今日は関東大震災から100年です。
亡くなった父方の祖母からは関東大震災の恐ろしさをよく聞かされたものです。
両親は1964年の新潟地震を経験しています。安房館山に生まれた父は(生家はYOSHIKIの実家の近所です)、新潟大学に進み、母と出会い、新潟地震に罹災することになったのでした。保育士だった伯母は、まだ従姉がお腹にいた頃で、コンビナートの火災の火の手を逃れるために、園児たちの手をつないで必死に逃げたそうです。
1995年の秋に大阪に移った私は、阪神・淡路大震災を直接知りません。2011年の東北地方太平洋沖地震、2018年の大阪府北部地震では、祖母や両親、伯母から聞いてきた地震のおそろしさを、まざまざと実感したものです。
3・11では、大阪も揺れたのです。そして、あの大津波の映像。
「でもな、地震より本当におっかねえのは人間さ」
祖母はこういったものです。
そして、関東大震災で、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言飛語を信じた民衆が、朝鮮人や方言を話す日本人を虐殺して回ったという史実を知りました
昨年はこんなエントリを書きました。
おん身らは 誰を殺したと思ふ──折口信夫と朝鮮人虐殺
「いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみを もぎはなちたり」
去年の私は、自警団に朝鮮人に間違えられ殺されかけた折口信夫の歌を引用し、フェイクをばらまく朝鮮人虐殺否定論者たちのキーボードをたたく指や嘘つきの舌の根をもぎ取ってやりたいと、激しい怒りを書き記しています。
去年の私は、自警団に朝鮮人に間違えられ殺されかけた折口信夫の歌を引用し、フェイクをばらまく朝鮮人虐殺否定論者たちのキーボードをたたく指や嘘つきの舌の根をもぎ取ってやりたいと、激しい怒りを書き記しています。
この関東大震災100周年の節目の年に、極右の石原慎太郎でさえ送っていた朝鮮人追悼式典への追悼文送付を拒否した小池都知事、「朝鮮人虐殺の記録なし」と虚偽答弁した松野官房長官も、いろいろもぎ取ってやりたいですね。
いつから日本は、こんな情けない国になってしまったのでしょう。
昨年の私の記事も、政府が今も保管する朝鮮人虐殺の公文書に基づいています。松野官房長官は、調べていないから、そんな事実は存在していないと答弁しているにすぎません。
調べる必要がないから、そんな事実は存在しない。あるいは、そんな事実は最初から墨塗りの海苔弁にするか、削除してしまう。
かつての自民党のリアルさは、利権すなわち「金」というリアルに結びついている強さでした。しかし世襲化が進み、無能なアホばかりが増え、現場の空洞化が進むなかで、カルト宗教団体やカルト右派集団の支持なくしては、成り立たなくなっていきました。
いつからこんなデタラメが通用するようになってしまったのか。
こんなものが民主主義国家、法治国家といえるのか。
朝鮮人虐殺の史実を否認する政府もひどいです。
しかし、警察に収監されていた朝鮮人を引きずりだし、親たちの見ている前で、子供たちの首を切り落とし、その後、その親たちも虐殺した「普通の日本人」の集団的狂気と、冷酷残忍さは、さらに絶望的です。この無軌道さ、無責任さ、無秩序さは、南京大虐殺を初めとした、朝鮮・中国・アジア侵略戦争における非人道的行為につながっていくのでしょう。
「ブランキスト」「街頭叛乱主義者」「アナルコ・サンディカリスト」といわれてきた私のこの数十年のたたかいは、民衆がときに見せるこの冷酷残忍な暴力性を、「仲間」「弱者」ではなく、敵権力に向けさせることにありました。
まだまだあきらめるつもりはありませんが、これはなかなか、むずかしいことです。
しかし、今日は少しうれしいニュースがありました。
関東大震災で、父の故郷である安房郡(現・館山市)では行政トップが流言を否定し、騒動を回避していたというのです。
館山市大網、大巌院にはある1624年建立のハングルも刻まれた「四面石塔」も、破壊されなかったとか。石塔を研究するNPO法人安房文化遺産フォーラムの共同代表愛沢伸雄さんは「主に大正期に済州島からアワビ採取の出稼ぎに来る人々と交流があったことも、朝鮮の人々の気持ちを踏まえた対応の背景にあるのではないか」と話しているそうです。たしかに、朝鮮人は安房の人にとって、身近な存在でした。
私たち安房の人間にできたのですから、その他の地方の人にもできるでしょう。二度と国籍や身分や出身などに対する偏見や差別に基づいて、憎しみ傷つけ合わないこと、民衆が共に幸せに生きていく社会を築き上げていくことを願って、関東大震災百年のことばに代えます。
郷里の千葉の話が出たので、銚子電鉄の「鉄道むすめ」外川つくしさん。
その通りだと思います。
マスメディアの報道やネット上にある言論プラットフォーム等のやり取りを見ていると、現在は100年前とは全く違った状況で惨事が起きるのかも知れません。
東北地方太平洋沖地震の復興過程では、美しい人間の連帯の可能性も垣間見えましたが、それさえも「絆」という美名のもと、支配者に利用されていきましたね。この12年で政治と社会の劣化が急速に進み、次の災害では、おっしゃるとおり、どんな惨事を引き起こすかわからなくなっていると思います。
コメントありがとうございます。鳥取地震、大変でしたね。戦時中だったので、言論統制も厳しく、流言飛語がなかったのが、不幸中の幸いでしょうか。
こんないつ地震が起こるかわからない国なのに、天災に遭ったらお互い支え合わねばならないのに、戦争を起こしたり、原発を造ったり、差別をしている場合ではないだろうと、このブログは訴えたいと思います。
関東大震災における朝鮮人虐殺については、たんなる群衆パニックでなく、1910年の日韓併合に対して朝鮮人民が抗議を続けてきた民族独立運動のピークとして、1919年の3・1運動があり、決して屈することのない朝鮮人民に対する恐怖につけ込み、当時の政府・警察・マスコミが嘘情報もまじえて虐殺を扇動したことが大きかったのであろうと考えています。