摩耶山の紅葉も終わりかけでした。
気がついたら、今年も残り10日ほどですね。
年の瀬が迫ると、愚父が高校生時代のアルバイトのエピソードを思い出します。
愚父は寡黙な人ですが、親戚が集まったその日は、お神酒も入って、姪や甥たち(私のいとこたち)相手に、ごきげんだったのでしょう。こんなつまらない自慢話をしていました。
高校生になると、愚父やおじたちは、近所の工務店でアルバイトしたそうです。工事のアルバイトもありましたが、父に任されたのは年末の売掛の取り立て。
この売掛の取り立ての話が、落語そのもので、やたらおもしろいのです。中には、悪質な経営者もいて、
「払えんものは払えん! どうしても払えというなら、いますぐ首を吊って死んでやる!」
と高校生相手に凄むのだそうですよ。
しかし動じない愚父。
「そうかい。だったら今すぐ死んでみろ。他人が死ぬこと見たことねえから、一度見てみてえや。さっさと死にやがれ!」
ほんとうに冷酷残忍な男ですよねえ。
私が革命の道を歩んだことで、愚父は出世コースを外され、グループ会社に飛ばされ、家庭も崩壊に至りました。父には忸怩たる思いがあるはずです。
それでも、いまに至るも文句も愚痴も言われたことがありません。「喧嘩は負ける方に加勢しろ」と教えてくれたのは、この愚父ですからね。
愚父を追放した本社は、やがて倒産の憂き目に遭いました。しかし、愚父は左遷された先のグループ会社を優良企業に育て上げ、部下たち全員の雇用を守り抜きました。
あいにく、私はこの愚父から商才も営業センスも受け継ぎませんでした。
若いころの愚父は、お金や名誉や出世などに一切興味のない私を、「それでも男か」「覇気がない」とよく叱っていたものでしたが、最近は「おまえらしいな」「変わっていなくて、ほっとする」というようになりました。心境の変化?
あれは大阪に来てからの未払い賃金債権回収闘争のさなかでした。
賃金未払いに対して職場占拠で応じたわれわれに対し、夜逃げした経営者は、代理人を通じて、「1週間後には必ず支払うから」と職場占拠を解除するように懇願したものです。
「本当に払う気があるのかよ!」と激昂する組合員のみなさん。
悪徳経営者の代理人の経理部長さんは、精神をえぐられるばかりだったでしょう。妹さんが、その悪徳経営者のお連れ合いだったのです。
「まあ、ええわ。信じたろやないか」
私がそういうと、組合員諸氏は唇を尖らせ、部長氏はほっとした表情を見せました。
「わしら、社長や部長さんに、何の恨みもないねん。ゼニさえ払うてくれたらな。ほんまに一週間後には金ができるんやな?」
私は経理部長氏に確認しました。
うなずく経理部長氏。
「そっか。安心したわ。ほな、行こか」
「行くって、どこに?」
「一週間後にはゼニができるんやろ。まずはわしらに賃金支払ってもらわんと困るで。おまえらにも一週間無利子で貸してくれるところがある」
そういうわけで、その日は梅田のサラ金や闇金を回ったものです。一緒にお店に入っていくと、
「お宅さんはなんでっかい」
と凄まれることもありました。
「サラ金闇金ってヤクザさんばかりだから、友だちが怖がっているので着いてきました」
と、のほほんと説明したものです。
今日の忘年会の話をするつもりが、うーん。タイムアウトです。今日のはなしは、またいずれ。