芸術新潮4月号──大友克洋の衝撃。
表紙イラストを20代に見せたら、「カップヌードルのCMですね!」と答えが返ってきた。そうか、やはりまだ生まれていないんだよなあ。
『AKIRA』はリアルタイム。大友克洋は偉大なアーティストだという認識はある。しかし、説明すると長くなるが、ついに「波」は来なかった。桂離宮がすぐれた世界文化遺産なのはわかるが、特に興味ないのと似ている。新作アニメは時代ものの『火要鎮』(ひのようじん)だそうだ。
この大友特集より、小特集「パリと生きたロベール・ドアノー」(平松洋子氏・文)が本当にすばらしかった。だからそれについて書く。
《パリ市庁舎前のキス》(1950年)は、私でも知っている名作。あまりに有名になりすぎ、モデルを名乗る者が複数出現し、肖像権をめぐる裁判沙汰にもなったいわくつきの作品だそうだ。
たしかに《キス》も美しい。しかし、うならされたのは、《ソヴァル通りの肉屋》だ。包丁を持った肉屋の主人が、本当にいい顔なんだね。豚がまたおだやかなでいい表情している。いや、もう死んで生首なのだが。
〈そこは遊ぶか、セックスするか、さもなければ自殺する場所だった〉(『ロベール・ドアノー ある写真家の人生』)
ドアノーが育ったのはパリ郊外ジャンティ。郊外とはパリと郊外を隔てた城壁の外のこと。城壁の外には幅15mの空堀があり、そこから約250m以内は建築の禁じられた「ゾーヌ」と呼ばれる区域。都市からはじき出された貧民、屑屋、ロマたちのバラック小屋が建ち並んだという。
ドアノーは晩年になっても生まれ育った郊外をなつかしんだ。洗濯工場やなめし革工場からの汚水が流れ込んだ、ビエーヴル川のにおい。しかし都市からにおいは失われ、細部は鉋で削られてしまった。こんな皮肉の効いた述懐もしている。
〈はっきりと打ち明けてしまうと、壊し屋たちは私の共犯者なのだ。こうした書き割りの手品師たちに、感謝しなければならない。彼らの勇猛果敢な行為が、私の古い写真に価値を上乗せしてくれているのだから。〉(『不完全なレンズで 回想と肖像』)
私はドアノーのリリカルな映像世界に、宮本輝の『泥の河』を思い出した。《牛乳を買いに行く子供たち》(1934)で、手を握って歩く幼い姉弟を見守るドアノーは、あくまでも目線は低く、どこまでも優しい。
そして、茶目っ気に満ちたユーモア。画廊のウィンドウに飾られたヌード写真の前で定点観測して、道行く人々の反応をとらえた4連作には、誰もが笑いにひきこまれる。《憤慨する女性》《幸せな鑑賞者》《横目》《美術品と警官》というタイトルもエスプリが効いている。
エッフェル塔がラリったキリンのように身をくねらせる、非現実的な世界《光学的な歪み》(1965年)には度肝を抜かれた。どんな風に撮ったのだろう。この作品は、以下にリンクするチラシでも見ることができる。《雪の花》(1968年)も、雪の日の公園をとらえた大胆な画面のカットアップがすばらしい。
5月13日まで東京都写真美術館で生誕100年記念写真展。
〈「自分は芸術家ではない」と言いつづけたドアノーの写真が、なぜかくも普遍的な意味をもつのか──それは、こうして写真と向き合う者ひとりひとりが、「ものごとを見る」という純真無垢なよろこびを手渡されるからだ。そのよろこびの在りかを徹底的に信じたからこそ、ドアノーはたゆまず歩き、ひたすら待ち、ていねいに観察し、シャッターを切り取って過去を持続させることに人生を捧げたのである。〉(平松洋子氏)
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1545.html
表紙イラストを20代に見せたら、「カップヌードルのCMですね!」と答えが返ってきた。そうか、やはりまだ生まれていないんだよなあ。
『AKIRA』はリアルタイム。大友克洋は偉大なアーティストだという認識はある。しかし、説明すると長くなるが、ついに「波」は来なかった。桂離宮がすぐれた世界文化遺産なのはわかるが、特に興味ないのと似ている。新作アニメは時代ものの『火要鎮』(ひのようじん)だそうだ。
この大友特集より、小特集「パリと生きたロベール・ドアノー」(平松洋子氏・文)が本当にすばらしかった。だからそれについて書く。
《パリ市庁舎前のキス》(1950年)は、私でも知っている名作。あまりに有名になりすぎ、モデルを名乗る者が複数出現し、肖像権をめぐる裁判沙汰にもなったいわくつきの作品だそうだ。
たしかに《キス》も美しい。しかし、うならされたのは、《ソヴァル通りの肉屋》だ。包丁を持った肉屋の主人が、本当にいい顔なんだね。豚がまたおだやかなでいい表情している。いや、もう死んで生首なのだが。
〈そこは遊ぶか、セックスするか、さもなければ自殺する場所だった〉(『ロベール・ドアノー ある写真家の人生』)
ドアノーが育ったのはパリ郊外ジャンティ。郊外とはパリと郊外を隔てた城壁の外のこと。城壁の外には幅15mの空堀があり、そこから約250m以内は建築の禁じられた「ゾーヌ」と呼ばれる区域。都市からはじき出された貧民、屑屋、ロマたちのバラック小屋が建ち並んだという。
