「三島は季節を間違えたな。桜の季節にやるべきだったんだ。 」
さらに寺山は「三島は演劇を知らない」と言った。
「市ヶ谷の自衛隊で演説したとき、三島は舞台監督の経験がないから、声を隊員たちに伝える手段を考えることまでは思いつかなかった」
「虚構地獄 寺山修司」長尾三郎 著 講談社 1997 より
愛読しているブログより転載。たしかに、屋外でマイクなしは、よほどの鍛錬がいるね。
市谷の外濠公園は桜の名所ではある。ただ「桜にハラキリ」は、あまりにも紋切型の様式美にハマりすぎで、三島は好きになれなかっただろう。それをいうなら、忠臣蔵のように雪の季節がいい。二・二六もそうだった。重陽なら天皇家のエンブレムの菊花の約。いや、思わせぶりすぎか。
いま読んでいる本からメモ。中世社会では切腹は武士に限らなかった。
「古式は腹を切り内臓を引き出す。千葉徳爾によれば、生命の源である内臓を神に供えることにより、その神を祀る共同体に対する祈願者の偽りのない赤心を示すのが、切腹の本義であった。」(高橋昌明『湖の国の中世史』 ※高はハシゴ高)
春遅げなる年もあるかなで、桜の開花はゆっくりめ。大阪の満開予想日は来週の予定。花まつりだね。若たちはそうだ京都に行こうらしい。
(銀杏の季節がめぐってくるたび、三島を思い出す。決して実を結ぶことのない、汚穢にまみれた聖なる豊饒。仮にその一生が間違いだったとしても、ひとりの文学者が命をかけて、少なくともおれにはわかるように歳時記を書き換えて行った)
なるほど蹶起を促しはしました。しかしあの時点では、演説の熱血ぶりとはどこか断絶を感じさせるものがあるとも思うのです。むしろ人生をどう閉じるか、どうすれば芸術としての人生を閉じることができるか、という結構醒めた視線から自己の完結編のありようを同時に思い描いていたと思います。マスコミによって、切腹が単なるサブ・カルチャーとして取り扱われることのないよう、ちょっとした身振りにも気を配っていたのではないでしょうか。
三島由紀夫作品はどれを見ても派手なレトリックがちりばめられてあって、市ヶ谷での切腹もまた三島作品の延長あるいはその一つだと思うわけです。
自害にあたって日本刀の使用に注目することは無益でないと思っています。一つは反共意志。次に日米同盟によって去勢された自衛隊に対するもどかしさ。さらに日本の新左翼が使用していた「ゲバ棒」への皮肉。「角材」がいわゆる「ゲバ棒」という記号と化していることに対してですね。「角材は単なるゲバ棒であって、意味がないんだ」(「政治行為の象徴性について」)。で、こう言っています。「日本刀持ち出せば、相手も死ぬときだし、自分も死ななきゃ日本刀じゃないんだよ。日本刀持ち出したら殺傷するんだよ。殺傷して、場合によっちゃ自分も死ぬんだよ。ぼくはそういう武器しか信じない。使える武器はぼくの芸術観なんだ。それ以外にぼくの頼るところはないんです」(同)
マイクが必要だとは寺山も私もいってないですよ。声量不足は、考えが足りないし鍛錬も足りないということだけです。モノを書くのにインクが足りない、絵の具が切れている、料理が人数分足りないのと同じことですよね。ま、元ゲバ棒もその末裔も、メガホンあってもだめな人たちのほうが多いですが。