新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

谷川俊太郎さんの「詩の遊園地」

2010年12月17日 | アート/ミュージアム
会社で資源ゴミ分別ロゴ数種作成。デザイナー君に頼もうとラフを作っているうちに、楽しくなってきて30分で完成してしまった。ほめて、ほめて! いや、ネットで元絵のEPSデータを手に入れて、文字を打ち変え、配色を変えただけだけどね。わからないからいいのだ。

地球温暖化のせいで、ややこしいことである。環境マネジメントシステムさまには「おまえの頭を冷やせ」といいたい。でもCSRというの? あぅあぅ。

何だか雑用ばかりだ。時々腹も立つ。しかし、以前も書いたかもしれないけれど、谷川俊太郎さんを思いだして、グッとこらえる。あの年齢で、原稿や講演依頼やら、ギャラの話まで、秘書も置かずに全部一人でこなしていると、何かのインタビューで読んだ。しかも、「気分転換になっていい」とまでおっしゃっていた。谷川俊太郎の20億光年分の1の値打ちもない私が、どうして文句がいえよう。

もう先週の話題だけれど、日経12月9日朝刊のNIKKEI ART REVIEWに、谷川さんの「詩の遊園地」が掲載された。提供はMont Blanc。腕時計なので、「ことば」と「時」と「数字」がテーマ。今年……いや、これまで見た最高の新聞広告だった。時と言葉をテーマにした詩編。



私は1である
小さいから1
なのではない
この1億分の1に
なっても私は1だ
この1億倍になったと
しても私は1だろう



以下18行、次第に文字が小さくなっていく。
最後は小さくなって見えなくなる。
(17.5倍のルーペでのぞきこんでも、
インキが滲んでしまって、判読できない)

ダダや未来派の詩のように、詩が渦巻きを描いたり、
折れ線グラフを描いたり、
横に流れて途中でカットされたり……、
そう、文字だって、ことばだってアートになるのだと再確認。
それこそ「駄々」という詩もある。この詩もすごくいいな。

 言語は億劫だ
 性交は不憫だ
 未来は粗大だ
 自然は当然だ

 詩歌は呂律だ
 否定は忸怩だ
 貪欲は人災だ
 晴天は神慮だ

 酩酊は遁走だ
 貨幣は不燃だ
 沈黙は寛大だ
 細君は人間か

 貴君は愚民だ
 自我は宿痾だ
 哄笑は泡沫だ
 頓死で満願さ

「細君は人間か」で吹き出しそうになってしまった。
これは自戒をこめて、「未来」という言葉は、私のような凡庸な愚民に乱用されたばかりに、今や引き取り手のない言葉の粗大ゴミだ。
谷川さんが「詩の遊園地」なら、このブログなんか、粗大・不燃・人災な言葉の不法投棄場というほかない。

しかし傷つき、忘れられ、捨てられたことばでなければ、生命を吹き込むことはできないと信じたい。願わくは、「ひぐらし」のレナちゃんのように、何か「かぁいいもの」が見つかりますように。

(古典の条件も一度死ぬことであるとするならば、谷川俊太郎さんは未だ古典ではなく、まさに生ける現代詩の最前線だ。この方は、死ぬことがないんじゃないかという気が最近してきた)

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