院に行きたがる人、特に熟年世代も問題意識は薄い。

こういったことのほか今の選挙のでがなり立てている政治家の問題など、日本は全般的にどこかの独裁国家を目指しているようだ。衰退して行くローマ帝国もこんな感じであったろう。

解決すべき糸口は、歴史を見れば明らか。ただし、西欧の歴史からより多くのことが学べる。日本では戦国時代の戦国武将が潰していった集団に注目すべきであろう。

生きる意味とは

2012-12-07 23:21:20 | エッセイ
生きる意味を聞かれても、すぐに答えたり簡単に答えることはできない。
結論は常識的で、短くいえる。

即ち、「仕事をし、他人や自分を愛し、セックスし、家族を作り、家族を愛育し、人間関係を作り仲間と楽しく過ごし、創造的な活動、社会貢献を考える、そして生きる意味を追求する」

結論は常識的で当たり前の事であるように思われるが、しかし、これはその内容によっては自己の苦悩を深くしたり、自己の快楽や万能感を満たすための行動や、社会的に他者を搾取する、支配する、害する事にもつながる。

人間は全く正しく、公平であることはできず、仏にも夜叉にもなりうる。

したがって、この問題についても、日常的なことについても実は膨大な思索や言動、経験が必要となる。
ドイツの大哲学者カントは「三批判書」における晩年の結論として人間は何をなすべきかについて「無条件にキリスト教モラルに従う」ことをいう。これは結論からすれば、キリスト教社会では当たり前のことで、教会の牧師や神父が日常的に一般信者に述べていることと変わりはない。
しかし、カントの結論には彼の膨大な理性を働かせた思索がその背景にある。おのずと、この思索を考慮してその結論を見るものと、そうでない者との言動に大きな差が出てくる。
社会的に見ればそれは思想・信条の自由を認めるか認めないかの立場の違いまで行き着くだろう。

生きる意味を問うことは単に個人的な苦悩や疎外感の克服、空虚感の穴埋めにするものではない。個人個別の「生の限界」を考慮しても「人間は社会的動物」であることを忘れてはならないのであって、宗教や思想もその反映を免れない。

とはいえ、人は絶望する。社会的存在としても、「生の限界」にある存在としても。そこで、「未来の良き物語」が必要となる。これはあくまでも個人の内面において特別な部屋で信仰すべき事柄であって、「思想信条の自由」を奪う場合を除いて、社会化は避けねばならない。