感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

殉教聖会が行われました

2021年02月06日 | 殉教聖会
 あなたがクリスチャンなら、神の子です。子に、父なる神は語られます。
今回、「(思いの内に)神は語られる」という体験をしました。
 
 昨日、長崎市の西坂の丘で、殉教聖会が行われました。
(豊臣秀吉のキリスト教禁教令によって、1597年2月5日に、長崎の西坂の丘で、子どもから大人の計26人が処刑された、日本初の殉教を記念する聖会です)。
そこには天を仰いでいる26聖人のレリーフがあり、「だれでもわたし(=イエス様)について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコ8:34という聖書のみ言葉が刻まれています。(は新改訳の8:34ですが、レリーフは文語体です)
 こういう聖会や教会の集会等の最中や後日、個人的に神が語りかけてくる事があります。
(聖書を読んでいる時に。お祈りしていたら、心に浮かんできたり等・・。但し、本当に神からか吟味する事は必須です。単なる思い込みもあるので)
ここからが本編です。
 今年は、コロナ禍により現地参加者数の制限があり、私も自宅からオンライン参加でした。
殉教聖会終了後に、
わたし(=イエス様)よりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架をに負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません」(マタイ10:37、38)
という聖書の言葉が脳裏に浮かびましたが、「何だろ?」と意味が分かりませんでした。
そして、その日の夜にわかりました。
 毎週金曜の夜は、教会の祈祷会があります。
殉教聖会の夜にも行われましたが、「今週は、確か祈祷会がない日だ」(←毎月1回、休会あり)と勘違いした私。家事をし、一段落してほっと一息。を飲みながらスカイプを開くと教会からの着信歴が・・(祈祷会終了後30分経過で、途中参加もできず)。
「もしかして、(心の姿勢を)イエス様から指摘された?」と、しばしモヤモヤしました。
 
 「(26聖人は)イエス様が人一倍大好きでした。だから喜んで教会の働きをしたし、『神を知ってほしい』と人々に伝道しました。処刑される直前まで」という殉教聖会の説教を思い返しながら、ボ~ッとしてるな~・・と反省
 
神に感謝します。
hiromi