ドアノーは晩年になっても生まれ育った郊外をなつかしんだ。洗濯工場やなめし革工場からの汚水が流れ込んだ、ビエーヴル川のにおい。しかし都市からにおいは失われ、細部は鉋で削られてしまった。こんな皮肉の効いた述懐もしている。
〈はっきりと打ち明けてしまうと、壊し屋たちは私の共犯者なのだ。こうした書き割りの手品師たちに、感謝しなければならない。彼らの勇猛果敢な行為が、私の古い写真に価値を上乗せしてくれているのだから。〉(『不完全なレンズで 回想と肖像』)
私はドアノーのリリカルな映像世界に、宮本輝の『泥の河』を思い出した。《牛乳を買いに行く子供たち》(1934)で、手を握って歩く幼い姉弟を見守るドアノーは、あくまでも目線は低く、どこまでも優しい。
そして、茶目っ気に満ちたユーモア。画廊のウィンドウに飾られたヌード写真の前で定点観測して、道行く人々の反応をとらえた4連作には、誰もが笑いにひきこまれる。《憤慨する女性》《幸せな鑑賞者》《横目》《美術品と警官》というタイトルもエスプリが効いている。
エッフェル塔がラリったキリンのように身をくねらせる、非現実的な世界《光学的な歪み》(1965年)には度肝を抜かれた。どんな風に撮ったのだろう。この作品は、以下にリンクするチラシでも見ることができる。《雪の花》(1968年)も、雪の日の公園をとらえた大胆な画面のカットアップがすばらしい。
5月13日まで東京都写真美術館で生誕100年記念写真展。
〈「自分は芸術家ではない」と言いつづけたドアノーの写真が、なぜかくも普遍的な意味をもつのか──それは、こうして写真と向き合う者ひとりひとりが、「ものごとを見る」という純真無垢なよろこびを手渡されるからだ。そのよろこびの在りかを徹底的に信じたからこそ、ドアノーはたゆまず歩き、ひたすら待ち、ていねいに観察し、シャッターを切り取って過去を持続させることに人生を捧げたのである。〉(平松洋子氏)
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1545.html
とてもいいと思います。
>本当にいい顔
いかにも職人って感じで。
>豚が
いい表情なのは職人の腕がいいからだと思います。
>《牛乳を買いに行く子供たち》
50年代ジャズのアルバム・ジャケット彷彿しました。
「増水した側溝」もいいと思います。
平松洋子がドアノー自身の言葉を引用していますね。
「創造者である以上に、観察者であること。鍵はここにある」
ニーチェにこんな言葉があります。
「私はひどく『公正で』ある、というのは、そうすれば距離が維持されるからだ」(「生成の無垢・上巻・九・『人間的、あまりに人間的』と『曙光』の時期から・一〇四九」)
「山本大貴の方法論」が「従来型」と違うとすればそういうことではないか、と思います。しかし「モデル自身にリアルを感じるというより、モデルの個性を一度漂白してから自分の世界に置き」とある部分について。「漂白」以前に既に「モデル」は、アニメにしろマンガしろネット世界を流れる様々な情報を通して、ラカンのいう想像界のイメージへかなり自己同一化していてほぼ「漂白済み」なのでは?と思います。ネット世界で既にイリュージョン化済みの想像界イメージを一旦受け取った後であえて写実する、というのは相当困難なのではと思いました。
オークションで父親世代の銀塩のクラシックカメラ手にした人のレポート読んだですよ。デジカメと違い、フィルムも現像代も高いから一枚一枚真剣になると。
デジタルで便利になった反面、誰でもできるようになり、その人の持っている感性や技術・技量がむきだしになるんですよね。昔はデザインでも、ロットリングでまっすぐな線が引けるまでは丁稚期間と、モラトリアムがあった。その間に先輩の技盗んだり、センスとかスキルとか身につけることができた。今はそういう訓練期間がなくいきなり真剣勝負に放り込まれる。
さらに、表現領域も銀塩よりデジタルのほうが狭いもんで、銀塩時代はプロラボ任せだった現像も、RAWデータからjpg/tiffなどの可視ファイルへの直接変換する技術やノウハウも必要。また、紙媒体なら紙媒体、デジタルメディアならデジタルメディアに合わせてデータを最適化するレタッチ技術も必要です。このレタッチでまた編集加工が簡単だから、何かいらんことする人ばかりで、フォトコンテストも意味なしで中止になったりします。人物の自然な表情を撮影するために話術が重要なのは今も昔も変わりません。もちろん、何よりも観察力。
「触覚美学」?
おもしろかった、というより、ロクロまわしていますので、そうだなあ、いつも手にもって感触を確かめたりしてるし、好みも変わってくるしなあと思いました。ただ、いまのところ電気釜が変えないのと、40肩で右手が思うように動かないので我慢しています。40肩って治るまで1年くらいかかるらしいです。はあ。
陶芸やっておられたんでしたね。たしかに手でも見ていることってある。憎たらしいけれども、岩波書店の書籍は、印刷も造本も紙の風合いもいい。手帳なんかも風合い命。これも頭に来ますが、日経新聞の手帳は表紙の生地が気持ちいいのです。
しかしご家庭用電気窯なんかあるんだー。どこかで焼いてもらうのだとかばかり思っていました。