もう公開から1ヵ月以上は経った。ネタバレを書いても許されるだろう。
余談になるが、ある名画のDVDで、冒頭の淀川長治さんのあらすじ紹介は、「面白そうだけれど、この人、全部ネタバレ話しちゃったよ」と思ったが、話したのは最初の10分のツカミの部分だけで、その先には予想もつかない展開が待っていた。淀川さんは、語りの天才だった。淀川さんには、到底及びもつかないけれど’、私もこの作品の冒頭の5分だけを紹介してみたいと思った。記憶で書いているから、セリフなどは不正確だと思うが、ご寛恕のほどを。
オープニングは、郊外の瀟洒な洋館のリビング。レトロな蓄音機があるが、すでに電灯らしく、壁にスイッチがある。スイッチは今も見かけるタイプだが、電話は今では見かけなくなった黒電話である。日本でいえば、戦前と戦後が共存した、1970年ごろの家庭の風景だろうか。リビングにいるのは、喪服を着た少女とその両親。少女の祖母が突然亡くなり、葬儀が終わったばかりらしい。
「具合が悪ければ知らせてくれたらいいのに」
と、嘆く母に、
「お母さんいつも忙しいから、おばあちゃん気を遣っていえなかったんだよ」
と、声を震わせる少女。
「責めてるの?」
「別に」
反抗期真っ最中らしい。大人びて見えるが、まだ14、5歳くらいだろうか。
リビングのキャビネットには、所狭しと家族写真が飾られている。
最近撮られたらしい家族の記念写真がある。満面の笑みの祖母に寄り添う両親、しかし少女は数歩離れて立ち、プイと顔を背けている(写真はモノクロで、少なくともカラーが普及した1980年代以降ではなそうだ)。残りの写真は仲良く幸せそうに寄り添う母娘の写真である。それは祖母と母親のものだった。
「おばあちゃん、お母さんのことがこんなに好きだったのに」
この少女の呟きは、「おばあちゃん」を「私」と言い換えたら、彼女自身の素直な気持ちなのだろう。
「おばあちゃんは母親を早くに亡くしたから」
……だから家族を大切にした、と続くはずの母親の言葉は、それ以上続かない。仕事にかまけて、自分は娘を構っている時間がない自責の念にとらわれたのだろう。
写真を見ていると、文箱がある。蓋を開けると、手紙が大切に保管されている。C.H.郵便社のシーリングスタンプが施された古びた手紙を見て、亡くなった祖母が、第十話のアン・マグノリアだったことが明らかになる。
「おばあちゃん、その手紙をとても大切にしていたんだよ」
今まで無言だった父が、ソファから立ち上がり、説明する。その手紙は、少女にはひいおばあちゃんに当たるクラーラ・マグノリアが、娘のアンに宛てたものだった。その文箱の手紙は、クラーラの死後、アンの誕生日に50年間にわたって毎年届いたもので、当時有名な「ドール」が代筆したものだと父は説明する。
「ドール? 人形が手紙を書くの?」
と、デイジーはいぶしかる。原作の当時7歳のアンは、ヴァイオレットを本物のお人形と思い込み、ヴァイオレットもその「ごっこ」遊びに付き合っていた。アンもデイジーも、演じているのは同じ諸星すみれさんである。このセリフは何ともほほえましく、いとおしくてたまらなくなる。
もちろん、ヴァイオレットは人間だし、人形が手紙を書くことはない。目の見えない妻のために開発したタイプライターが「自動手記人形」と名づけられ、そのタイプライターで手紙を代筆する人も「ドール」と呼ばれるようになったのだ。しかし今ではみんなが文字を読み書きできるようになり、電話も普及し、もうその仕事はないのではないか、と父は語る。原作からは最低でも50年、あるいはそれ以上の時間が経っているようだ。
「患者さんが待っている。帰ろう」という父の言葉で、両親は医療関係者であることがわかる。ここで一悶着。
「私は残る。お葬式終わったからってみんな帰ったら、おばあちゃん寂しいでしょ。お母さんは帰れば? お母さんは仕事の方が大切なんでしょ」
