ウトピア

真実と欲望が出会うところ

規制緩和

2008-09-18 23:35:42 | Weblog
 米大手証券リマンブラザースが倒産したが、彼らに同情する声は少ない。彼らは儲けてきたのだし自業自得である規制緩和の功罪=、経営者、資本家は善人ばかりか
。しかし、彼らを信用して資金を預けたり、投資したりした人は馬鹿見ることになる。また、金融不安を助長して、さらに金融に関係した投資価値を引き下げたのも大いなる責任があろう。そして、企業に資金が回らなくなり、消費が冷え込むことで今回の金融不安は、1929年の大恐慌以上のマイナスを世界に与えている。サブプライムローンの破たんがきっかけになった新しいタイプの恐慌といえる。
 しかし、やはりこれも野放図な経済活動がもたらしたものであるところは、1929年の恐慌と同じである。サブプライムローンを証券化してこれを世界中に売買することでそのローンがどのように危ういものであるか、返済不能になるものであるか、最初のローン契約を作った者の責任はなくなってしまうことになる。
 翻って、わが日本国も事故米が多くの仲介業者によって正常な米となって流通して酒や、お菓子になってわれわれの体に吸収され、われわれの健康不安を増大させている。これらの仲介業者が規制緩和で自由に活動できて、なんら監視されていないところは、どこかアメリカのサブプライムローンが野放しにされていて全世界に金融不安という毒をばらまいているのに似ている。
 日本もグローバルスタンダードとかいってアメリカ並みに規制緩和をしていたわけだから当然同じような弊害を生じさせているといえよう。規制緩和をすれば効率的に経済が運営されて経済が発展して生活が豊かになるというのだろうが、結局、アメリカは住宅バブルを世界にまき散らし一時的に儲けたであろうが、実体の伴わないマネーゲームで一部の人が大儲けしたにすぎない。
 両者に共通する認識の甘さは、経営者や資本家が良識を持っている人ばかりということだ。まさか、法律に違反して、事故米を買ってくれる国家に貢献してくれる業者が、人の口に入る正常な米として転売するはずがないという単純ないしきをもって持っていたからこそ、検査も抜き打ちにしないで事前に連絡してやることができたのだろう。もっとも、違った見方は、業者の立場に立って「うるさい消費者」より信頼していたのであろう。なにしろ、役人には常に接待して役人の労をねぎらってくれるのだから。
 アメリカの場合は、アメリカ自体がマネーゲームの危険性に鈍感になってしまっている。最初のローンを組むところで不適切な契約がどんなにおこなわれても行政や金融当局は見過ごしている。アメリカ経済の世界的な関係性を考えれば、アメリカ金融当局も契約自由の教義に従っている。かつて、ニューデール政策で労働者保護の法律を憲法改正してまでおこなったところをブッシュ政権は思い起こさなかったようだ。
 規制緩和は有益な面もあるが、必ずそこから悪が生まれることを考えるべきが日本もアメリカも共通しているが、日本の行政の業者べったりはアメリカよりひどいものだ。特に、直接国民の口に入るものなのに。行政の都合や怠慢、業者の利益のために国民の健康を犠牲にする鈍感さは、社会保険庁の国民に対する無責任な態度と行動形態は同じものであろう。
 こんな、日本社会で生きていくには、やはり、政府のえらいさんや政治家のまねをするか国を捨てるしかあるまいとさえ思われる。今回だけではない。血液製剤によるエイズ感染や肝炎の感染など、政府の民衆無視は絶えることはない。いつも、同じことが繰り返される。そのたびに改革案が論議されるが根本的なものは行われない。その理由はたぶん、国民の概念や国民の生活という観念が政治家、業者、官僚と労働者や大半の国民のそれが違うからであろう。
 改める方法は、日本でないところをモデルにするしかあるまい。
コメント
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