公園の銀杏の木の葉が落ちて、落葉のじゅうたんになってぃました…!
シマリスくんがふかふかの落葉のおふとんで、ぉひるねしてぃそうです…
でも、こんなにきれいなのに、公園の木を半分切ることが決まってしまいました…
どうして木を切ってしまうのでしょうか…悲しくてしかたありません…はぃ
落葉といえば、岡田嘉夫先生が亡くなったとき、ポール・ヴェルレーヌさんの『秋の歌』を訳してレクイエムとして捧げたのです…
ヴェルレーヌさんの『秋の歌』といえば、上田敏さんの『海潮音』の『落葉』が有名ですね…
先生がお亡くなりになったころ、私たちおやこは、柏木隆雄先生の『フランス流日本文学入門』を読んでぃるところでした…柏木先生は、上田敏さんのぉ弟子さんの竹友藻風さんが訳した『秋の歌』について取り上げられてぃます…
父が岡田先生のご逝去を知ったのは、二週間ほど過ぎてからでしたが、ぉ亡くなりになったその夜、先生が父の夢見にぉ立ちになったのだとか…
先生をお送りした法要の帰り、父はお酒を飲みながら、こう苦笑いしていたものです…
「全く、死んだ人が枕元に立つなんて、上田秋成の小説かよ。おれは共産主義者で唯物論者で無神論者だぞ? でも、先生には関係ないんだ。『そんなの私の知ったこっちゃないわよ。いいから私の話をお聞き!』という、いつものわがままだよなあ」
さて、岡田先生は、父にわざわざ何を語りにぃらっしゃったのでしょうか…
このエピソードは、御園かりんちゃんの先輩のアリナ・グレイさんとの対談で語られてぃます…
父は、柏木先生のテクストをきっかけに、ヴェルレーヌさんの「秋の歌」を独自に翻訳中でした。
父が、この「秋の歌」の新訳を岡田先生のレクイエムに捧げることにしたのは、「青春の終わり」を歌うこの歌が、絢爛で豪奢で美麗なイラストで知られる岡田先生の原点である、「茶色い戦争の時代」に重なるものがあると考えていたからだと思います…
父は、フランス文学の世界的権威の柏木先生に向かって、こんな暴言を吐いたんだそうです…
「ヴェルレーヌの『秋の歌』のmonotoneの訳に誠意が感じられるのは、先生の取り上げた竹友藻風だけで、それ以外は、一技術者の視点からいえば、すべて誤訳です」
ここまで大見得を切った以上は、フランス語をいちから勉強して、『秋のうた』を訳すことにしたのでした…
岡田先生はぃつか、「茶色い戦争」が始まって、大好きだった色えんぴつもおはじきも取り上げられ、上半身はだかで軍事教練を受けさせられた時代への怒りを語ってくださったことがぁりました…
私も父と一緒に勉強して、自分で訳してみました…
「秋のしゃんそん」
ぽーる・う゛ぇるれーぬ
むせび泣く……
う゛ぁいおりんだね、
秋風は。
やるせなく
もう あきあきな
せぴあの季節--
息詰まり……
死にたくなるよな
鐘の音に
思い出も、
遠いむかしも
涙でかすむ--
「いずこに」と?
狂った風に
くるくると
宙に舞う
よりどりみどりの
枯葉に聞けば?
(五十鈴れん訳)
ぽーる・う゛ぇるれーぬ
むせび泣く……
う゛ぁいおりんだね、
秋風は。
やるせなく
もう あきあきな
せぴあの季節--
息詰まり……
死にたくなるよな
鐘の音に
思い出も、
遠いむかしも
涙でかすむ--
「いずこに」と?
狂った風に
くるくると
宙に舞う
よりどりみどりの
枯葉に聞けば?
(五十鈴れん訳)
ぉそまつさまでした…
父は上田敏さんや竹友藻風さん、堀口大學さんのように、文語体で訳してぃます…。
父は件(くだん)のmonotoneをどう訳したでしょうか…
私は「せぴあ」と訳しましたが、父は古典に則しながらも、「カラー情報の破棄」というデジタル画像ソフトの技術に準じているようです…しかし、それは古語にもあることばで…私もさすがにハッとしてしまいました…
そういえば…
一年前は、ミュシャさんの「おとぎの国の姫君たち展」をぉ友だちの梨花ちゃんと一緒に観に行ったレポートを、掲載させてぃただいたのでした…
ミュシャ おとぎの国の姫君たち展に行ってきました…はぃ!
11月の終わり、堺市立文化会館 アルフォンス・ミュシャ館の「ミュシャ おとぎの国の姫君たち」展に訪ねてきました…はぃ!今日は、し…し…しん…ぉ友だちの…梨花ちゃんと一緒です…......
あの日は堺の紅葉の名所にも寄りたかったのですが、時間とぉ小遣いの関係で、地元に帰らざるをえませんでした…
地元に帰り、梨花ちゃんと地元の公園の紅葉や黄葉を楽しみました…!
いまは、大阪駅のグランフロントで、アール・ヌーヴォー展をやっているのですね…
グランフロントには、アウトドアショップのモンペルもあるので、冬用装備のチェックで、いつか行ってみたいです…!
この記事で、ヴェルレーヌさんに興味を持たれた方へ…
この記事では、ヴェルレーヌさんの原文と、父による文語訳を確認できます…