と、憤るデイジー。この十数秒あまりのセリフが素晴らしい。「残る」ときっぱりと言い切る時の強い意思。「寂しいでしょ」の悲しみと寂しさ。「残れば?」の、ひねくれたトーン。最後のセリフははっきりと覚えていないが、子どもっぽく甘えたトーンである。十代半ばの少女の微妙で複雑な感情を、たった十数秒のセリフのうちに表現しきっている。
「私はあなたのことも大切に思っているわ!」と怒り、悲しみ、ハンドバッグをギュッと握りしめる母。父が二人をとりなし、「仕事が終わったら迎えに来るよ」と、母を連れて出ていく。
両親は仕事に戻り、一人残ったデイジー。ガラスの天井のあるサンルームのテラスに、一人ポツンと立っている。テーブルの上には、文箱が開かれ、手紙がある。祖母のアンが、孫のデイジーのために作ってあげたものだろうか。クマのぬいぐるみが椅子に座っている。
「おばあちゃん、また私お母さんにいやなこといっちゃった。お母さんの仕事が大変なことはわかっているのに」
祖母に悲しげに語りかけるデイジー。そして、「アン、八歳の誕生日おめでとう」に始まる、死期を悟ったクラーラが、アンに残した手紙を読んでいく。
「アン、十歳の誕生日おめでとう。虫取りとなぞなぞは卒業したかしら?」(十歳のアンは友達二人と、楽しそうにおしゃべりしながら、商店街を歩いている。しかし一人になると、お母さんの手紙を、いまデイジーのいるサンルームのあたりで涙を浮かべながら読んでいる)
「アン、十八歳の誕生日おめでとう。もう立派なレディね。恋の相談には乗れないけれど、あなたが選ぶ人なら、きっと素敵な人よ」(働き始めたのか、窓拭きをする十八歳のアンに、花束を贈る青年がいる。アンは母の手紙を読み、幸せそうに胸に抱きしめている)
「アン、二十歳の誕生日おめでとう。二十年も生きたのね。すごいわ。でも、大人になっても、弱音を吐いてもいいのよ?」(手紙を読む、美しく成長したアン。青年が赤ん坊を抱いてやってくる。アンは幸せに結婚をし、子どもも授かった。この赤ん坊がデイジーの母なのだろう)
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「ひいおばあちゃん、おばあちゃんのことが、本当に心配だったんだ」
声を震わせ、感動するデイジー。手紙の中に、新聞の切り抜きを見つける。その記事を読み、デイジーは、手紙を代筆した「当時話題のドール」が、ヴァイオレット・エヴァーガーデンだったことを知る。
両親がデイジーを迎えにときには(玄関に続く廊下には、年代物のタイプライターがある)、家にデイジーの姿はなく、かわりに「ライデンに行ってきます」というメモだけが残されていた。
ここまでで、映画が始まって五分かそこら。しかしこの時点でもう、感極まり泣く人もあり、すすり泣きの声が聞こえてくる日もあった。
私はテレビ版はあらすじしか知らない。原作も斜め読みしかしていない。それでも本編は充分に楽しめるから、テレビ版や前作の外伝を未視聴の方も、興味を持たれたら、ぜひ観てほしい。
デイジーは、18歳で郵便社を退社した後は、消息の絶えたヴァイオレットの足跡を追う旅に出たのだ、現在と過去をつなぐ、物語のナビゲーターとなるデイジーの登場場面は、このオープニング、ギルベルトの居場所が判明する中盤、そしてエンディングの3回である。先日は、空腹と眠気と疲労で、途中で帰りたくて仕方なかったが、ラストのデイジーの笑顔を見るためだけに、最後まで見続けた。どうやら、未来の世界では、サムズアップが、ヴァイオレットのトレードマークになっているらしい。その意味は、また改めて触れてみたい。
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